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なぜ私たちは「やりたいこと」ができないのか?【書き途中だけど、見てもOK】
序章 なぜ人は「やりたいこと」ができないのか
これは現代日本社会における重要な問題だ。
なぜかと言えば「世界一安全で豊かで自由が保証されているはずのに」「なぜかみんな、やりたいことができていない、やれていない」という大きなパラドックスを抱えているのが、この国の現状だからだ(やりたいことをやるべきなのか?という話はのちほど)。
一方で世の中には、「やりたいことをやろう」「なりたい自分になろう」「あるがままでいよう」というメッセージが、音楽や漫画や広告がごまんと溢れている。これは皆が「やりたいことをやりたいと心の底では望んでいるが、実際はできていない」ことの現れとも見て取ることができる。
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便利さも、安全性も、選択の自由も、何もかも担保された現代日本においてなお、
実際に「本当にやりたいこと」ができている人がはごく一握りしかいないのだ。
ここに「自由」「人権」といった西洋的な思想の限界、あるいは現代社会の行き詰まりがあるとも言えるのだが、それはまた後ほど話そう。
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全てが揃った環境で、やりたいことを、やれていない。これはいったい、なぜなのだろうか?そもそも「やりたい」のに「やれない」のはなぜだろうか?「やりたい」と「やれない」の狭間には何があるのだろうか?
「やりたいこと」なのに「やる気」がでない、とはどういうことなのか?
「やりたいことをやっている」ようにみえる起業家やアーティストは、何と言うだろうか?
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彼らはきっとこんな言葉を使う。
「やりたいことなら、やればいいじゃん。だってたった一度の人生だろ?」
「自分の心に従えよ。」
「自分が人生の主人公だ!」
「為せば成る!やればできる!」
とか。
こういう言葉は、やりたいことがやれない側の人からすると、「心無い正論ハードパンチ」だ。
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「違う!違うんだよ!」「やりたいことは、できないんだよ!」「本当にやりたいことこそ、できないんだよ」という僕らの心の声がこだまする。
たとえば、
・本当はyoutube発信はじめてみたいけど、「できない」
・本当は痩せてイケてるカラダになりたいけど、「できない」
・本当は転職したり起業したり留学したりしたいけど、「できない」
・本当は夫婦・親子・パートナーで仲良くしたいけど、「できない」
などなど、私達は多くの「やりたいけど」「できない」「やれない」を抱えている。はたから見ると「やればいいじゃん」と思えるような簡単なことでも、本人からすると「なぜかできない」だったりする。
なんなら「やりたいことほど、できない、やれない」ということすら多い気がする。これはいったいなぜ起こるのだろうか?
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実はこれには構造的な理由があって、そこらへんもこの記事で解き明かしていく。
そして、私達は思う。「人々の「本当にやりたい」を叶えることができたら、どんなにしあわせだろう。」と。
故にこの記事では「なぜ私達はやりたいことができないのか」という問いを解き明かすことを通じて、「どうすれば私達は、本当にやりたいことができるようになるのか」という究極の問いと向き合うことを目的とする。
以下、まずは「やりたいこと」の正体を解き明かしていく。
第1章 「やりたいこと」とは何なのか
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昨今の若者は、「やりたいことをやろう」という志向は非常に強く世の中に存在している。しかし私たちは思う。「やりたいこと」とはなんぞや?と。
一方でこう言う大人たちもいる。「やるべきことをやってから、やりたいことをやれ。」「何でもやってみたら、やりたいことが見えてくるよ。」と。
いったい、何が正しいのか。
実は、全部ただしい。ぜんぶ、正しいのだ。これらの言説は別の角度から真実を言っているに過ぎない。そこらへんもこの記事を読めば、全部わかってくるだろう。
これらを説明するのに、認知行動科学や古典心理学の原理を持ち出してもよいのだが、ここはあえてわかりやすいように、人の発達の段階別に「やりたいこと」を解説していく。
レベル0 消費活動、享楽的活動
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「やりたいことは、何ですか?」と聞くと、「美味しいものを食べること」「寝ること」「YouTubeやネトフリを見ること」といったことを挙げる人がいる。この段階は、「消費活動」や「享楽的活動」が主となっている。
では、なぜこのようなものを彼らは「やりたいこと」とするのか?それは、この人たちが口にする「やりたいこと」とは往々にして「消極的なやりたいこと」だからだ。
つまりは、
「面倒なことから逃避するためのYouTubeや睡眠」
「興味があることはあるにはあるけど、失敗したくないし、周りの目も気になるし、できる気もしないから、それをやりたいことと表現するのは抑えて、とりあえず強め快楽のある「食べること」をやりたいことにしておく」
のような、意味合いで使われる「やりたいこと」であり、当然何も生み出さず、貢献もせず、お金ももらえないので、これらを「やり続ける」ことはできないのである。
※アフリカのタンザニアの狩猟部族では子どもたちは夢ややりたいことを持たない。そもそも数も1と2しか数えられず、年齢もわからない。時間の概念もない。サルの尻の美味しいお肉を食べる夢を見て、日々矢をつくり、狩りに勤しむ。それでも日々幸せに楽しそうに活きている。「やりたいことをやる」というのは実は人間にとって普通ではないことなのかもしれない。そんな観点も置いておきます。
ですが、ここはアフリカではない。日本である。ゆえにこの記事で私達が取り扱う「やりたいこと」とは「何かを生み出し」「結果として他者のためになる」「持続可能なこと」と定義する(定義1)また、もう一つ付け加えるとすれば、「やりたいことは、様々な経験をして初めて認識される(定義2)」という定義も加えておこう。
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たとえば、0歳児で生まれた瞬間から「オギャァ!AI開発したいよぉ!」と言い出す赤ちゃんがどこにいるだろうか?いないだろう?
その後の人生で「おもちゃの動くレゴ」を楽しんだり、それが自分に向いていたり、色んな人につくったものを褒められたりしたり、パソコン触ってプログラミングやったり、自作で生成AIつくってみたりして、はじめて「AI開発がやりたいこと」になる。
なので「「やりたいこと」というのは経験する中ではじめて自分が認識できる(定義2)」というのは覚えておきたい。
ゆえに、小学生のうちから夢を見つけることを強制したり、早いうちから夢を決めなければいけないと説くのは、極めてよくない。それよりも、その子の興味関心に応じて様々なことを経験させたり体験させたりして、楽しかったり、悔しかったりの「純粋経験」を積ませていくほうがはるかに大事だ。
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なので「やりたいことが見つかっていないなら色々と経験しろ」とか「グダグダ言わずにとりあえずやってみろ」というのは、実はかなり正しい。
ただ、とりあえずやってみるときに、「完全ランダムで気乗りしないこと」をやっても、それが自分のやりたいことの発見につながるかというと、かなり怪しい。
一定程度、「自分はこれが好きかもしれない」とか、「これが得意かもしれない」、「これはやってて苦じゃないな」、「これは興味がある」「これには縁がある」というものにトライしてみたほうが、自分がもっとワクワクするものを見つけるのに役立つ。
また、その際に出会う人から「これやってみないか」と誘われたりするチャンスも増える。
あるいは逆に「嫌で嫌で仕方のないもの」に少し触れてみることも実は自分の運命をひらくことにつながる。
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例えば僕は「医師の父親が家でアルコールで暴れる姿を見て」「医者にはなるまい」と思っていたが、実際は小さい頃から顕微鏡を覗いたり、人を治すことが身近にあった。結局30歳を過ぎて父親を赦して認めた頃から、医療に興味が出て、元からやっていた教育を発展させて腸脳相関や整体をやりはじめて、結局医学博士を取ることまで検討しているくらいには、医療的なものに興味が出てしまった。
つまりは「嫌なもの」は実は「関心はあるが特定の理由で嫌いに転化している」可能性があるので、触れてみたほうがよいことがある。
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なので定義2を進化させるのであれば「やりたいことは、自分の興味関心や縁のあること、感情が動くことに触れることから生まれる、見つかる」があるだろう。
話が逸れ過ぎてしまったので、そろそろ話を戻す。次はやりたいことレベル1の話だ。
レベル1.コンプレックス発、強迫観念的やりたいこと、逃避型やりたいこと
「私のやりたいことは、成長することです、お金を生み出すことです。」
「私のやりたいことは、価値を生み出すことです」「私のやりたいことは、努力して結果をだすことです」
「私のやりたいことは、ミスを減らすことです」
「私のやりたいことは、周りの期待に応えることです」
と言う人がいたら、どうだろう。
このタイプは「強迫観念的なやりたいこと」だ。
このタイプの人は
「自分は、価値のない人間だ。だから価値を出さなければいけない。」
「私は不完全な人間だ。だからミスを少なくしなければならない」
「私はがんばらなければ愛されない人だ。だからがんばらなければならない」
といった、強迫観念に近い思い込みをもっている。
それがゆえに「価値を出すこと」「ミスを減らすこと」「がんばること」をやりたい、と思ってしまう。
過去に親から認めてもらえなかったり、比較されたり、否定されたり、褒めてもらえなかったり、ミスを指摘されまくったり、あるがままを認めてもらえなかったり、そういう経験があると生まれてしまう「思い込み」がこれだ。
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このレベル1の強迫観念型のやりたいことは、「強迫観念」からくる、焦りや不安や恐怖を乗り越えようとして生まれる「やりたいこと」だ。
当然、やれどもやれども心が満たされることは無く、一時的には安堵を得られるが、長期的には虚無や苦しみが積み重なっていく。
なんなら燃え尽きて鬱や適応障害になることもある。
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また同様に「逃避型のやりたいこと」はこのような過去のトラウマとそこから生じた思い込みや負の感情から逃げるために、「やりたいこと」を生み出すタイプだ。
例えば、自分が周りと比較されて、価値が無いと思われるのが嫌なので、一人で黙々と作業するのが私の「やりたいこと」です。
とか、
家庭に居場所が無くて、カフェでいつもマスターとお話ばかりしていたから、誰かと世間話するのが私の好きなことです。
とか、
深く人とつながることが苦手だから、デジタルの世界で遊ぶことが好きで、私のやりたいことです。
とか。そういうかんじです。
過去のトラウマから逃避するような行動を「やりたいこと」にすえているため、もちろんやれどとやれども本質的に心が満たされることはありません。
ただ、「価値を出すべくやったハードワークが褒められて、周りから認められた」のような局所的な成功体験が過去にあると、一時的に一部は心が満たされたりすることもあります。
しかしそれは「価値が無いと思っている自分の心の穴埋め」にしか過ぎず、本質的に満たされることとはかけ離れています。
なので、このレベル1のやりたいことは、「過去の辛い環境におけるサバイバル手段」とも言えるでしょう。
サバイバルなので、やっていても本質的な幸福からは逸れてしまいます。
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10代二十代の若者の「やりたいこと」は結構これらの場合が多く、それらをやり続けた人は二十代半ばから三十代にかけて「あれ?やりたいことをやっても、心が満たされないぞ?私のやりたいことって本当は何だっけ?」という「アイデンティティ崩壊現象」が起こることがままあります。
また、自分が満たされていないが故に、人間関係がギスギスしてしまうことがよくあります。たとえば
「あいつは頑張っていない」
「あいつは価値を出せていない」
「あいつは…」
のように、自分ができていないこと、満たされていないことに、人は過剰に反応してしまい、他人をゆるせず、負の感情を持ってしまい、人間関係がギスギスしてしまうことがよくあります。
さらには傾向として、自分がコンプレックスを抱いている父母の姿を周りの人間関係に重ねてしまい、ギクシャクすることがよくあります。
たとえば僕は、年上男性が苦手です。具体的には、「この人は僕の話を聞いてくれないんじゃないか」と思ってしまい、うまく話せません。これは僕が父にまったく話を聞いてもらえなかった幼少期からのコンプレックスの蓄積が原因となっています。
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話を戻しましょう。このように、レベル1のやりたいことは、一定程度エネルギーは生まれるものの、それは長期的には長続きしなかったり、あるいは人間関係の悪化に飛び火したりして、私達は大いに悩みます。ゆえに、やりたいことレベル1は、自分のやりたいことを見直さなければならない運命を背負っています。
そこで人は「自分の本心、本音と向き合い」、レベル2のやりたいことに気づいていくわけです。(とはいえ、レベル1を経ないとレベル2にあがれないことも非常に多くあります。なのでレベル1が完全に悪いことかといえば全くそうではないのです。)
ではレベル2のやりたいこととは、いったいどういうものなのでしょうか?
レベル2.他人を応援する、他人を癒す系のやりたいこと
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レベル1で悩んだ人、あるいは最初からレベル2に気がついた人は、「他人を応援する」「他人を癒す」ことをやりたいことにしがちです。
たとえば、「自分は家が貧乏でお金で苦労したから、同じように苦労している人を助けたい!具体的には資産の運用の仕方や、金融教育や、稼げるようになるためのスキルアップを提供したい!」(他人を応援する系)
「自分は歌を練習したり教えてもらえる環境が無くて、歌手の夢には届かなかった。だから多くの子どもたちに歌手になる夢を諦めなくていいようになる音楽教室を開きたい」(他人を応援する系)
とか
「自分は人間関係で悩んで鬱になりかけたけど、カウンセリングと出会って救われた。だから自分もカウンセラーになって人を癒やして救えるようになりたい!」(他人を癒す系)
とか。
あるいは「母が経済的に自立できずに、父に物が言えず苦労している姿を見てきて、なんとかしたいとずっと思ってきた。だから主婦の経済的自立を果たすための就業支援やそれを支える行政支援がやりたい」(他人を応援する系)
そんなかんじだ。
このパターンはいくつかの傾向があり、
「自分が果たせなかった夢を、他人が叶えられるよう応援する」
「かつての苦しんでいたり悩んでいた自分や家族が、当時欲しかった環境やものを、提供する」
「過去に苦しんでいた自分や家族を救ってくれたモノやサービスや環境、あるいはそれを成し得るためのしくみを提供する」
などだ。
ただ、必ずしも「音楽に救われたから演奏家になる」のようにダイレクトにやりたいことに反映されるのではなく、「演奏家の才能は自分には無いけど、細かい作業は得意だから、人を癒やす楽器の職人になる」のような場合もある。つまりは「誰のために」「どんな領域で」「何をするか」というように「やりたいこと」を分解したとき、「誰の」や「どんな領域で」は過去の自分の経験によって決まりがちだが、「何をするか」は自分の才能や得意や成功体験に依存しがちである。
なお、自分の才能の判別方法、理解の方法についてもここらへんでコラムとして書いておく。
コラム 自分の才能の判別方法、理解の方法
才能とは、名詞で語られるべきものではない。動名詞で表現されたほうがいい。たとえば、
僕は「コーチング」が得意だ。1回で数十万円をいただくエグゼクティブコーチングをしている。だから客観的に見て僕は「コーチング」という名詞が得意なように見える。
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しかし僕のやっているコーチングは普通のものとは違い、ほぼ一言も発せず、意識のみでやるため、どちらかというと「祈り」に近い。
もう少しわかりやすく言うと「人が本来持っている運命を開花させるために、心身や意識の状態を構造的非構造的に捉え、整え、覚醒させる。そのために自分と相手の呼吸や身体状態を調整しながら非言語表現で問いかけと受取りを行い、覚醒の適応範囲を広げていく」ということをやっている。これは「動名詞」だ。「動名詞としての才能」だ。
僕はこの動名詞が得意なだけであって、コーチングというラベルの名詞が得意な訳では無い。この動名詞をそのまま整体に活かせば「整体師」という才能になるし、料理に活かせば「料理人」になる。文章に活かせば「著述家」になるし、経営に活かせば「経営者」になる。
なので、才能の理解において、名詞というラベルにはあまり意味はない。ましてや会社の名前や役職にも意味はない。動名詞、できれば動名詞の集合体で理解するとよい。
一番わかりやすいのはストレングスファインダーのような診断テストをやってみて、その結果を動名詞化して並び替えるとよいだろう。
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たとえば診断結果が「戦略性、未来志向、個別化、運命思考、学習欲」だとしたら、動名詞に直してつなげると
「さまざまな人や世界を学び(学習欲)、そこから生まれた法則(運命思考)を以て、人の可能性や未来を開花させる(個別化、未来志向)」
のような「動名詞群」になる。これこそがまさに「才能」の正体だ。才能は自分が理想とする世界観や原風景から漏れ出した表現形態にしかすぎない。
例えば大谷翔平が足が速いのも、それは彼の「野球を楽しみ尽くす」という世界観から漏れ出した一部の才能だ。その世界観に基づけば、ボールも速く投げられたり、遠くに飛ばせたり、それら全部がやりたいことで、得意になっていくのだ(もちろん遺伝的素養もあるが)。
多くの人が「やりたいことでモヤモヤしている」のはこれを見過ごしているからだ。やりたいでモヤモヤしている人は、「陸上部に入っている大谷翔平」状態だ。つまりは足が速いからある程度活躍できるんだけど、持っている才能や志が活かされきれていない状態だ。解決策は当然、「本当にやりたい、野球やれよ」だ。
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なお、「お笑い芸人をやっている大谷翔平」や「草野球チームに所属している大谷翔平」もいる。これらがなぜいけないのかは、皆様ならすぐにわかることでしょう。
ゆえに、だ。自分の才能を知るときは「私が理想とする世界や人のありかたとは?」「それに向けて私は何ができるのか、何がしたいのか」を考えればよい。そうすれば自分にどんな才能が眠っているのかが、見えてくる。
理想の世界や人の在り方がでてこなければ、自分が好きなアニメや小説やキャラクターとそれが好きな理由を分析し、その共通項を見つければよい。
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「何がしたいのか」「何ができるのか」を考えるときは「私が魔法を使えて何をやっても成功してお金ももらえて認められるとしたら何がしたいか」を考えてリストアップしてみるとよい。
例
それでもでなければ「私のドッペルゲンガーが現れて、今私がやっていることを全部引き受けてお金だけ入れてくれたら、私は何がしたいのか」で考えてリストアップしてみればよいだろう。こうすることで「思考」の枠組みを外して「やりたいこと」が出てくる。またリストアップしたことを時系列順に並び替えれば、自分の進化の道筋が見えてくる。人は往々にしてどデカいやりたいことはできない。特定の体験や学びを積み重ねることでできるようになる。そのロードマップは実はうっすらと頭の中にあるのだ。
なのでここらへんまでの話を「やりたいこと」の定義に回収していくと、
やりたいことには名詞と動名詞がある(定義3)
やりたいことは複数あるのが当たり前(定義4)
やりたいことは変質し、進化することがある(定義5)
本当にやりたいことは、「思考の枠組みを外す」と出てくるものである(定義6)
である。定義はあとでまとめるが、そろそろ「やりたいことレベル」の話に戻ろう。
なのでとにかく、レベル2の「他人を応援する」「他人を癒す」のときに用いる才能は、そのようにして理解するとよいだろう。
…さて、盛大に話が脱線して恐縮だが、レベル2の話はこんなところだろうか。
いや、ごめんなさい。まだありました。レベル2における失敗パターンと成功パターンについてです。
レベル2の失敗パターンと成功パターン
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レベル2においてありがちな失敗パターンは、「自分がまだできていないことを提供しようとする」です。
例えば、「自分がお金持ちになれてないから、お金を儲ける方法を売って儲ける」とかですね。これはマルチ商法とか情報商材でありがちなのですが、中長期的には99.9%うまくいかないので、やめておきましょう。恋愛したこと無いのに恋愛コンサルやるくらい、気持ち悪いです。うまくいくわけが無い。さらには自分だけ一時的に儲かっても、周りを貶めるので、人が離れて孤立し、取り返しのつかないことになります。
これは、「自分の精神が安定していないのにカウンセリングをやる」「音楽家として成功してないのにプロの音楽家養成の先生をやる」とかも一緒です。え、「人生を活き活きと生きていない人間が、子どもたちを導く学校の先生をやっている」のはどうかって?言うまでものないでしょう。だから国がヤバいんですよ。
とにかく、自分の心の傷が癒えていないうちに何かをすると、かなりの確率で「害悪」になります。周りを道連れにします。自分が傷ついたから同じ環境の人を助けたいと思うのは、人の情だし、とても気持ちもわかるのですが、結果として良くない方向に転びがちである。
じゃあどうやって、自分の心を癒していくのか、あるいは成功パターンに持っていくのか。それは、「人助けをしながら、真実と向き合い、人の心を癒すことを通じて自らの心を癒す」です。
例えば
「自分には価値がない」という心の傷や思い込みを背負いながらやる「やりたいこと」は、「キミは価値がないからプログラミングでスキルアップだ!転職だ!頑張れ!」みたいなサービスになってしまう。また、「キミはそのままでは無価値だ」というメッセージを常に投げかけるサービスであるため、自分が本当は求めている世界観とは真逆のものを結果としてつくりあげてしまう。世界を救おうとして逆に滅ぼしているのと一緒である。
そしてそのようなサービスは人のコンプレックスを刺激するため一時的に儲かることがあるが、結局人のコンプレックスをより拗らせるだけで終わり、焼き畑農業になってしまう。あるいは社会の歪みをより加速させることになる。
一方でそうではなく「自分は自分のことを価値がないと思い込んでいる」ことをメタ認知し、なぜそうなったのかという過去のトラウマと向き合い、「本当はあるがままの自分を認めてほしかった、それを応援してほしかった」という自らの本当の願いに気づき、それを自己適用する、という「真実との向き合い」をするとどうなるか?サービス内容はガラッと変わりますよね。その人の真の願いや適性を引き出し、それに合わせたスキルアップの機会を提供するようなことをするはずです。そのためにAI診断を入れたり、テクノロジーを活用する。これなら持続可能なビジネスになりそうですよね。かつ、このようなサービスは、人の傷を癒し、それを通じて世界を自らが本当に目指す世界観に近づけることができます。
また、周りにそういう世界観で生きる人が増えるため、過去のトラウマとは真逆の環境が自分の周りに成立することになり、自分の心の傷が癒えていくのとに気がつくでしょう。
これがレベル2の成功パターンと失敗パターンの比較です。成功パターンは、客観的真実と主観的真実と向き合い、自らを癒し、他者を癒やし、世界を癒やすです。
なお、癒すとはどういうことか、古典心理学的な解説をすると、過去の失敗・トラウマ体験とは真逆の行動をして、ポジティブな結果を得るということです。
「本音をずっと受け取ってもらえなかった」というトラウマを背負って、「本音が話せない」という悩みがあるなら、真逆の「本音を話す」という行動を「安全な場所で」して、「本音を受け取ってもらう」という成功体験を何度も積み重ねる、ことで本音を話すのが怖くなくなる、というのが、古典心理学的な意味での本質的な「癒やし」です。
マッサージや音楽でも一時的に気が紛れて癒やされたように一瞬思いますが、大元が解決されていないので、また次の日には元に戻って憂鬱になってしまうのです。
なお、レベル2のやりたいことの成功パターンを積み重ねていくと、やりたいことをやっている本人がブランド化したり、提供するモノなサービスがアート化する傾向にあります。
特定の願いが強く込められたモノやサービスは、細部にまでそのこだわりが宿り、それを見たり触れたりしたりするだけで、その願いを想起させるほどのパワーを持ちます。
アイドルの細部のパフォーマンスだったり、ブランドバックのオーラだったり、政治家や経営者の雰囲気だったり、あるいはご利益のある神社仏閣のお守りだったり。
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なので、やりたいことをやる中で、存在そのもので強い影響が生じるレベルになるのが、レベル2のゴールとも言えるでしょう。じゃあ、レベル3は何なのか。そこらへんは次いきましょう
レベル3. 純粋幸福経験のおすそ分け
このレベル3は、コンプレックスなど殆ど関係無しに、純粋に自分が幼少期幸せだった世界観を再現しおすそ分けする「やりたいこと」です。
例えば僕なら、「毎日家で、出汁のきいたこだわりのご飯や祖父母から送られてくる鮮度抜群のアワビやイクラが食べ放題だった日々」は、問答無用で幸せでした。
なのでやりたいことは、「お腹いっぱいに、最高に美味しくて健康的なものを、食べられる食卓をつくる」になります。
これはトラウマによって封印されていなければ、最早「気がついたらやっている」レベルのやりたいことで、僕は自由が利く大学生の身分になってから、美味しいものが食べられるホームパーティーを何百回も繰り返しています。
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これを応用したり深めたり拡大したりすれば、「無限にできる仕事」になり、圧倒的な成果が生まれます。
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例えば人によっては「お父さんと小さい頃から沢山走り回って運動していた」という人は、ジムのインストラクターをやってめちゃくちゃ活き活きしていたり、
「両親と海外旅行に沢山行っていて、そのときは本当に楽しくて幸せだった」という人は、「海外旅行に家族で行きやすくなるような旅行代理店」を立ち上げたり
しています。
いきなりレベル3をやり始める人もいれば、レベル1やレベル2を経て自分のコンプレックスを成仏させてからレベル3に行く人もいます。
レベル1や2を経たからこそ身についたスキルや経験で、レベル3が独自路線で成長する、ということもあります。
レベル3に達すれば殆どの場合、一安心なのですが、人によってはレベル4または裏レベル3の世界に行く人もいます。
レベル3裏、あるいはレベル4、親や先祖や国や時代の無念をはらす。
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これは、ヤバいです。書いていいのかな。親や祖父母、さらにそのまた祖先、さらには地域や国や時代がやり残したこと、やれなかったこと、無念だったことをやろうとしたとき、人は爆発的なパワーを生み出します。
例えば、うちの父方のじいちゃん、兄弟のほとんどを栄養失調で亡くしているんですよ。じいちゃんの母親の身体も弱かったのもあって。
で、うちの父親、何になったと思います?産婦人科ですよ。ほんとは小説家になろうと思ったのに、導かれるように産婦人科になった。お母さんが病気で子どもの命が失われるのを見て「そんなのあかんやろ」って使命をいだいたらしい。
で、僕は齢35にして、何をやりはじめたと思います?栄養や食ですよ。人がいかにして活力あふれ人生を送るために、栄養や食をとるか。それを探究して事業化しようとしている。誰かが食べ物を残すのは絶対に許せないし、心の底から悲しくなる。そういう性質が僕にはある。
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あるいは、僕は小学生の頃から「日本を変える男になる」と卒業文集に書いている。ずっとどこかで「政治家などの公的な役割」をやるものだと思って生きてきた。その背後にあるのは「父方も母方も、曽祖父以前は3代続く政治家」だったことがある。ただ、政治家をやってお金を配り過ぎて、家が貧しくなり、家族が皆苦労したという経験が一族にはある。その無念をはらすべく、僕は家族も幸せにできる政治家のような存在になりたいと心の底から願っている。※なお、先祖を赦したり、自分の一部だと認めたとき、ここらへんの素養が開花しだす傾向がある。
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あるいは、うちは親が喧嘩ばかりの家だったので、穏やかに心をかよわせてずっと仲良くいられる家庭を僕はつくりたいと、強く強く思っているし、そういうパートナーを選ぶことをしている。
あるいは、僕の母方の祖母は奉公に出されて、苦労しながらも旅館の仲居さんをしていたようだ。そのホスピタリティは母に受け継がれ、僕に受け継がれ、場づくりの才能に明らかに活きている。
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あるいは、僕が今日本を変えるために「本当にやりたいことを見つけよう」とういう教育活動をしているのも、実は「日本がかつて抱えた業」の精算に近い。
日本は黒船襲来や敗戦を通じて、自らのアイデンティティを見失ってきた。あるいは欧米に合わせて、合わせざるを得なくて、文化、宗教、食、医療、憲法まで、様々なものから「日本的なものの真意、本音」が失われつつあった。その姿は、本音を発せず苦しんでいた、かつての自らの姿と重なる。
これらのような、国が抱えた業、時代が抱えた業を自らの業に重ね、祓おうとするとき、人は心の底から「国を変える」「時代を変える」という言葉を発することができる。それが、やりたいこととなる。
そのように、先祖や親や国や時代を遡ってエピソードを遡れば、自分に眠っている「やりたいこと」がバンバン出てくる。普通多くの人はそこまで目覚めることはあまり無いのだが、これに気づいて受け入れてしまった人は、このレベル4あるいは裏レベル3のやりたいことに対して、莫大なエネルギーを湧き上がらせることになる。
なお、面白いのが、このレベル4の段階までいくと、感情が「無」になるのが面白い。レベル1や2や3をやっているときでは「ワクワク」や「幸せ」といった感情が湧き上がってくるのだが、レベル4になるともはや「無」である。「これが私の使命だ」という感覚に近く、「やるべきだから、やる。そこに感情も何も無い。」というイメージだ。
この感覚は僕個人だけのものではなく、自分の使命に生きる人の多くがこの感覚で「やりたいこと」をやっている。もはや「やりたいこと」なのかどうかすらもわからない。
神様がいるなら「神から与えられた使命をただやっている。」という表現をする人もいるだろう。
…だいぶ長くなってしまった。
以上が、「やりたいこととは何なのか?」という問いに対する、今僕が見えていることである。
この前提の上で、記事のタイトルに戻る。「なぜ人は、やりたいことができないのか?」だ。
皆さん、どう思いますか?どうしてだと思いますか?なんとなく感じるところはあったと思いますが、次の章から解説をはじめていきます。
と、その前に。
やりたいことができるようになるために、私達が歴史上してきたこと
を話ししておきましょう。
コラム やりたいことをやろうとしてきた、私たちの歴史
有史以来、私達は「やるべきこと」をやってきた。私達の生活の殆どは狩猟採集に依存し、日々を生き残ることに必死だった。もちろん、職業を選ぶ自由なんて殆ど存在しなかった。江戸時代になっても基本的には「親の仕事を自分もする」が生き方のスタンダードであった。
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しかしながら私たち人類は、農業革命や産業革命を通じて様々な文明の利器を発明し、「やりたいことができる」ようになる努力を続けてきた。
たとえば
・家事をめちゃくちゃ楽にしてくれて、やりたいことをやるための時間のつくってくれる「洗濯機・電子レンジ」
・どこでも行けるようになる「飛行機」
・欲しい情報が何でも手に入る「インターネット」
・自分のやりたいことにお金が集まる「クラウドファンディング」
・自分の心のもやもやを晴らしてくれる「カウンセリング」
などなど、
私達は特にこの二百年で膨大な数の発明を実現し、結果、一見すると「やりたいことを叶えるためのツールは全て整っている」ように思えようになってきた。
少なくとも縄文時代の人から見たら「なんと天国か」と思わざるを得ないほど「便利」な世の中になった。
…それでも私達が「やりたいことをできない」のはなぜだろうか?
謎は深まるばかりである。
次の章では、その深淵に少しずつ足を踏み入れていく。まずは私達がよく使う「やりたいことができない」「言い訳」について見ていきたい。
なお、「やりたいことが見つからない」という人のために、「本当にやりたいことを見つけるための手法」をここに置いておく。
【必ず、自分のやりたいことを見つける方法】
伝家の宝刀のような方法につき、取り扱い注意である。`自分の心の奥深くから、先祖レベルまで遡って自分の志向性を網羅的に把握し物語にしていく。これを真剣にやって「やりたいことが見つからない」ということは殆ど無いだろう。
実際に3000人以上がこの手法を用いて自分のやりたいことを見つけている。これもまた現代が生み出したテクノロジーであり、もはや「やりたいことが見つからない」という悩みは過去に帰していると言えるだろう。
…話を戻そう。次の章から見ていくのは、私達がやりたいことができない理由、その言い訳についてである。
第2章 やりたいことがやれない。そんなときに使われる「言い訳」たち
「やりたいなら、やればいいじゃん」という無慈悲なジャックナイフのような言葉に対して、私達は幾重もの防護策を講じている。以下の言い訳がその正体だ。
「だって、お金が無いから」
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「お金が、無いから」
やりたいことをやれない理由ナンバーワンは、これだろう。
今の世の中、お金が無ければ何もできない。留学も、旅行も、起業も、場合によっては結婚も。
「お金」というものが高いハードルとなって私達の目の前に現れる。
「お金」は私達がやりたいことをやらないための、格好の言い訳だ。
お金がなければ生きていけない、という強迫観念は、私達の挑戦を阻むのに十分すぎるほどのパワーをもっている。
自らの生存リスクを下げてまで人は挑戦できない。それが今までの定説だった。
しかし結論から言うと、この何十年可でその言い訳はほぼ使えなくなくなった。あるいは別の問題とすり替わってしまった。どういうことか。
例えば代表的な例として昔は
「お金がないから大学に進学できない」というものがあった。
しかし近年の国の政策で「一定の意欲と成績があれば、返さなくていい奨学金がもらえて、実質大学が無料。」となった。お金が無くてもやりたいことできるじゃん。
そもそもなのだが、学び自体も無料に近くなった。
大昔前は一冊の本が人の1ヶ月分のお給料みたいな時代もあった。しかし現在はどうか。
youtubeではあらゆるジャンルの知識が無料で学べるし、Asukaアカデミーでは世界の大学の講義が無料で日本語で学べる。なんなら最近は無料のchatgptが何でもわかりやすく二十四時間教えてくれるようになった。
ただし、学びたいことが具体的で、学ぶための時間を取れば、だが。
留学も、かつては百万円単位のお金がかかった。しかし今では無料にもなるようになった。
「トビタテ!留学JAPAN」のような奨学金により、自分のやりたいことに熱意と計画性があれば、ほぼ無料で留学に行けるようになった。
熱意と計画性があれば、だが。
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起業するためのお金も、かつては何百万円も必要だった。しかし今は資本金1円からはじめられる。最初の自分のお給料や機材も、銀行から無担保で借りられたり、ベンチャーキャピタルというところから返さなくてもいいお金を何千万円ももらえたりする。
もちろん、起業するアイデアと計画と仲間と行動力があれば、の話だが。
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それより手前の、やりたいことをプロジェクト化するためのお金も、クラウドファンディングや配信の投げ銭で賄えるようになった。
新しいお店のopenや新しいガジェットの発明には、数百万円、数千万円単位の金が集まる。また、ボランティアなどの経験をしたければ、財団や大学が数十万円単位でお金を出してくれるしくみがある。
もちろん、それらを起案し実行するための「やる気」「行動力」があればの話だが。
美味しいものを食べたり、世界一周をするためのお金も、みんなから集められるようになった。
もちろん、沢山のフォローワーがいて、学びや経験を楽しくシェアできたり、社会的な意義に結び付けられれば、だが。
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子どもの時期の様々な体験も、NPOや行政が無料に近い形で実現できるよう、努力をしている。
…もちろん親がそのような意志を持ち、情報を集め、時間を捻出することができればの話だが。
IT器具や道具やITソフトウェアも、法人さえ持っていれば、国が補助金などで半分以上賄ってくれる制度がある。NPOなどの活動費も助成してくれる財団がたくさんある。
もちろん、ちゃんと実績を積み重ねていれば、の話だが。
また、純粋に自分のお小遣いが欲しい場合などでも、勤め先に関わらず(公務員を除く)、クラウドワークスなどで自分が得意なことでお金を稼ぐこともできる。スキルが貯まれば、より高単価な仕事を受けれれる。スキルを身につけるための教材も、動画で無料で落ちている。スキルがなくてもスキマ時間にタイミーなどで稼ぐこともできる。
もちろんそれをやる気力と時間と体力があれば、の話だが。
…いかがでしたでしょうか?現代社会において、「やりたいことがやれない。なぜならお金が無いから。」という言い訳は、ほぼ通用しなくなってしまっています。
なぜなら上記のような奨学金やしくみが社会に整ってしまい、特定の条件を満たせば「自分のやりたいことにお金がもらえる」ようになってしまったからです。
ただしかし、それらのしくみにより、私達は「お金が無いから」の代わりとなる別の「言い訳」を使えるようになりました。
具体的には、お金を得るためのしくみを使うためのものです。つまりは…
「ワクワクや好奇心が少ないから」「時間が無いから」「体力がないから」「能力やスキルが無いから」「経験や実績がないから」「コミュ力が無いから」「仲間がいないから」「そういう空気じゃないから」「行動力がないから」「計画性がないから」「情報がないから」
などです。
これらは一見するともっともらしい「言い訳」のように見えます。しかしながら「お金の壁」すらも無力化する現代社会の前では、これらの言い訳はすぐに木っ端微塵に打ち砕かれます。
「ワクワクや好奇心は、いろんな体験すれば育つよね」
「何にワクワクするかは、ワークショップ付きの本や動画を見てやればいいよね。」
「自分の得意はストレングスファインダーを使えばわかるよね」
「能力やスキルは、得意に基づいてやれば身につくよね」
「足りない能力や知見は、人の力を借りればいいよね」
「実績も、無いならまずは小さくからつくればいいよね」
「仲間は、SNSで集めればいいよね。あるいは色んなイベントに行けばいいよね」
「所属するコミュニティの空気が合わないなら、コミュニティを変えればいいよね」
「発信内容はAIでつくればいいよね」
「計画も社会的意義付けも情報取得もAIでできるよね」
「自分の心も、メンタルモデルの本で変えられるよね」
「相談も、カウンセラーがたくさんいるよね。」
「他人に相談するのが苦手なら、AIがカウンセリングできるようになっているよね」
「気持ちが乗らないならコーチング使えばいいよね」
「体力がないなら、youtubeの無料エクササイズ動画や自炊動画を見て健康法をやればいいよね」
「ヨガもピラティスも筋トレも全部無料でやり方手に入るよね。」
「安くて健康的な食べ物や料理方法も、全部すぐに無料で手に入るよね」
「色んなことの身につけ方はyoutubeにあるよね。 」
「というか、わからないことはほぼすべてChatGPTが教えてくれるよね。」
などなど、あらゆる「言い訳」は現代社会の前では瞬時に打ち砕かれます。あらゆる言い訳には全て「解決方法」が存在し、もはや「やりたいことをやれない理由」には説明がつかなくなってしまいます。
そして、どうしても「言い訳」をしたい私達は、最終兵器を持ち出します。※多くの人はこの最終段階にいたらず、上記の様々な言い訳を持ち出し続けるのですが…
究極の言い訳
それは
私はやりたいことができない。なぜなら「やりたいことをやるための「あらゆること」をするための「勇気」や「覚悟」(あるいは「本気」「やる気」)が無いから」
です。
…ふむ。それはたしかに、仕方がない。全ての外的環境を取り除いた最後の勇気と覚悟(本気やる気)だけは、完全に個人の内面的なものなので、他者とか環境は、介入の余地がない。逆に勇気や覚悟さえあればあらゆる全てのしくみを使い、少しずつやりたいことができるようになる。しかし「勇気や覚悟」がない場合、それらのしくみが全く機能せず、私達は「やりたいことをやらない自分」でいることができる。
漫画やRPGでもてはやされる「勇者」という職業がなぜ特別なのかが、よくわかる。彼らはレベル1の貧弱で装備も仲間もない状態で「魔王を倒す」という覚悟を決めて旅立つのだから。そして結果、周りからあらゆる支援を受けて様々な経験をして成長し、結果として魔王を打ち倒すのだから。勇気の大切さがよくわかる。勇気と覚悟さえあれば何でもできる、という一見するとただの根性論が、にわかにリアリティを帯びてしまう。あらゆる文明の利器を発達させた我々がたどり着いた境地が「勇気と覚悟があれば何でもできる」という精神論なのは、あまりにも皮肉である。…いやもしかしたらそれが本質で、立ち戻るべき場所に戻ってきただけなのかもしれない。
しかし私達は次の問いを考えなくてはいけなくなった。
なぜ私達は勇気や覚悟を持つことができないのか
あるいは
どうすれば勇気や覚悟を持つことができるのか
という問いだ。次の章ではこのお題を掘り下げていく。
第3章 なぜ私達は勇気と覚悟を持つことができないのか
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この問いを考える前に、とある前提を話をしておきたい。それは「ここで考えたい勇気や覚悟とは、マイクロ勇気くらいのほんの小さなものだ」ということだ。具体的には、「好きなものを口にしてみる」くらいのものだ。専門的には「自己効力感」という言葉と似ているが、それよりももっと小さいレベルのものだ。
ちなみに今から長い余談に入るのだが、
「大きな勇気や覚悟はすぐに出てくるものではない」、ということをぜひ覚えておいていただきたい。
例えば
「この仕事に転職するぞ!」
とか
「このプロジェクトを本気でやり切るぞ!」
とか
「住み慣れたところを引っ越して一人暮らしをするぞ!」
とか
こういう「大きな勇気や覚悟」がすぐに出てくることは、殆ど無い。
アタリマエのことのようだが、多くの人はこれを見逃している。見逃しているが故に、自分は動けない、やれない、とすぐに見切りをつけてしまい、動くことを諦めてしまう。
しかしながら世の中の勇気や覚悟を奮っている人を見ると、実は彼らは「勇気や覚悟」を「育てる」ということをしている。彼らの中には最初からすごい勇気や覚悟があるわけではない。実は彼らは自分の中にある勇気と覚悟の「種」を「育てて」いるのだ。
なんとなくやりたいと思ったら、人に会ったり、本を読んだり、体験してみたり、試しに作ってみたり、そういうことをして自分のワクワクの種を育てている。そしていつか大きな挑戦をする。
逆に多くの人は「種を育てるという視点がない」がゆえに大きな勇気と覚悟を持てず、挑戦ができない。そのような構造が存在する。
では、皆さんも気になる「勇気と覚悟はどのようにして育てるのか」ということを話したい別名「やる気・その気・本気理論」
コラム「やる気・その気・本気理論」
勇気や覚悟がレベル1のときは、別名「その気」くらいのものだ。
「なんとなく興味がある」
「なんとなくやってみたいかも」
それくらいだ。勇気や覚悟と呼ぶにはまだ全然心もとない。そのくらいのものだ。これがレベル1の状態だ。
ここからレベル10くらいまでに育てるには、
・ちょっとだけ人に話を聞いてもらう
・文字や図にして書き出してみる
・10分だけ検索してみる
・CHATGPT先生に聞いてみる
・同じことに興味のある知り合いを増やす
・そういう人がいそうな場に足を運ぶ
・実際に行ってみて興味があるものを体験する
・動画で見てみる
・本や記事を読んでみる
・自分が成功している姿をイメージしてみる
などなど。
イメージをしてみる、知り合いを増やす、アウトプットしてみるあたりが共通点か。
次のステージに行くにはこれらを何回もしていく必要がある。勇気や覚悟を育てるというのはこういうイメージだ。RPGのレベル上げに近い。具体的には、1レベルあげるのに上記アクションを5から10回、レベル10くらいまで上がれば、次のステージに行くことができる。
次のステージは勇気と覚悟レベル10くらいからで、別名「やる気」ゾーンだ。
「いっちょ試しにやってみるか」
「がんばってみるか!」
くらいの感覚だ。次のステージはレベル30くらいなんで、このやる気ゾーンでは以下のことを行っていくイメージだ。
・一緒にやる仲間を見つける
・応援してくれる師匠やメンターを見つける
・専門的な本や論文を読んでみる
・自分がやっていることを他人に説明できるようになる
・実際にやってみて試行錯誤する
・一定の成功体験をまずは一度経験する。
・他人から心からのありがとうをもらう
・なんなら報酬や対価をもらう
・それを何度か経験する
・他人から人を紹介してもらえるくらいになる。
これらも1レベル上げるのに5から10回経験して、レベル30くらいになれば次のステージに行ける。
次のステージは「本気」ゾーンだ。ここまで来ると世間一般の「勇気や覚悟」となってくる。
「これでやっていくぞ」
「やりきるぞ!」
という状態だ。
ここまでくれば一安心、大きな勇気や覚悟を手にすることができる。
以上が「その気やる気本気」理論なのだが、残念なことに日本中を見渡してみると、多くの人は「無気力(レベル0)」に近かったり、レベル1から10の「その気」ゾーンを脱出できないような状態にある。
すなわち
「10分も検索することができない」
「興味のあることを文字にできない」
という状態だ。
この記事を読んでいらっしゃる方には想像がつきにくい方もいらっしゃるかもしれないが、学習困難校などに行くと半数以上がこのような子どもたちだったりする。
なので今日本当に必要なのは
「10分だけ自分の好きなことを本気で検索する」「マイクロ勇気」のほうなのだ。
脱線が長くなってしまった。この章で考えるのは「マイクロ勇気」の生み出し方だ。
マイクロ勇気の生み出し方〜蓋を外していこう〜
結論を言おう。その方法とは「マイクロ勇気に蓋をしてしまっている原因を取り除いていけ」だ。
実はマイクロ勇気が発動しないのには、「蓋がされているから」という理由が、理論的にも現場経験的にも正しい。※詳しく知りたい人はハーバード大学のロバート・キーガンの「なぜ人と組織は変わることができないのか」を読んでもらいたい。
や
その蓋の正体は何か。
そう、「思い込み」だ。
あるいは「メンタルブロック」や「心のブレーキ」とも言ったりする。
例えば
「どうせ私にはできない」
「失敗したら怒られる」
「完璧にやらないと、認められない」
「自分の本音を言ってもどうせ受け止めてもらえない」
「自分の想いを伝えたら嫌われてしまう」
「自分のやっていることには、あまり価値がない」
「人一倍がんばらないと、うまくいかない、認められない」
「価値を出さないと、自分はその場にはいてはいけない」
「他人に任せるより、全部自分でやったほうがうまくいく」
「」
「やりたいことをやったら、一人ぼっちになる」
「本気になったら馬鹿にされる」
「どうせうまくいかなくて、惨めな思いをしてしまう」
「やりたいと言っても、どうせ誰かから止められる」
「他人に合わせないと、良くないことが起こる」
「周りからよく見られることを、優先すべき」
などなど様々な「思い込み」「メンタルブロック」「心のブレーキ」が存在する。人によって種類も数も強さもバラバラだ。これらによって人はコミュニケーションや仕事や恋愛やあらゆる行動にブレーキがかかってしまう。
例えば僕だったら
「人に自分の本音を話しても、どうせ受け取ってもらえない」という思い込みがある。
この思い込みがあるせいで彼女にも自分の気持ちを殆ど伝えることができず、「あなた、ロボットみたい」と言われて振られたことが何度もあった。
あるいは社長としてメンバーにビジョンを伝えるのをためらってしまい、チー厶が路頭に迷い、会社が傾きかけたこともあった。僕は、近くの人になるほど、本音を伝えられなかったのだ。
とにかく心のブレーキのせいで、僕はありとあらゆる場面で不都合なことが起きていた。それが僕の20代だった。
これと同じようなことが、ほぼすべての人に大なり小なりで起きている。
例えば
「自分の好きなことを口に出せない、発信できない」という人は、
その背後には
「どうせやってもうまくいかない」
「どうせ周りの人から否定される」
「どうせ周りから白い目で見られる」
のような「思い込み」「心のブレーキ」が存在していたりする。
これがマイクロ勇気に蓋をする最も有力な要因だ。ことあるごとに自分のやりたい行動を邪魔してくる、やっかいな相手だ。
多くの人は、この心のブレーキの存在に気づいてすらいない。ヘタをしたら死ぬまで気づかない人もたくさんいる。
気づいている人も、どうすればそのブレーキが緩まるかを知っている人はあまりいない。最近の認知行動科学の研究や実践の成果で、広まりつつはあるが、やはり全く一般的ではない概念だ。
となると、皆さんも気になってくることでしょう。どうしたら、心のブレーキを緩められるのか、あるいは無くすことができるのか、を。次の章ではここを深ぼっていきましょう。
第4章 ココロのブレーキの緩め方、無くし方
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本題に入る前に、ここまでの流れをおさらいしていきましょう。
やりたいことをやるための環境は、現代社会では実は既にほぼ整っている
↓
その環境を使う「小さな勇気や覚悟」が私たちには必要
↓
小さな勇気の発動を邪魔しているのが「心のブレーキ」という存在
↓
どうすれば心のブレーキを無くせるの?←今ココ
そんなかんじです。
では、心のブレーキの緩め方、無くし方について説明する前に、「心のブレーキの正体」について明かさねばなりません。
【心のブレーキの正体】
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「心のブレーキの正体」はズバリ、「過去のマイナスの経験の蓄積」です。
例えば
1歳から十八歳まで母親からずっと「あんたはどうせ何やってもうまくいかないから」と言われ続けた人は、どうなると思いますか?
当然「自分は何をやってもうまくいかない」という「思い込み」や「心のブレーキ」ができてしまいますよね。実際にやってみたら。うまくいくかもしれないのに。
僕の場合は、父親がアル中かつ全く話を聞かないタイプだったので、二十年間一緒に暮らして、一度たりとも自分の本音や感情を受け取ってもらえた記憶がありません。それどころか全ての会話で僕の話を遮られていたような記憶すらあります。そこには恐怖や虚しさや寂しさといった感情が付随しています。
なので僕には「本音や意見を受け取ってもらえない」という思い込みや心のブレーキが存在します。
さらに、心のブレーキは、自分のやりたいことやアクセルと対になります。「本音を受け取ってもらえなかった」というトラウマを持つ人は、やりたいことレベル1(前の章参照)では「本音を話さずに世の中を生き抜く方法」を提供し、レベル2では「みんなに本音を話をしてほしい。それを支援したい」というやりたいことを持ちます。忌まわしいはずの心のブレーキの元になった経験が、自分のやりたいことや得意なことを創り上げているという「コインの裏表」という現象が起きます。
さらにそれらをやっていくと「自分が本音を話さない、受け取らないことにより、物事が進まない」という自体に陥ります。すなわち物事を進めるにあたり、心のブレーキが邪魔して、「本音を話せるようになる支援をしているのに、自分が本音を話していない」という自己矛盾に陥ります。この矛盾を解消すると、自分もサービスもチームも変容し成長します。
ね、めちゃくちゃシンプルでわかりやすいでしょ。実際はもっと複雑なのですが、ロジックとしては単純で、こんなかんじです。
皆さんには、どんな過去のマイナス体験があり、そこからどんな心のブレーキが生まれ、そしてそれが自分のどのような行動を抑制し、それがどんな不都合な現実や状況を生み出していると思いますか?あるいはそれが自分のやりたいことやアクセルとどう関係していると思いますか?ぜひ一度考えてみてください。
じゃあ、なんとなく心のブレーキの正体はわかったところで、その緩め方無くし方を説明していきます。
その方法は大きく分けて3つあります。1つ目は「心のブレーキを生み出した過去の失敗とは、真逆の成功体験をたくさん積む」。2つ目は「心のブレーキを生み出した過去の失敗を、感情的に認め、感謝し、全ての関係者を赦す」です。3つ目は「身体的・意識的な技術で心のブレーキを一時的に気にならない状態にする」です。
1つ目に関しては、とてもシンプルです。古典的心理学の考え方に則り、「失敗経験を成功体験でうわがきする」という手法です。
対策1つ目【失敗経験を成功体験で上書きする】
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たとえば僕の場合なら「本音を話しても父親に全く受け取ってもらえなかった」という失敗経験があるため、僕の中には「本音を話しても受け取ってもらえない」「だから本音を話さない」という心のブレーキが存在します。
これに対して、その正反対の「自分が本音を話して受け取ってもらえる」という成功体験を積み重ねれば、当然心のブレーキは弱まってきます。
実際僕もこの心のブレーキに気づいてから6年くらいですが、意図的に成功体験を徐々に積み重ねることで本音を話すことへの心のブレーキは、体感90%減くらいになりました。
と、文字で書くだけでは簡単そうに見えますが、このプロセスはまったく容易ではありません。
なぜなら自分が怖くて嫌でしかたのなかった行動を、勇気をもって実行する必要があるのですから。
イメージは「毒リンゴを食べてぶっ倒れた白雪姫が、起きてすぐにまた「安全だよ」と小人に言われて渡されたリンゴを食べるくらい」勇気のいることだったりします。
この苦悩はその人の心のブレーキの強さ次第ではあるのですが、とにかくそう簡単にできることではないことを覚えていてください。
なのでこの「成功体験を積むための勇気ある行動をしやすくなるためのアクション」も存在します。
それが以下の2つ目と3つ目の「感謝と赦し」と「身体調整」です。
対策2つ目【感謝すること、許すこと】
![](https://assets.st-note.com/img/1719114440602-DEpsByN4yI.jpg?width=800)
2つ目の「感謝と赦し」に関してですが、前置きしておくと怪しい宗教的なものではありません。何千人もの人にセッションを提供し変容に伴走してきた経験と学術的な理論から「感謝と赦し」がめちゃくちゃ重要である、と言っています。
「感謝と赦し」の本質は何かというと、「過去の事象に対する肯定と受け入れ」です。それにより心のブレーキの大もとのマイナス経験を「マイナスではなかった」ことにしてしまうのです。
逆に「感謝ができていない状態」だと、そのリソースをフルに使うことができません。なぜなら「感謝をしていない」ということは、その存在から恩恵を受けていることを認められていないからです。すなわち「脳がその人を味方だと認識できていない」からです。
たとえば、親に感謝できていない人が、親と適切にコミュニケーションをとってそのリソースをフルに使うことができないのと一緒です。その対象は人だけでなく動物や自然も同じです。
また、「赦せていない」という状態は、自分の身を焼き焦がします。なぜなら「赦せていない=相手を敵やマイナスの存在だと認定している=常に警戒状態&戦闘・逃走モードに自分がなってしまう=自分の行動に歪みが出る&過度なストレスがかかる」からです。
なんとなくわかっていただけたと思うのですが、「感謝と赦し」、なぜこれが大事なのか。そしてなぜそれをするのが難しいのか。具体例をもって説明します。
例えば、あなたは二十年間父親から全く話を聞いてもらえなかった子どもです。父親はアル中で、家では父親が暴れ、喧嘩が絶えず、家に警察が来ることも何度もありました。あなたはそんな家のリビングを避けるように毎晩家の2階の部屋に引きこもりました。それゆえあなたは自分の想いや感情を表現することが苦手になり、愛着障害的な傾向もあり、人間関係や恋愛においても苦労することが大きく出ています。直そうと思っても感情が邪魔してなかなか直らない。これが無かったらもっと自分は仕事や恋愛で成功していたのに、と思うことが多々ある。
あなたはそんな父親に、感謝し、赦すことができますか?
「は、無理じゃね?」
「どうやってやんの?」
と思うでしょう。
そうなんです。だから難しいのです。
向き合おうと思っても、感情がざわめいて、考えることも難しい。感謝とか、赦すとか、ほんとに無理。それが正常な反応です。
だがしかし、特定のプロセスを踏むことで感謝と赦しを行うことができます。
以下にそのプロセスを記載します。
1、ゆっくりと話せる環境をつくる
過去の否定的な事象を引き起こしたモヤモヤする相手と、ゆっくりと話せる環境をつくります。電話でもいいのですが、リアルのほうがいいです。できればサシで、ゆっくりと話せる場所で、必ず2時間以上取りましょう。できるなら旅先とか飲み屋とか非日常の空間ならなおよしです。手土産を持っていくのもありです。これにより互いにリラックスして感情的にならない状況で話をすることができます。
2,相手の昔話をじっくりと聴く
モヤモヤする相手の先祖や生い立ちや幼少期、恋愛、結婚、子育て、それらのときの心情をじっくりと聞きます。できれば過去の否定的な事象が起こったときの状況も聞いて下さい。このプロセスが非常に重要で、これにより「過去の否定的な事象が起こった背景」をあなたが理解することができ、相手を赦すための準備が整ってきます。また、相手側も「自分を受け入れてもらえた」という安心感を抱くことができ、本音での和解に一歩近づきます。
3,心からの感謝をする
相手の昔話を聞けば、その相手が自分にしてきてくれたこと、愛してくれていたことがわかってきます。またそれにより今の自分のポジティブな能力や立場があることも、わかってきます。そうすると自然と感謝の念が湧いてきます。不安な人は事前に相手への感謝を30個くらい書き出してみておくとよいでしょう。そうすることで相手に対して心からの感謝をしやすくなります。その感謝の想いを相手に言葉として伝えることができれば、ここのステップは大成功です。感謝を伝えると相手は自分の話をしっかりと聞いてくれるようになります。
4,自分の本音と決意を伝える
次は過去の否定的な事象に対して、自分は当時どう思っていたのかの「感情」を伝えます。寂しかった、悲しかった、辛かった、そういった当時のありのままの感情を伝えます。次に「相手に当時本当はどうしてほしかったのか」あるいは現在進行系で相手に「どうあってほしいのか」という「期待」を伝える。最後に「期待が叶ったとしたら描ける明るい未来」を「意図」として伝えます。この「感情」「期待」「意図」の3点セットを合わせて「本音」といいます。加えて、その本音を踏まえて今後自分はどうしていきたいのかという、未来への決意を加えれば、完成です。
具体例を挙げると
「お父さん、僕はずっと20年間お父さんに話を聞いてもらえなくて、寂しかった(感情)。本当はもっと気持ちや想いを共有して、家族団らんの時間を過ごしたかった(期待)。そうしたら家族みんなで幸せな時間を過ごすことができた(意図)。だから僕はこれからはお父さんの本音を聴きたいし、僕も本音で家族とコミュニケーションをして、一家の団らんをつくっていきたい(決意)。」
のようなかんじです。
漫画や小説やアニメの一大シーンのような情景ですが、主人公が過去と向き合ったこの直後に、だいたい爆発的な成長をしたりしますよね。まさにそれと同じプロセスです。過去の精算による自分の認知構造の再編により、心のブレーキが無くなり、自分本来がもっているエネルギーが使えるようになります。
これを、自分がモヤモヤしている親兄弟姉妹に対してやります。1人にやるだけでも効果テキメンで、人格やコミュニーケーション能力やリーダーシップや行動力が劇的に変わります。さらに先祖レベルでしがらみを紐解いていけば、まさに自分が背負っている宿命がわかります。
ほんまかいな?と思う人も多いと思うので、そのリアルなストーリーを10本ほどここに載せておきます。https://note.com/ncsofficial/n/n1620459fe560
「ああ!そういうことか!」ということがわかると思うので、ぜひ読んでみてください。
なんならその勢いで上司やパートナーや友達と自分の本音で話すことをしてみてください。手法はここにまとめておいたので、ぜひ。これも劇的に自分の人生を変えてくれます。というか何千人も見てきて、「現実を変える一番わかりやすくてパワフルな方法」がこれです。
…さて、ここで皆さん疑問、不満が出てくると思うのです。
「親と向き合うのって、それ自体に勇気が必要じゃない?」
「勇気を出すために勇気が必要って、どういうこと?」
と。
安心してください。次の3つ目の「身体的・意識的手法」はほぼ誰でも、1秒から10分でできる簡単な「勇気」の出し方、蓋の取り方です。
自分のマイクロ勇気の蓋を取り外す方法3つ目。それは「姿勢」と「呼吸」と「意識」です。
対策3つ目【姿勢と呼吸と意識】
![](https://assets.st-note.com/img/1719115275966-p3b2JGHjDC.jpg?width=800)
こうやって書くと皆さん
「怪しい…?」
「宗教…?」
と思われる方も多いと思いますが、安心してください。この領域はかなり科学になりつつあります。というか臨床的に効果があるから、宗教的な伝統で「座禅」や「ヨガ」や「瞑想」の技術が残り続けているわけです。効果が無かったらとっくの昔に消えているはずです。
ではまずは、「姿勢が大事だよ」という話。結論から言うと「特定の姿勢をすると、勇気も覚悟も本気もやる気も2分で湧いてきます」という話です。
「は、ふざけんな」
「そんなの詐欺だろ」
と思うかもしれませんが、この論文を見てみてください。
ハーバード大学とコロンビア大学が行った姿勢に関する研究で、「マッチョ風なパワーポーズ」をした人と、「猫背でネガティブなポーズ」をした人は、2分間で脳のテストステロンやコルチゾールといったホルモンの出る量変わるという話です。すなわち「姿勢でやる気やモチベが変わりまっせ」という話です。
この研究は追試で妥当性が疑われているものでもありますが、やってみたところ、明らかに効果があるので、僕個人で研究も行なっていて、今までに500人ほどに色んな姿勢をしてもらい、その時の思考のネガティブ度合いやポジティブ度合いを測ったりしました。ハーバードの実験の10倍の数です。
結論、「マッチョなパワーポーズをしたから脳のホルモンが変わるというより、パワーポーズをしたときの骨盤の角度や仙骨への力の入れ具合、あるいは股関節の旋回具合や肩甲骨の開き方や足首の角度など複合的な要因が重なり連鎖し、血流や呼吸が変わり、脳内ホルモンの出方が変わる」というのが僕の臨床的な見解です。恐らく追試で明確なデータが出なかったのも、パワーポーズをする際の指示の出し方の微細な声のトーンにより身体の各部位への意識の入れ方が変わったからだと思われます。
なので極論「特段マッチョなパワーポーズをしなくても、腰椎、胸椎、頚椎、仙骨の角度を変えれば、呼吸が整い、やる気は出てくるし、ネガティブなことも考えにくくなる」という話です。
ここからはまだ科学では未検証な話題になるが
ここらへんの世界観の話は、頭蓋仙骨療法であったり、
ヨガやチャクラの話が近くなってきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1718070584711-lLNCCQaBSt.jpg?width=800?width=800)
https://m.facebook.com/soundsouls0/
※ちなみにこの10個の場所のどれかに自分の重心のような場所があり、そこに力をいれると普段の力の3倍くらい出るし、コミュニケーションも円滑になる、というとんでもなく使える技術なので、もし興味のある人はやってみてください。
あるいはこのらへんの話は合気道の達人が使う姿勢や腰の動きと一致します。
僕自身も合気道を3年ほどやっているのですが、恐ろしいことに「合気道として一番力の出る身体の使い方、腰や仙骨の使い方をすると、呼吸が静かに深くなり、一種の瞑想状態の意識になり、ストレスを感じなくなり、何でもできるような自信に満ち溢れる」という感覚があります。
また、その状態で「焼きそばパン買ってきて」と人にお願いすると、抵抗なく買いにいってくれます。
あるいは、その状態でワクワクのイメージを込めて「東京ドームで野球観に行こう!」と誘えば、ほぼ人は無条件についてきてくれます。
これも何百人もに実験してほぼ100%適用された他、僕以外の人もほぼ全員使えるようになったので、経験科学としてはほぼ真実であるように思います。
だいぶ長くなってしまいましたが、何が言いたいかというと、
「特定の姿勢をして、呼吸を整えれば、小さな勇気も覚悟も、本気もやる気も、ぜんぜん湧いてくる」
という話です。頼まれればオンラインでもリアルでも60分のワークで、勇気が湧いてくる無敵モードを身に着けさせることができます。早い人は5分でいけます。
…ところがどっこい、この「姿勢や呼吸」の技術は万能ではありません。弱点があります。
・取得は簡単だが、維持が難しい。
何百人もに教えたのですが、普通の人は10分維持するのも難しい姿勢です。インナーマッスルをかなり使うので、普段から姿勢が悪い人は10分やるだけでどっと疲れがでてしまいます。
・発動する勇気が持てない。
この姿勢は、10秒で押せる勇気ややる気を出すためのスイッチのようなものなのですが、そのスイッチを押す勇気が持てない人が、9割です。何百人に教えても、使いこなせている人は1,2割です。あとの人は「ネガティブな感情に押しつぶされて、スイッチの存在を忘れてしまう、または押さないという選択を取ってしまう」という現象が起きます。
・そもそもこの技術を取得するのは簡単だが、取得しようとする際に勇気と覚悟が必要
この姿勢と呼吸を取得するには、実は覚悟が必要です。脳のイメージを身体に徹底的に反映させることが必要なため、ネガティブな感情にとらわれてしまう人は「イメージをしない」「身体をだらだら動かす」みたいなことを、ワーク中にしてしまいます。あるいは、「めんどくさい」「やりたくない」と言いボイコットするときもあります。
これらが起こってしまう理由は、「身体や意識が、変わることを拒否している」「そのままでいようとしてしまう(恒常性)」という言葉で説明がつきます。ホメオスタシスとか呼ばれているやつです。
故にそもそも「勇気が出る技術を取得するために勇気が必要」というパラドックスがまた生まれてしまいます。
ですが、覚えておいてください。姿勢や呼吸でも、勇気や覚悟を生み出すことができるということを。
これが3つ目の心のブレーキの緩め方、外し方です。
いかがでしたでしょうか。この章ではマイクロ勇気の蓋をしている心のブレーキの緩め方外し方として、
「心のブレーキを生み出した過去の失敗とは、真逆の成功体験をたくさん積む」
「心のブレーキを生み出した過去の失敗を、感情的に認め、感謝し、全ての関係者を赦す」
「身体的・意識的な技術で心のブレーキを一時的に気にならない状態にする」
の3つを紹介しました。しかし、どの方法も「それをするのに勇気と覚悟がいる」というパラドックスが存在してしまいます。
このような問題に対して私達は、どうすればよいでしょうか。
実は3つ目の亜種で、「自分を労ることで、アクションに必要な勇気と覚悟の量を減らす」ということもできます。
対策3つ目裏【自分を労る】
例えば
部屋を徹底的に片付ける
温泉やサウナに入る
大自然で開放的になる
思いっきり運動する
心地の良い香りやマッサージや睡眠を体験する
などなど、自分を労ることで、心身と呼吸を整え、心のブレーキを緩めたり外すためのハードルを下げることができます。
![](https://assets.st-note.com/img/1718545169476-MJHmCg6Ci5.jpg?width=800)
勇気や覚悟の量を減らすためのアクションで、具体的には、ここに100個ほどリストアップしておいたので見てみてください。
…このように「ストレスを減らす」「心身を癒す」というアクションは、自分が前向きに活力あふれる人生を送るために、極めて重要です。しかし、お気づきの方も多いと思いますが、「それだけでは効果が薄い、あるいは一時的なその場しのぎ」にしかならないのです。根本的な改善には繋がらないのです。
理想は、そもそもストレスを感じないような楽しい環境に移ったり、ワクワクする挑戦をできるようになったりすることです。そのためにはやはり、やりたいことをやったり、ありたい姿であったりを続けていかなければいきません。あるいは、自らの本音に従い人間関係を築いたり、心の呪縛を解いたり、そういうことをしていかねばなりません。
やりたくない仕事をしてストレスを抱えて、その埋め合わせをするためにレッドブルやお酒を飲み続ける人が、どうして健康で豊かな人生を送れましょうか。
でも、多くの人がこの負のループに陥り、モヤモヤを抱えているのがこの国の現状です。そんな八方塞がりの状況です。
…ですが実はこの「八方ふさがり」が勇気の蓋を外すための「第四のカギ」だったりします。唐突なんですけど、裏技です。
対策4つ目【創造的絶望】
![](https://assets.st-note.com/img/1719115764182-pCAbW8tAP7.jpg?width=800)
「八方ふさがり」。これはまたの名を「希望ある絶望」、専門的には「創造的絶望」と言ったりします。
「希望ある絶望?」
「定義矛盾じゃん」
と思うかもしれませんが、そんなこともありません。わかりやすく言えば、「テスト前日、勉強したくなくて逃げ回っていたけど、深夜になって「もうこのままじゃダメだ。勉強しなければ永久に赤点から逃れられない。数時間でも足掻いて勉強するしかない。そうすれば何とかなる可能性がある。」と覚悟を決める状態」です笑 意外とそらで赤点回避できるんですよね笑
詳しくはこの論文とかを見ていただきたいのですが
要は「このままの心のブレーキを発動させまくりでわけわからん行動をしている自分じゃ、なにをどう足掻いても悪い方向にしか転ばない。自分は変わるしかない。」ということを論理的に自覚し、絶望するということです。
このように、前向きか未来のために、現状の行動パターンがもはや機能していないことを絶望し、諦めることができれば、人は自らを変えるための勇気や覚悟を持つことができます。これが、4つ目のカギです。
どうすれば前向きに絶望できるのか、と言いますと
・どうしようもなく追い込まれて自分で気づく
・カウンセラーやコーチに助けを求めて気づく
・ワークや本をやって気づく
・自然や温泉や開放的な環境、アートや表現で気づく
らへんがあるのですが、カウンセラーや本や非日常やアートで前向きに絶望するのにも勇気が要るとしたら、あとはもう「どうしようもなく追い込まれる」しかありません。
しかし。運良くそれで気がつける人もいると思うのですが、追い込まれると、かなりの人が適応障害やうつ病になります。僕もそれでダウンしたことがあります。なのでオススメはしたくないのですが、じゃあそれ以外の方法で、当時僕が気づけたのか、向き合えたのかと言うと、当時の自分を思うと微妙なところではあります。なので凄く難しい問題です。
ですが、一つの選択肢としてはありです。「意図的に追い込まれる」は前向きに絶望し、自分を変える鍵になります。カウンセラーや本や非日常やアートも、むしろ追い込まれることで威力を発揮しやすくなる場合もあります。
さて、そろそろ長くなってきたので、ここまでの話をまとめていきましょう。
やりたいことをやるための環境は、現代社会では実は既にほぼ整っている
↓
その環境を使う「小さな勇気や覚悟」が私たちには必要
↓
小さな勇気の発動を邪魔しているのが「心のブレーキ」という存在
↓
どうすれば心のブレーキを無くせるの?
↓
成功体験を積んだり、周りを赦したり、身体や呼吸を整えたり
↓
それをするのにも勇気がいる
↓
「前向きに絶望」することで、自分が変わる契機となることもある。←今ココ
です。…困りましたね。このままだと、「やりたいことをやるには、前向きに絶望せよ。」になってしまいます。
別の方法は、無いのでしょうか?もっと自動的に、オートマチックに、勇気が湧いてくる、そんな裏技は。
「そんな虫のいい話は無いだろ」
「そんなに世の中甘くない」
など、そんな声も聞こえてきます。
…あります。あるにはあります。裏技。それは、コミュニティと食です。ただ、これらも取り扱い注意なものなので、詳しく解説していきます。
コミュニティの力。それは人に恐るべきパワーをもたらします。
例えば、イーロン・マスクと孫正義とフリーレンと炭治郎が、あなたの親友だったら、あなたはどうなりますか?
めちゃくちゃ勇気と覚悟が出ますよね。別にスキルとか能力の有無関係無しに「やったろう」「なんかに挑戦しよう」という気になるじゃないですか。
そうなんです。コミュニティというか人と人とのつながりは、「常時バフ」のようなパワーを人にもたらします。
ただ、逆にそれらがマイナスに働くときもあります。例えば「親や恋人や親友全員が自分のやりたいことに否定的で反対してきたら」、あなたのやる気はどうなりますか?マジでさがりますよね。
そういうことです。人とのつながりは「デバフ」にもなり得ます。
さて、皆さんは「バフ」と「デバフ」それぞれ、何種類、どれだけついていますか?
やる気の総量を上げたければ、デバフをもたらす人間関係を減らして、バフの人を増やせばいい。
勇気ある人に触れれば、エネルギーが湧いてくる コミュニティに入れ。
居場所、自分を出す、受け入れる 宗教はだめ
勇気ある色に触れれば元気が出てくる
殻を破るのは、時期がある
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