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小川洋子「刺繡する少女」

あらすじにまとめると何ともない短編である。末期がんの母親を持つ30歳ほどの僕が、最期が近づいた母親の看病をするため何週間かの休暇をとりホスピスで二人過ごすことになる。ホスピスで何日目かのある日ホスピス内のボランティア室で、20年ほど前に別荘で出会った少女との再会を果たす。

その少女はよく刺繡をする少女だった。僕は母親の死を目前に控え心理的に不安定である。段々とやせ細り、衰弱していく母親を前に不安な気持ちはどんどん膨らんでいく。だけど、同時に、〈刺繡する少女〉との記憶が、彼を癒してもいく。母親の死と同時に彼女も消えてしまうが、母親が使っていたベットには最後彼女が刺繍したベットカバーが残っている。という話。

刺繡、縫い合わせる。縦糸と横糸。織物を作りあげるということは、テクストを作るということ。記憶には実体がない。だから決して彼女を触ることはできない。母親の死と同時に消えてしまうこと、そして不自然なほどに母親が彼女のことを忘れていることをどう捉えるか。

彼女は母親の少女性が抜け出した存在なのではないかという意見があった。母親のがんは乳がんでありこれは女性性の欠落と読める。母親の肉体は元気なころと衰弱したものが対比されるが、少女は〈同じ〉であることが強調される。

肉体はやがて朽ちるが、記憶の中の存在は色あせることがない。そんな記憶で、哀しい出来事を「カバー」してあげる。そんな風にして、人は悲しみに向き合っているのであろうか。

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