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ありがとう、そしてさようなら

とても思い入れのある入居者さんが昨日お亡くなりになりました。心からのご冥福をお祈りするとともに、僕の想いを記事にさせていただきました。長くなってしまいましたがご一読いただけたら幸いです。

こんにちは、コッシーです。


さて、僕はこう見えて介護事業部全体の統括責任者をやらせていただいております。さらに入居施設の施設長も兼務しており、さらにさらに本社の事務部の責任者も兼務しております。もっと言うと人事部の責任者も兼務しております。#意外と偉いんだよ

そんな兼務おじさんの僕ですが、実は1番最後に就任したのが入居施設の施設長になります。3年程前に当時の施設長が退任した際にその後任として僕が兼務をしました。兼務した理由や背景はありますが、今日の記事とは直接は関係ないので割愛いたします。

僕が施設長に就任して初めての入居者がHさんご夫婦でした。H夫婦はお二人とも90歳になろうかという頃にご入居されました。うちの施設ではお二人を愛情を込めて『お父さん、お母さん』と呼ばせてもらっていますので今日の記事ではいつものように呼ばせてもらいます。


Hさん夫婦はとても仲が良く二人の息子さんが結婚して家を出てからもずっとお二人で仲睦まじく暮らしていたそうです。

しかしある日お母さんが庭先で転倒し頭を強く打たれて入院されました。診断名は脳出血でした。手術が行われて命の別状は無いもののすぐには退院できる状態ではありませんでした。

今まで家事を全部お母さんに頼っていたお父さんはとても1人で暮らしていけるような状況ではないようで、長男さんと一緒にうちの施設にご見学に来られました。

初めましての挨拶の時に「今日からこちらでお世話になります。Hです。あとで家内もきます。よろしくお願いします!」と大きな声で言われており、息子さんから「ちょっ!まだ決まってないから!」と慌てて訂正されており、3人で笑ったことが思い出されます。

お父さんはうちの施設を気に入ってくださりすぐに入居が決まりました。入居初日の夜に床に落ちていた万歩計をゴキブリと間違えて「ゴ、ゴキブリがいます!すぐに来てください!」と半泣きでナースコールをされたことは笑い話として今も語り継がれています。


お父さんや息子さんはお母さんもうちに入居させたいとご希望されていましたが、当時のお母さんの状態を考えると判断がとても難しかったです。

お母さんは入院前から弱っていた足腰が入院によりもっと弱くなり歩けなくなってしまいました。さらに認知機能も著しく低下してしまっており、重度の短期記憶障害によりついさっきの出来こともすぐに忘れてしまう状態でした。入院中に介護認定の区分変更を受けて【要介護4】が出ていました。

費用面や生活面のリスクを考えると、いわゆる住宅型と言われる割と状態が軽い方が入られるうちのような施設よりも、介護付き有料や特定施設と言われるような介護度が重い方が入られるような施設に入居された方が良いと思われました。

しかし、「家内は一緒じゃないとあかん!」というお父さんの強い希望によりお父さんにより2ヵ月遅れてお母さんがうちに入居されました。


とても仲が良いお二人ですが、どちらかというと…いや誰がどう見てもお父さんの方がお母さんを大好きでありお母さんの方は結構クールでした(笑)

うちの施設は夫婦部屋が無いためお二人それぞれお部屋があります。とは言ってもお向かいのお部屋になりますので、行き来は簡単に出来ます。いつもお部屋を訪ねるのはお父さんでお母さんから「お父さんの部屋に行きたい」と言われることは1度もありませんでした。#お父さんどんまい

おそらく昔からそうなんだと思いますが、お二人は本当にカカア天下で、いつかのおやつの時間の際には、お母さんが突然「ここのお支払い全部お父さんにつけといてください」と言われ、それを聞いたお父さんがビックリされるということもありました。#お父さんどんまい

また、ここ1年くらいお父さんの歩行が不安定になり歩行器を使い始めました。ゆっくりながらも歩行器で一生懸命歩くお父さんに向かって、「ヨボヨボじいさんが来たわ」と厳しい一言を浴びせて、スタッフや他の入居者の爆笑をさらっていきました。#お父さんどんまい

そんなお父さんに厳しいお母さんのことをお父さんは本当に大好きで、息子さん達からもらったお菓子を夜な夜なお母さんの部屋に忍び込みこっそりあげてスタッフから怒られたり、外に出たいというお母さんを連れ出そうとベッドから車イスに移乗を試み失敗して二人とも倒れてしまい、スタッフや息子さんから怒られたりしていました。#お父さんどんまい

僕らスタッフはそんなH夫婦のやり取りに本当に心が癒されており、みんなお二人が大好きでした。こんな穏やかな日々がずっと続けば良いと思っていました。


しかし、残念ながら永遠は存在しませんでした。

昨年12月、お母さんはベッドから起き上がる事が出来なくなってしまい、食事はおろか水分も口から摂取できない状態になり入院されました。口からご飯を食べれるようにリハビリを試みておりましたが、先月の半ばそれも難しいと先生から判断をされ、今後は点滴及び鼻腔からの栄養摂取にて対応していくことになりました。

そうなると必然的に看護師が常駐している施設でしか対応ができないということでうちの施設からの退居が決まりました。

お父さんは落ち込みましたが、息子さんから「コロナが明けたら会えるから」と言われて退居に反対はしませんでした。

お母さんにお荷物を片付ける息子さんを寂しそうに見つめるお父さんがとても印象的でした。

退院して別の施設へ転居予定だったお母さんでしたが、状態がさらに悪くなってしまい退院が延期されてしまいました。コロナ禍のためお見舞いもままならず、詳しい容態が分からないお父さんはとても心配されていました。


先日の金曜日、息子さんから連絡がありました。

「病院から連絡をもらい、母は今日が山場とのことです。面会許可が出たので父を連れていきます」

お父さんは息子さん達と一緒に病院に行きました。久しぶりに会うお母さんにたくさん声をかけていたそうです。お母さんはしゃべる事はしませんでしたが頷いているようだったそうです。

「大丈夫だ。何も心配いらんからな。大丈夫だ」

そう声をかけるお父さんに息子さん達は涙を止められなかったそうです。

結局その日は安定したため一旦施設に戻られました。そして昨日の早朝でした。


お母さんは静かに息を引き取られました。


病院から駆けつけてくれた息子さんから朝食途中に訃報を聞いたお父さんは人目もはばからず声を出して涙を流されました。

お母さんの名前を呼びながら泣かれる姿に僕は声をかけることが出来ず、ただ背中をそっとさする事しか出来ませんでした。

お父さんは朝食後すぐにお母さんのところに向かわれました。

お母さんと対面したお父さんはまた涙を流されましたが、その表情はどこか吹っ切れたようだったとのことです。

「頑張ったな。本当によう頑張ったな」

そんな風に声をかけていたそうです。


本日、お母さんの告別式が行われました。

僕は入居者がお亡くなりになった時には、ご遺族から出席をお願いされた時のみ参列させていただくようにしています。

最期をお見送りさせていただきたい気持ちはありますが、身内ではない自分が参列を希望するのは差し出がましいという思いからそのような対応にしています。しかし、今回は僕の方からご家族に参列をお願いさせていただきました。

僕は全ての入居者の方が大好きでその気持ちにウソ偽りはありません。しかし初めての入居者であるH夫婦は僕にとってやっぱり特別な存在でした。

どうしてもお母さんの最期を見届けたいと思いました。

息子さんは快く了承してくださり、お父さんを連れて一緒にお母さんの告別式に参列してきました。


本当に穏やかに眠るお母さんを見て様々な思い出が蘇りやっぱり泣いてしまいました。

お父さんの「コッシーさんが来てくれたぞ。うん、そうか嬉しいか」という言葉にさらに泣いてしまいました。

告別式がしめやかに執り行われ後、参列者でお母さんにお花を手向けました。

お母さんの棺に親族の方々がお花を並べていきます。僕も一輪いただきお母さんの手元にそっと置かせていただきました。

お花を並べ終え出棺の時間となりました。最後にお父さんがお母さんに優しく語りかけました。

「今まで本当にありがとうなぁ…俺や子供達のことでずっと世話をかけっぱなしだったな。ゆっくり休んでな。ありがとう、そしてさようなら…」

お父さん、息子さん達、お孫さん達、ご親戚の方々、みんなが涙する中でお母さんはご出棺されていきました。

こういう言い方はふさわしくないかもしれませんが、本当に良い告別式だったと思いました。


お父さんお母さんとの微笑ましいやり取りが僕らにとって本当に癒しでした。お二人の息の合ったやり取りにスタッフはもちろんのこと入居者も楽しい気持ちにさせていただきとても感謝しています。ヨボヨボじいさんのことは僕らに任せて、どうか安らかにお眠りください。

お母さん、うちに入居してくれて本当にありがとう、そしてさようなら。


心からご冥福をお祈りいたします。


コッシー

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