【創作】夜行バス フーリン
かつてフーリンはバス会社一の人気者でした。
帳面町から東京まで向かうバスはフーリンの1台だけでした。
ゆったりとした座席で夜の間に目的地まで快適に運ぶその夜行バスはたくさんの人たちから利用されていて、他のバスたちにとってもフーリンは憧れのバスでした。
「俺もフーさんみたいにたくさんのお客さまを乗せたいな!」通学バスのビシャはそう言っていつもフーリンの後ろをついていきました。
「まるでベッドみたいに眠れるバスなんてお前くらいだよ」路線バスのシノーは先輩でしたがフーリンのことを褒めてくれていました。
「まぁ僕がいなきゃみんな東京まで行けないからね」
みんなから褒められるフーリンはまんざらでもない様子でした。自分が1番すごいバスだ、自分は特別なバスなんだ、と思っていました。
しかし、そんな時です。世界中で感染症が流行り始めました。
感染力がとても強いこの病気は瞬く間に広がっていきました。感染を防ぐために人々はほとんど外出をしなくなりました。
この帳面町も例外ではありませんでした。
学校も仕事も休みになりバスに乗る人はいなくなりました。フーリンもビシャもシノーもそして他のバスたちもみんな車庫でジッと停まったままでした。
やがて感染は徐々に収まっていき、少しずつですが日常が戻っていきました。
学校も仕事も始まり、ビシャやシノーはまたお客さまを乗せて走り出しました。
他のバスたちも以前のように走り出しましたが、フーリンだけは動くことがありませんでした。
感染症はまだ無くなったわけではなく東京ではまだまだその数は決して少なくありませんでした。そんな東京には怖がって誰も行こうとしませんでした。夜行バス用に作られたフーリンは他のバスのように日常で使うことができません。フーリンは他のバスたちがお客さまを乗せて走る姿をただただ車庫から眺めることしかできませんでした。
フーリンが走らなくなって3年の月日が経ちました。もう誰一人フーリンを褒めるバスはいなくなっていました。
ある日、一人の女の子が新人運転手としてやってきました。
女の子の名前は春ちゃん。春ちゃんは小さい頃からバスの運転手になるのが夢でした。
ようやく自分の夢が叶うと思っていた春ちゃんでしたが、なかなかバスを運転させてもらえませんでした。
春ちゃんはあんまり運転が上手ではありませんでした。お客さまを乗せるのはまだ危ないと社長さんから言われてしまいました。
落ち込む春ちゃんでしたが自分の夢を諦めたくはありません。運転の練習をして上手くなろうと思った春ちゃんはバスたちに頼みました。
「私に運転の練習をさせて!お願い!!」
しかしバスたちは春ちゃんの願いを聞き入れませんでした。「お客さまを乗せてヘトヘトなんだ」「ぶつけられたら嫌だもん」そう言って誰も春ちゃんを乗せようとはしませんでした。
困った春ちゃんの目に1台のバスが映りました。フーリンでした。
春ちゃんはフーリンが走っているところを一度も見たことがありませんでした。春ちゃんはフーリンに尋ねました。
「あなたは故障していて走れないの?」
「いや僕は故障してなんかないよ」
「じゃあなぜ他のバスたちみたいに走らないの?」
「ふん、みんな僕のような夜行バスなんかに乗りたくないってさ!」
ふてくされるフーリンに春ちゃんは言いました。
「だったら私に運転の練習をさせてよ!ずっとここにいても退屈でしょ」
「冗談じゃない!なんで僕が君の練習に付き合わないといけないんだ。ごめんだね」
「でもあなた走りたくないの?バスなのにずっと車庫に停まったままでいいの?」
春ちゃんの言葉にフーリンは何も言えませんでした。春ちゃんの言う通りフーリンはまた走りたくて仕方ありませんでした。無事に目的地に着いた時のお客さまの笑顔をもう一度見たいと思っていました。
「ほら、やっぱり走りたいんじゃない。決まりね!よろしくフーリン!」
フーリンは春ちゃんのお願いを渋々受け入れました。でも心の中では嬉しく思っていました。
それから春ちゃんとフーリンは毎日練習をしました。
「ほら!ハンドル切るのが遅いよ!それじゃあ曲がりきれないよ」
「分かってるって!」
「またウインカー出し忘れてる!危ないなぁ」
「うそ!ごめん…」
春ちゃんの運転はお世辞にも上手とは言えませんでしたが、フーリンとの練習のおかげで少しずつ上達していきました。
楽しそうに練習をする二人を見ていた社長さんはあることを思いつきました。ずっと休止していた東京への夜行バスを再開することにしたのです。
【春と風林火山号に乗って新宿に行こう!】
社長さんはフーリンに乗って新宿までの夜行バスで春ちゃんを運転手デビューさせようと思いました。
「いきなり夜行バスは危ない」「まだ感染のリスクがあるのでは」と反対する声や不安を言う人もいましたが、蓋を開けてみると予約はすぐに満席になりました。みんな心のどこかでは出掛けたかったのかもしれません。
春ちゃんは夢だった運転手になれる日が決まって嬉しく思いましたが、それ以上に不安な気持ちになりました。もし事故をしたらどうしよう…、万が一お客さまに怪我でもさせたら…考えれば考えるほど不安が募ります。
そんな春ちゃんにフーリンは言いました。
「春ちゃん、心配いらないよ。今まで僕は何百回とお客さまを東京に送り届けたけどただの一度だって事故をしたことはないんだ。僕と君なら絶対に大丈夫さ!」
フーリンの声に春ちゃんの不安はスーッと消えていきました。
「でもあなただって久しぶりにお客さまを乗せるんでしょう」
「あ、そうだった!」
ペロリと舌を出すフーリンを見て春ちゃんは笑いました。春ちゃんの笑顔を見てフーリンも笑いました。
帳面駅のある停留所。そこにはバスタ新宿行きのバスが停まっていました。
時刻は20:45、続々と乗客が座席についていきます。
運転手の女性は座席が全て埋まるのを確認してバスのハンドルを少し強く握りました。それに応えるかのようにブルンとエンジン音が鳴りました。
21時。運転席のマイクを女性が手に取りました。
「本日はご乗車ありがとうございます。21時帳面駅発、バスタ新宿行きフーリン火山号出発いたします!」
この日、4年ぶりに帳面町から1台の夜行バスが東京を目指してゆっくりと出発しました。
おしまい
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