見出し画像

知ってる?ママン No.67"忙しい日々と共に"

前回はこちら↓


引っ越して1年半が過ぎたころ町内会長を決める会議に参加。さすがに新参者の僕は選ばれないだろうと思っていたら風向きが怪しい・・・じゃんけんで決めることに・・・。

まあ、会場には100人以上いるから大丈夫と思っていたら・・・まずい・・・負け続けている・・・。最後の数人の中に入ってしまった。そこで一緒についてきた三男君を代打でだした。彼はくじ運がすごく良い。これなら大丈夫なはず☆

すると「パパ~、ごめん・・・勝っちゃった。」

「よかった~☆勝ってくれたんだね☆」と言うと

「ううん、違うの。最後は負けで決めるなんてよくないね。って勝った人が町内会長って言われて・・・で、最後まで勝っちゃったからパパが町内会長なの。」

「え~~~~~~~~~(;・∀・)」

代打にしなければよかった(-_-;)

仕方がない・・・そんなこんなで400世帯ある町内会の会長になってしまったのである・・・。

そこからいろいろと引継ぎや決めることなど大忙し。特に国勢調査の年だったから調査員の割り振りも兼ねつつ・・・。知らない人ばかりで困ったのであいた区間をみきさんに割り振った。

それからはコミュニティセンターのカギ当番や管理、行事等など週末がつぶれていく・・・。

そんな矢先、みきさんの妊娠が判明。大喜びも束の間、この市内だと一度でも帝王切開をしていると個人病院での出産も難しいらしい。隣の市でフリースタイル出産ができるところに決めたらしい

12月が予定日と言うことでまたまた楽しい妊娠ライフを楽しむみきさん。黒柴コウメちゃんの散歩と称して朝晩4キロのお散歩。

友人たちと楽しそうにいろいろなイベントを主催していく。僕も一緒に加わり幸せな時間が過ぎていく。

9月末に入り国勢調査の書類の配布を始めたみきさん。

数日かけて配り、終わったころにはヘトヘトの様子・・・。なんでもいつもお留守のお宅がいてそこの方に会うのに大変だったらしい・・・。

お腹の張りが増えてしまったみたいだ。週末にイベントが我が家で開かれるらしく・・・無理もしていたんだと思う。

翌日、強いお腹の張りで目が覚めたみきさんに起こされた僕は急いで病院に連れていくもそこの病院では厳しいとの判断。急いで大学病院に搬送されたのだ。

一番強い薬を入れても張りは収まらず・・・そのまま出産になった。30週のお腹の子を考えると一日でもお腹にいて欲しい。けれどもみきさんの体はもう限界のように見えた。

付き添っていて今回は本当に命の危機を感じた。途中でみきさんの意識が遠のいていったのだ。こんなことは今までなかったので物凄い恐怖だったのを覚えている。

みきさんも赤ちゃんも元気で一緒に帰るんだ。心の底から祈った。

赤ちゃんが出てきた・・・。小さい・・・。

NICUの先生が手際よく処置を行っていく。

「先生、ちょっとだけ触ってもいいですか?」

小さな小さな赤ちゃんにみきさんが手を伸ばした。

「生まれて来てくれてありがとう・・・。」

そして赤ちゃんはNICUに運ばれていった。

それから僕は毎日、赤ちゃんのところへ通った。一日、2回は絶対に行くと決めて赤ちゃんに触れて体をマッサージ。

三女ちゃんがNICUに入っていた時に看護師さんが教えてくれた。「触れれば触れるほど赤ちゃんは育つ。だからね、沢山触れに来てね。」そう言われて僕は三女ちゃんに沢山触れた。そうしたら彼女は日ごと育ち、元気に大きく育ってくれた。

だから今回も。途中、沢山のことが起きた。先生の説明を聞いてみきさんが号泣したことも。それでもその都度乗り越えてきたんだ。

12月になりようやく退院。2か月半、皆勤賞でお見舞いに行った。

退院するとみんな大喜び。ちいさなニューメンバーを大歓迎したのだった。


次につづく・・・

続きはこちら↓

______________________
最後まで読んでくれて、ありがとうございます☺︎
こそねさんちの自己紹介↓
https://note.com/kosonesanchi10/n/n90f1cd627bcd
Instagram↓
https://www.instagram.com/kosonesanchi10
こそねさんちの日常が載ってます。
気軽にフォローしてくれると、嬉しいです☺︎