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知ってる?ママン No.69"驚きと停止"

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人生初の育児休暇は驚きの連続。

額面の半分出ると聞いていた手当は上限がなんと・・・20万円。そして隔月ごとの支払い・・・。

ちょっと待ってね・・・この時の我が家は学費で月に15万円。差し引くといきなり5万円。一瞬、すぐに復帰しようかと思うくらいのムリゲーかと思った。

けれどみきさんは相変わらず笑っていて、う~ん、何しようか?と考えている。

そこからは整体、マクロビスイーツ教室などいろんなことをした。そして毎月何とか生き延びていった。

難航していたおうち探しも、温泉に入りに行った際に聞いてみたらなんと紹介してもらいお山の上の陽当たり最高なおうちに出会うことができた。

すべてが不思議で神様のおかげなのかも。

そんな風にしているうちに半年が過ぎ復職が決まった。今度は海なし県に異動。家から1時間弱で通えるということでこの支店での配属が決まったのだ。

ところが・・・思ったよりも管理職が育休を取得したことへの風当たりは強く・・・俗にいうパワハラが始まった。この支店では僕の前にも3名ほどこの方のパワハラで辞めているらしい・・・(;^ω^)

さすがに・・・きつい。育休明けで感を取り戻してはきたけれど・・・ここまでとは。8か月ほどたったある日・・・みきさんのお父さんとおばあちゃんをほぼ同時になくしたとき、このままでいいんだろうか?と足が前に出なくなった。

そして、そこから僕は立ち止まることに。世の中では「鬱病」と言う状態になっていたらしい。

眠れない、食べれない、何もしたくない・・・。この時の僕の様子。みきさんはおとうさんが重度な鬱病を経験していたので投薬はなしでと先生にお願いしたらしい。

バラバラになったピースをつなぎ合わせるかのように僕の存在を見せていくみきさん。本当に支えてくれたと思う。

生活費に困らないようにとすぐに傷病手当と言う方法を伝えてきたり、生活支援にはこんな方法もあるという社会的なセーフティーネットがあることも知った。

こんなことは言うのはあれなんだが・・・そういう支援を受けるのは恥ずかしいことだと思っていた・・・。何としても自分の力で家族を養っていかないと。と思っていた。

「助けてください」と言ったら社会はこんなにも受け皿があるのだと知った。

みきさんがなんでこんなに詳しいのかと言うと・・・結婚式の一週間前におとうさんが足場から転落し半身不随に。親方の仕事ができなくなり会社は倒産。住んでいた家も手放し・・・。その時、やはり最初はそういう支援を受けることは絶対に嫌だとおとうさんは言っていたらしい・・・。

けれども、生きていくのに恥じることなんてない。堂々と生きたらいい、どんな姿でも。とみきさんたち姉妹は言ったのだ。

この姉妹・・・本当にたくましい・・・。雑草のよう・・・。

その学びのおかげで僕も助けられた・・・。

「心からの衝動が出てくるまで休めばいい。今の自分がしたいことを飽きるまでしよう」

そうしているうちに僕の心は少しずつ自分を取り戻していった。

そんな矢先、妊娠が判明・・・。

休職中に妊娠なんて・・・と動揺するもみきさんは今度こそと喜んでいる。

そして久しぶりに家族たちの見守る中、産院で無事に出産することができた。五女ちゃんの誕生だった・・・。

次につづく・・・

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