自己責任論、ヤバいと思うんだけど(再掲)

(この記事は数年前に書いて削除したものです。ニンジンは今でも嫌いです。)


嫌いなものはニンジンと責任。木染維月です。

今回は昨今見られる自己責任論について書きます。





【破滅に向かってない?これ】

今の若い子(私もそうですが)、当たり前のように自己責任論を信じて生きている気がします。(知らんけど)
というのも、多様性が認められた代わりに各々が自分で多様化する責任を持たなきゃならなくなった、というかんじがあるからです。

皆が一律に同じようなことをしていれば法や世相が人を守れますが、多様化するとそうもいかないってことですね。否定されなくなった代わりに守ってももらえる範囲も減った、と言えばいいのでしょうか。

私はヲタクだけど一度もヲタクだからと馬鹿にされたことはないし、結婚も出産もしないともう決め込んでいるし、女の子だけど髪は短いし、多様性の恩恵は十分受けて生きていると思います。

でも世の中、多様化と共にもう一つ変わっていってるものがあると思うんですね、どちらかというとそっちが問題なんですが。


【平均値上がり過ぎ問題】

進学校じゃねぇんだぞ。やってられるか。

これは現代どうこうというか永遠に社会はこれだと思いますが、皆が思い描く「普通」「平均」の水準が上がりすぎて、ちょっと足りない部分があるだけですぐ「普通」になれなくなります。以前なら問題視されなかったような欠陥が、今となっては致命傷だったりするんですね。

もちろん「以前は致命傷だったけど今は認められるもの」もあります。それこそLGBTとか。多様性の時代ですからね。

じゃあ何かっていうと、これ、ADHDやASDが急増していることから見て取れませんか。

ADHDもASDも今や有名な発達障害ですし、その特徴は割と誰にでも当てはまるものが多いです。だから疑いを持つ人自体が増えている、というのもまぁありますけど。
正式には知能検査がありますが、診断書をもらう程度ならその診断基準は「生活で困っているか否か」だけです。その「生活で困っている人」が増えている。平均値が上がり過ぎているから。
そもそも診察代だって安くないですし、仮に診断が出ずとも、「病院に行こう」と思った時点でその人は結構困っているのでしょう。



【でも実はこれって仕方のないことで……(某メンタリストの画像)】

自己責任論は多様性から来たという話をしましたね。
でもこれって仕方なくないですか?

例えばそうですね、LGBTにしろヲタクにしろ何にしろ、「認め合おうね〜」「咎めないよ〜」というところまでは各々の意識や政府(同性婚を法的に許可するとか)が出来ますが。
多様化によってマジョリティ向けに作られた法ではカバーできないものも増えてゆきます。

その特性(マイノリティであること)は悪くない。
でも、そいつが悪くないからって、それによる生きづらさの責任を誰が取れる?国か?政府か?

実はこれって誰にも取れなくて……(例の画像)。

強いていえばこの役割は以前神が果たしていたのかもしれませんが、曰く神は死んだらしいので。



【ハ〜〜〜〜〜無理〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜】

AIは早く仕事を奪いに来い、俺たちの希望はそれしかない……(AIが奪えるのは単純な労働だけであり結局のところ学歴獲得戦争が更に激化を極めAIには代行できない職業の人間だけが今以上に使い潰されるところまで見えながら)

無理じゃん。よく近未来のSF漫画で見る共産主義(ディストピア飯が配給されたりするやつ)みたいになってもいいけど、AI動かしたり作ったりする人間と政治をやる人間のみ働くことにならん?それ。不可能では?

知らんけどな!
(木染には政治が分からぬ)



【最後に】

人生、無理!(大の字)

それではまた。

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