拝啓、カクヨム甲子園寸評アカウントくんへ(再掲)

(この記事は数年前に書き、削除したものの再掲です)


「拝啓」に「へ」をつけるのが誤用なのかググろうと思い始めて5億年が経ちました。木染維月です。

ヘッダーに寸評を載せることで有名な、通称「カクヨム甲子園寸評アカウント」氏。
私、今年のカクヨム甲子園に拙作『初恋』を出したんですが、知らないうちに寸評されてたのをフォロワーさんに教えて頂きました。

なんか色々言われたので、折角だし「なぜ『初恋』を出したのか」「特定の層に刺さったらしいあの作品は何だったのか」という話をしようかなと思います。

要は便乗ってことだな!


【カクヨム甲子園くんさぁ……】

カクヨム甲子園くんさぁ……高校生が全員爽やかな小説書くと思ってない?

って言いたくて出しただけです。マジでそんだけ。

寸評アカウント氏にも「レーベルに合わせて書くくらいのことはしろ」って言われました。たまにはまともなこと言うやんと思いましたね。

これに関してはわざとです。
合わせてないから意味がある(たぶん)。

受賞しようとか思ってません。予防線に聞こえると思いますけど、レーベルの趣旨に合っていないのだから当たり前だと思います。
(もちろんレーベルの趣旨に合った作品を出せば受賞するとか思ってるわけじゃありません)

周りの高校生物書きアカウント、健全な奴を何人見たでしょうか。少なくとも私の周りには1人か2人くらいしかおらん。
類友と言われてしまえばそれまでですが!!!(大声)

エンターテインメントとしての小説はさて置くとして、絵画や音楽と同ジャンルに属する小説、まぁ芸術とか文学とか言っちゃうと大袈裟かと思いますが、そういうものの役割って……? と言いたくなるわけですよ。
「宗教で救いきれなかった人間を救ってきたのがアルコールと芸術だ」って言うじゃないですか。誰の言葉か知らんけど。

そ〜〜〜〜〜〜れをさもさも貴様らがイメージする爽やか高校生が書いた感じの爽やか小説が全てみたいに言われちゃたまらねぇ。幸いにもカクヨム甲子園はちゃんと作品に目を通してくれるコンテストのようなので、出せば言わんとすることは伝わるかなァと思い出した次第。


【でも実はこれって仕方のないことではあって……(例の画像)】

そもそもレーベル側は文芸の意味とか考えて作品を選んでるでしょうか。

否(たぶん)!

そりゃ向こうだって商売ですから売れる物を売りたいでしょう。ただでさえ活字離れの進む世の中ですから。

カクヨム甲子園についてはあれの受賞作が出版されるとかではないので少し事情が違うかもしれませんが、そういうものを書く人材が育った方が都合が良いのは確かだと思うんですよね。

幾ら私たち(というか私)が「文芸が不健全なものを肯定しなかったら何が我々を肯定するんだ!!!(大の字)(クソデカヴォイス)」と宣ったところで、出版社が欲しいのは売れるものだけです。


あと今の世の中、宗教やアルコールや芸術にしか救ってもらえないフェーズの人間に、本を買って読む余裕(時間的にも金銭的にも)があるでしょうか。
ないんじゃね。僕ァ高校生だからよく分かりませんが。

つまり文芸としてやりたいことをやりつつ出版を目指すのであれば、『物語』としても面白いエンターテインメント性の中に『文芸』としてやりたいことを内包しなければならないのでしょう。

知らんけど(保険)。


【余談】

余談ですが、『物語』として面白いエンターテインメント性の中に『文芸』としてやりたいことを内包する、という点において天才の作家の話をしたいと思います。

三秋縋です。

私のツイッターからこの記事に辿り着いた人で三秋縋先生を知らない人はいないと思うので(ダイナミック偏見)、ここでは詳しい紹介は省きます。もし知らないって人は「三日間の幸福」という作品を読んでください。木染が一番好きな三秋縋作品です。

三秋縋作品の特徴としてよくそのハッピーエンド観などが語られますが、ストーリング苦手マンとしては、そのハッピーエンドや人生観を作中で語るために、誰が読んでも面白い物語の中にそれを包み込んでいるのが彼の凄い点、彼が多くの読者に多大なる影響を及ぼす理由だと思います。

三秋縋先生の人生観に賛同できるかどうかとは全く関係なしに、三秋作品は誰が読んでも物語として面白いじゃないですか。
例えばたまたま三秋縋の本を手に取った人が
「どんな理由でも命を大事にしない奴はクソ!長寿こそ唯一の正義!細く長い人生万歳!(素振り)」
という思想の持ち主だったとしても、それはそれとしてクスノキとミヤギの行く末は気になるでしょうし、観覧車で明かされた霧子と湯上の真実に驚かされるでしょう。

私たち(クソデカ主語)が三秋縋作品を愛して止まないのは彼の幸福観、人生観、要素(いわゆるエモ)などに賛同や信仰をできるから、というのが大きな理由としてありますが、そうでなくともほぼ万人にとって面白いストーリーという要素が存在している。だから映画化もするのでしょう(めちゃめちゃ不安ですが……私は怖くて見に行けないので誰か感想教えてください)。

文章では万人受けはしないかもしれないことを叫びたいけれど、多くの人に対してそれを叫ぶためにもやっぱり書籍化は目指したい。そう思ったとき、三秋縋作品はお手本のような存在だと思います。


【『初恋』という作品について】

寸評アカウントに「背伸びをして書くな」と言われたんですが、本当に手癖だけで書いた作品がこの『初恋』になるんですよね。
今はともかく、執筆当時で言えば最も私らしい作品です。

読者を苦しめるだけ苦しめて救済も特にないという、今思えば「何がしたいねん」というかんじの作品ではあるのですが……。一応「一生抱えて生きていく、彼女とお揃いの苦痛を手に入れた」というメリーバッドエンドではあります(なくない?)。

青山くんの収入で彼女と同棲できるだけの大きさの物件に住めているわけねぇだろ、という趣旨の指摘を寸評アカウントさんから頂きましたが、それについてはマジでその通りでしかないです。その設定ガバは私が悪い。何も考えてませんでした、手癖で書いたので(大の字)。


【最後に】

切実なだけじゃダメなんだなぁ、と創作について考え直して早数ヶ月。最近までは5億年前に書いたストックを投稿していましたが、それも尽きたので長編が書き上がるまで暫し小説投稿はお休みです。
長編はafter考え直しの第一作になると思いますが、『初恋』はbefore考え直しの作品の中で最も完成度の高いものだと思っています。

よかったら読んでね☆(したたかな宣伝)↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887490628

それではまた。

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