常日頃から「先入観ゼロなら全員両性愛者説」を提唱してるんだけどどう思う?(再掲)

(この記事は数年前に書いて削除したものの再掲です)


木染維月です。

タイトル通りなのですが、私は常日頃から「『男は女を、女は男を好きになるもの』という先入観がゼロなら、だいたい全員生まれた時は両性愛者説」を提唱しています。
ちなみに周りからの同意は得られません。





【そもそも恋とは何たるや】


そもそも恋とは何なんでしょう。

……という議論され始めて幾星霜という話から始めてしまった訳ですが、私の記事ですので、ここでは私の仮定を採用させていただくことにします。答えのない問いだから仕方ないね。

この記事上での「恋」について。
恋の始まり錯覚と自己暗示です。錯覚という言葉の印象が悪いなら「偶像化」と言い換えても良いでしょう(印象悪化してない?)。

そして恋を構成するもの「美」と「快」。「美」は単に見た目の美しさもそうですし、相手の内面に惹かれることも指します。「快」は性的快楽に限らず、この人と話していると楽しいとか一緒にいると安心するとか、そういうのも指します。


それでは本題。





【本能くんさぁ】


男は女が好き、女は男が好き。これはもう本能的、遺伝子的にそうであることは自明です。なぜなら男と女でなければ子は作れず、子がなければ種が滅びるから

しかしながら、今ってそんな時代でしょうかね。
我が国における年間の自殺者は2万人、他にも死にたいと思いつつ何らかの理由で死んでいない方々が大勢。人類の生存本能、だいぶ薄まっていると思いませんか?

他にも極限まで薄くなった本能、あると思います。

じゃあ性や恋愛においても、十二分にそうだと言うことが出来るのではないでしょうか。

そも、『恋』という概念はとっくに本能から遠ざかっているように思えます。本能に従うならどうしてイケメンや美女がモテるんです?どうして話の面白い人がモテたり、いかにも生殖能力の低そうな、華奢な人間がモテたりするんです?


そして、先程書いた恋の定義に従うならこれらの事態にも納得できます。更に、恋と性が結びつく以前の年齢の時に、それらの条件に当てはまる誰かに強烈な恋をして、その相手が同性だったら?
または、その相手が異性だったか、そういう体験を経ず「人は異性を好きになるもの」という先入観を持ったまま育ったら?

なるほどこうして性的嗜好が決まるのも、ちょっと有り得そうな話じゃないですか?


……とはいっても当方女ですので、男性性上における性の在り方、例えばどれくらい恋愛と性が結びついているのかとか、そういうのは分かりません。以前FFだった男性陣にセクハラ紛いの質問を投げかけまくって理解しようとしたことがあるのですが(最低)、無理でした。



【男女差】


とまぁこういう持論をお持ちの筆者ですので、この説を友人等に投げかけたことがあります。

これまた当時のFF男性陣に聞いたわけなのですが、反応は「え……(引)」「いや俺は野郎は愛せない」「同性愛は否定しないけど俺は無理」というものばかりでした。
対して女性同士というのはかなり聞く気がします。「正直女の子と付き合ってみたい」という女の子、私の周りにもたくさんいます。どころか「男の人って怖いし……あぁ女同士、そういうのもアリか。私そっちの方がいいかも」なんて流れも見たり見なかったり。

なんでや。


さて、今の人間の「美」の基準として、「端正さ(左右対称?)」「儚さ」「直線」「曲線」などがあるとします。これに関しては適当です。美術にはまるで明るくないので。明るくないどころか漆黒の闇です。すみません。

まぁ仮にこれらがあるとしたら、これらの条件には圧倒的に女性の方が当てはまりやすいんですね。体つきから何から。よって同性愛云々の前に、女の方が恋愛対象になりやすいのでは?というのが私の仮説になります。

……そういう理由でBLでも「細っせぇ腰……女みてェだな……」みたいなのが散見されるんかな。まぁ大半のBLは描いてるのが女なので分からんけど……(小声)




【「美」以外の理由で女性性が恋愛対象になりやすい理由】


「美」以外の理由も見ていきましょう。

これは以前ツイッターで相互の方が言っているのを見て以来、ずっと持論にしているものなのですが、
「好意には少なからず『優越』が含まれるもの」というのがあります。

これは一応それっぽいデータがあってですね。
軽度の発達障害(ADHD/ASD等)の女性は、特定のパートナー(要は彼氏)を持っている率が高い、というデータがあります。要はモテるってことですね。尚男性は別にモテない模様。

貴方にも、バイト先の日本語話せる外国人相手だと気楽だなぁとか、学校で自分より成績が悪かったり自分よりブスだったりする相手の方が話しやすいなぁとか、そこまでじゃなくても顔が整ってて成績も良くて運動もできる奴相手だと何かやりづらいなぁとか、そんな経験ありませんか?
無意識下でナチュラル見下しをしているからこその話しやすさ、接しやすさみたいなもの、自分の無意識をとことん暴いていけば絶対あると思うんです。


さて、話を戻します。
仮に「好意には少なからず『優越』が含まれる」として、そもそも生まれながらにして多くの男性性は女性性より優っている部分があります。

デカさと力です。

割と例外もありますが、大抵はこれだと思います。となると男性の好意の方が女性に向きやすいのは自明ですし、女性も男性を好きになる時「強くて頼もしい(けどおっちょこちょいな一面もあって可愛い)」とかそんなかんじなんじゃないですか(偏見)?
このカッコの中の「可愛い」、これが『優越』の部分です。「頼もしい」と「可愛い」どちらが主成分かはともかくとして、「可愛い」の部分がなかったら好きにならないんじゃないですかね。嫌な言い方ですが、自分より“上”の部分しかない相手を恋愛的に好きになったり、パートナーにしたりするのはなかなか難しいような気がします。




【締めに入るぞ〜】


世界は線引きを好み過ぎました。
HSPと発達障害の話もそうなんですけど(これについては別で記事を書きますが)、今まで名前がついて明確に線引きされていたものたち──同性愛や異性愛、或いは自分の性別についても──が、本当はグラデーションの構造をしていた、なんてことは結構あるんじゃないでしょうか?
要は、我々も異性愛者寄りの両性愛者だったとしで何もおかしくないわけです。「自分は異性愛者だ」という先入観を軽々と超えるような強烈な恋を同性にしたらそれに気付く、なんてこともあるかもしれませんね。



まぁでもこの「先入観ゼロなら全員両性愛者説」では色々と説明がつかないことが多すぎます。
例えば「男性しか」「女性しか」愛せない同性愛者の方々は? 今でこそ認められつつありますが、昔はそうじゃないですし、そんな思い込みや先入観みたいな次元の話ならマイノリティになるリスクなんて不要だったわけで。無理やりにでも異性と付き合っちゃえば良かったことだってあるでしょう。生まれついての性的指向であればこそそんなことは不可能だったわけで、だから認められようと様々な運動が起こった結果、今の多様性の時代があるわけです(たぶん)。

よってこの記事で書いた話は妄言です。おわり。




【最後に】

女性性が優性だとか男性性が優性だとか言いたいわけじゃありません!!!!!!!!!!!!

あと筆者は両性愛者疑惑の今のところ異性愛者の、女性です。グラデーションの話に則るなら完全な異性愛者のゾーンにはいないってかんじです。参考までに。


それではまた。

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