何者にもなれない

最近、連日のようにWBCの話題で盛り上がっている。
自分は野球に詳しくないため、大谷選手や佐々木選手、村上様くらいしか知らない。それでも「なんかすごいな」てなるし、もちろん日本が大活躍してくれればと思う。

少し前で言えば、サッカーワールドカップで三苫選手や堂安選手で盛り上がっていた。そういった国民の多くが注目するイベントごとがあるたびに、とある感情を持ってしまう。

日本代表が活躍・優勝したからって、それを応援している自分たちは何者でもなくただの一般人なんだ

子供の頃誰もが持っていた夢を諦め現実に目を向け、その夢を選手たちに託している感じだ。普段そんなに応援しているわけでもないミーハーな人たちが、世間のトレンドにただ乗っかって自分で勝手に誇らしくなっている感じだ。

子供の頃「じゃんけん列車」という遊びをしたことがある。目の前にいる人間とじゃんけんをする。じゃんけんで負けた人間は勝った人間の後ろにくっついて行き、徐々にその隊列をなしていく遊びだ。16人でこの遊びをしたのならば、最終的に8人の列車同士でじゃんけんをし、負けた8人が勝った8人の後ろにくっつく。
あの遊びがまさに表している。列の先頭の人間が凄いのであって、その後ろにくっつく人間がすごい訳ではない。それでも列の先頭近くにいる人間は「お!自分の列の先頭がまた勝ったぞ!すごい!」てなってしまう。
まさに「虎の威を借る狐」状態だ。

日本代表の選手が凄いのであって、それで「日本最高!」の感情だけで過ごせるのが凄いなって思ってしまう。その反面、世間の盛り上がりに対して何も考えずに乗ってしまった方が楽だし幸せなんだとは思う。



自分が好きなアーティストにMOROHAというユニットがいる。"ギターが1本マイクが1本"で現実の辛さだったり、それでも必死に生きる様が歌詞に多く含まれている。その中で「tomorrow」という曲に以下の歌詞がある。

俺と同じ年のメジャーリーガー
海の向こうで初勝利あげた
まるで自分のことのように
街もテレビも大騒ぎしてる

https://www.youtube.com/watch?v=AanfKNatAqk

この曲のテーマとして、野球少年だった自分がいつの間にか夢を諦め、社会の歯車として働く姿が描かれる。そして、海の向こうで活躍するメジャーリーガーにかつての自分を重ね満足する。まさに最近のWBCに盛り上がる街中の姿だ。

もちろん国民が応援しなければ興行として成り立たなくなることもあるし、単純に競技人口が減る、選手のモチベダウンにもつながるかもしれない。
それでも自分は昔から意固地な部分があり、逆張りをしてしまうから邪推してしまう。

現実から少し目を背け、日本代表に託すことで気持ちが高揚したいだけなんじゃないか


似た話だと、自己顕示欲のために投稿するInstagramの文化が苦手だ。一般人が芸能人の真似をしたいかの如く、ハッシュタグを付けてまでおしゃれな写真を載せることは滑稽に思えてしまう。Instagram自体が嫌いなわけではなく「俺、わたしイケてるでしょ?」が透けているのが苦手だ。だから旅行の風景や好きなラーメン屋の写真など載せているInstagramは別に嫌いでも何でもない。
世間では自分みたいな考えを「陰キャ、チー牛」だなんて揶揄しているが、それでも自分はtwitterで趣味を呟いている人間の方が幾分好きだ。

世間一般的な幸せの概念「家族・子供」にフォーカスを置き、高頻度でInstagramに「幸せです!」写真を投稿するかつての友人たち。結婚していない自分の身でこの文章書くことは俯瞰的に見ても「負け惜しみ」でしかないことは十分承知だが、もし仮に自分が結婚や子供を授かることがあっても、その伝え方はしないだろう。

1億人も人間がいるんだから、大物になれる者が一握りなのはわかっているし、いつかは現実に目を向け夢とかそういったものを考えないで生きるのは分かっている。それでも20代のうちはもう少し夢見ようかな。

中二病のような事を書いてしまったし、後半ただの愚痴になってしまったからもうやめよ。。


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