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心と心の距離は必要?

最近、アパレル店員さんとよく話すのですが、

話していますと、

どうも距離が空いたまま話しているなと、、

感じることがあります。

要は表面的な話をしてしまっているということです。


それも悪くはないです。

そんな心の位置を同じにして、

心の場所を同じにして話ができるわけはない。。


そうだろうか??

私はそうは思わない。


それに、表面的な話を続けることに意味があるであろうか?


そこで、私は話を楽しいと思えなくなるし、

正直、話も盛り上がらないから、

まぁ商品を買わなくても良いかなと思ってしまう。


しかし、

本当に盛り上がって話が楽しく進むと、

何かその人の心に触れたかなと思うと、

その人を愛おしく思うような気持ちになり、

商品を買いたくなる。

体と体の距離の話ではないです。

心の話です。

私は自分でもすごくオープンな人間だと思っている。


基本は球のような心でありたいと常に思っている。

どこから見ても同じ形ということだ。

裏表がないということでもある。

会話でも

綺麗と思ったら、

「綺麗ですね」

と言うし、

格好良いと思ったら

「格好良いですね」

と言う。

そのままだ。

それは違うでしょう!!

と思うこともある。

それは口外しない。

それを忠実に実行して生きているだけだ。

特別なことは何もしていない。



だから私は他人と話すとき、

嫌な人、自分に害が及ぶと思った人以外は、

自分の心を全オープンで話す。

でも他人の心は他人のものなので、

その人の心のあり方は、

その人にしか決められない。

でもそこで建設的な話はできる。

そのための言葉であり、会話だ。

「私はこうだと思うよ」

言い方と言葉を慎重に選んで言う。


私は時間は有限であり、

人生はそう長くない、いや、

短いと思っている。

だから、距離感を開けたまま表面的な話をすることが、

非常にもったいなく感じてしまうのだ。

自分の時間をそのようなことに使いたくないから。


自分がどうやって人と話すかということかもしれない。

何が正しいということでもない。


ただ、この日本の人が人から感じる圧、

変な圧があり、

人間関係が窮屈で、

人を信じられなかったり、

夫や妻であるのに信頼できないなど、、

おかしくておかしくて、不思議でならない。


建前というものにこだわりすぎである。

素直に言えば良いと思う。

ただ必要なのは思いやりなどである。

他人本位、利他的な自分を大切にすることである。


ただ、男性として、ムッツリスケベな人や、乱暴な人、他人がいるところで大声を出す人などは、

はっきり言って、


品がない。


日本人には特にむっつりスケベが多い。


公の場所で、「変態だ」なんだと

近くで話さないでいたできたい。

同じ空間にいるこちらの品まで落ちるようで、

私はすごく嫌だ。

健康な人間ならスケベなのは当たり前だ。

私もそうだ。

でもそれは、

一人で自分の部屋にいる時か、

好きな女性と行為に及ぶ時だけでいい。


純な人間は重宝される。


そして直だ。


人の目を見る時など、


直でみる。

強く、最短で相手の目を見ることだ。



何より、

人生を楽しむと自分で決めること、、

自分の人生は

自分で決めて生きていくこと、

それがすごく大切である。


心と心の距離についての話だった。

結論として

距離は様々あって良い。

だが、

距離はないほうが

楽しく信頼しあえる関係が作れる。

相手がどういうタイプの人であれ、

自分が思っているスタンスを崩さないことが大切だと

思った次第である。


人と人、

そして世の中、

人ありき、

命ありき

である。


光陰矢の如し、、、


今を大切に、

今何をして生きていくかが

とても大切であります。。。


こしやま


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