見出し画像

守護神と生祀と逆修

神仏とのご縁というのは他人につけてもらうのではなく、自分で求めるかどうかです
向こうから勝手に来る場合もありますが、それは他人ではなく自分の先祖とか前世とかそういう霊(みたま)レベルの縁があって、現世でそれが発露したのでしょう
神仏は常に人々に光を与えているので、受けるかどうか

太陽は誰にでも平等にその光を放射しているが、それを嫌って日陰に行く人もいるし、太陽に向かって全身をさらけ出す人もいる
そのどちらも太陽は気にしていない
太陽はただ光を放射するだけ
神仏もそれと同じ 神仏が相手を選んで光を与えたり、与えなかったりするのではない それをするのは眷属や霊

守護神を持つというのも同じで 守護神は何でも願いを叶えてくれる優しい存在ではなく、むしろ普段は中々出てこないし、その人の為になるなら敢えて辛い試練を与えようとする存在
いない方が楽じゃないかと思うほどだ
でも神仏の大きな御心からすれば、それが守り導くということになる 楽に生きられない

神道では、守護神というのは自分の魂の一番の高位的魂であるとしている
その自身の高位的魂が、自分自身を導くという
これは日本神話の大国主と大物主の逸話に秘機が漏れ伝わっている
大国主自身の幸魂奇魂である大物主を祀ることで十全に自分の力を発揮して出雲の国を作ったという話
これが生祀である

自分の魂を自分で祀ることを「生祀」というが
吉田神道など古流の神道では奥義とされ免許皆伝になると生祀を許される
その時に生きながら「霊神」号を許される
天皇は三種の神器を御神体にするが、それ以外の人は三種の神器の中のどれか、普通は鏡か玉にする 自分の魂を祀ることで生きながらに神となる

神道の葬儀である神葬祭では亡くなった人の魂を神として祀り、その家の守護神とするのだが、生祀は自分自身の魂を自分自身で祀り、生きながらに神となり、死後も神として祀られる
吉田神道の吉田兼俱は神龍大明神として吉田神社境内に祀られている
垂加神道の山崎闇斎は垂加霊社として下御霊神社に祀られている

死後の魂を神として祀るスキルと
生きながらに自分の魂を神として祀るスキルは
ほぼ同じであり
神道の奥義となっているのは当然と言える
ただし、何の修行もせずとも大きな社会貢献をしたとか、大きな善行や功徳を積んだような人も生きながらに神となれる これが現人神として古代にはたくさんいた

「スターピープル」という雑誌に初めての連載をした時に、生祀の具体的なやり方を2回に渡って書いたことがある
天照御影講社の祈祷牌も実は半分は生祀の要素もある
仏教の方で生きながらに自分を供養する「逆修」というのも実は消極的な「生祀」である
生祀でも逆修でも、まずは自分の魂の清明化と先祖の因縁浄化が必要

生祀を行うには吉田神道の四重相伝あるいは三重相伝を受けなればならず、それはすなわち吉田神道の免許皆伝であり、生祀を行うことで自身が「霊神」となって「霊社号」を授かるということになる
私の御影舎というのは霊社号ではない
字が違うからわかるとは思うけど、読解力がない人がたまにいるので念の為 霊社号は秘めるが花

時々、守護神をつけるという新興宗教があるが、そういうのは守護神じゃなくてその教団の背後霊をつけられるだけ
なにかの神や仏と結縁できるというシステムは密教の結縁灌頂などだと安心だが、個人の拝み屋や新興宗教などでそういう事を言ってる人に頼むと、その人やその教団を背後で操っている霊団がつくだけ

守護神とか普通の人は持たない方が良いし、 誰にでもご先祖の中でも高位の霊格を持った方や、地域を守っている氏神や産土神がいるので、それ以外の余計な神仏もどきの霊をつける必要はないし
本来は自分の霊魂が自分を守るというのが一番である
神道でも本当に繋がるのは自分の霊魂である

祝詞を奏上していても、自分もまた八百万の神々のうちの一人だと理解していないと、全くの絵空事になってしまいます

神代は今に在り

我もまた八百万の神なれば我が魂を厚く祀らむ


頂いたサポートは、天照御影大神様への御供物や蝋燭や線香などを買わせて頂きます。陰徳を積む事で、運命改善なさってください。