我が身を省みて

私は35歳の時に自分でやりたかった修行をだいたいやり修えて、これ以上の望みは今生ではないと思い肉体から離れるのもいいなと思って祈っていたら「経世済民」を示され、35歳までは自利行だったがこれから50歳までは利他行に生きようと思って、祈祷や占いや雑誌の記事や本の出版や講座をやっている

利他行に徹することによって、自利行で得た様々なものを失い、ある意味で凡俗に戻り、社会に深く関わるようになり、今までとは違った苦労を重ね、妬み嫉みを受け誹謗中傷にさらされてきたが、それも人と深く関わるならば避けて通れないと思い甘受してきた
それ自体が禊(身削ぎ)であるからだ

この十年は神社への御奉仕や他者への祈りだけに専念しすぎ自行を疎かにして身体の不調を招いたので、今年は徐々に自行をゆるやかにだが取り戻している
それでも急に全てが好転するわけではなく、三歩進んで二歩下がるような牛歩の歩みだが、若い時には敬遠していたような養生の道の意味もわかってきた

一度捨てた仙道や気功をやり直したり、毎日の自分の状態をチェックするためにも人相をやろうとしたり、自分がやるべきことを毎日ボチボチと重ねつつ祈祷をすることで、祈祷だけに専念している時よりも身体は楽になってきた
ただまだまだ身体が回復しきれないので、無理もしないし気力も蓄えモードだ

50歳までは祈祷を主にと35歳の時に思って頑張ってきたけど実際にはかなり生命を削っている実感もあり、あと数年で迎える50歳で神上がりするか祈祷をセーブするか後進を育てるかと思っていたが、力不足でどれもできそうにはない
ここ数年で今までの不惜身命的な祈りから神仏に丸投げする祈りにはなった

大司命節の祈祷にしても、慰霊修法にしても、自分や家族や関係者のみならば問題ないだろうが、毎回百人単位の祈祷をすることになり、これは自分の意思でやってたら即死だなと思って毎回襟を正して祈っている
おそらくコロナも含めて、神様からの特別な許可があってこそもう三年も許されているのだろう

六甲壇の修行をやった時に、ああ正しい法によれば神を降ろすのはある意味ではこんなに簡単なんだと実感したことがあります
自分が関われないくらいの神でも十二神将をその神仏の元に送り、交渉してこちらの招きを受け入れてくださいとやれば、自分単独の祈りでは届かない祈りも即座に届くようになった

六甲壇は結構大変な潔斎や毎日の行があるので、家族を持った身としては難しく、実家を引き払った時に壇を動かしたので今は封印している
なので十二神将と関わることも今はなく、祭壇の横に封印の布をかけて安置しているのを見ると時々寂しく思う
状況が変わったら、また再度六甲壇の修行をしたい

六甲壇の十二神将は六甲六丁の十二神将であり、六壬などの十二神将とは名前や働きが違うのだが、そういう意味では六壬をたまにやりたくなるのは、十二神将との関わりかもしれない
六甲壇を維持していた時は必ず毎日その日の当番の十二神将を自分の近くに感じていたし、霊能者はそれを観て怖がっていた

六甲壇の話は完全に妄想とか脳のバグみたいに思われても仕方ないのでこれくらいにしておくが、この経験が神道的に神々を勧請する時に非常に役に立った

三多道長先生の観落陰に何度か参加したことで、今までは霊的なことを観ることは出来ても、聞いたり話すことは苦手だったのが出来るようになった

毎朝神社に早朝に出社して、社殿の扉を開けて掃除していると本殿からはさすがにほとんどなかったが、末社のお稲荷さんや弁天さんなどを掃除していると、御眷属が待ち構えていたように話してくるので掃除に集中できなくて、「すみません忙しいので後でお願いします」とシャットアウトしていたくらいだ

そういう霊能的なものは副産物なので、それを期待して観落陰に参加するのはどうかと思うが、秘伝中の秘伝である観落陰を日本でも三多先生のおかげで受けることが出来るのは非常に有難いことであった
三多先生は私が少年の頃に憧れた本物の道士そのものであり、お近づきになれたのは仙縁の賜物だった

道教の実践に関しては日本では三多先生ほどの方はいないので私も足元にも及ばないので学ぶことが多い

青真少童君(少名彦那大神)は修行するものを「学生」とお呼びになるが、自分も老いたりとはいえ、学ぶことは忘れないようにと心がけている

急に自分を省みたが、これも老いというものだろうか

頂いたサポートは、天照御影大神様への御供物や蝋燭や線香などを買わせて頂きます。陰徳を積む事で、運命改善なさってください。