可愛いの価値観を変えたい

久しぶりの投稿です。

最近はめっきり寒くなりました。

よく考えることがあります。

人は顔に慣れるということと人が可愛い綺麗と考える価値観がいつか変わらないかということです。

人が顔に慣れると知ったのは高校二年生くらいの時でしょうか。

まだ自分の障害についてしっかりと受容できておらず心身がギリギリだった時です。

高校一年生の時にできた彼氏に
可愛いと言われ続けました。
私は可愛いのか本当に疑問に思いつつも、あまりにも彼が本気そうだったのでもしかしたら可愛いのかもしれないと考えたことがあったのです。

そして考えた末に出た答えが
私の病気この鼻の歪みは見える人と見えない人がいるかもしれないということでした。

少し非現実的ですよね。でも私にはちょっとマジカルちっくなそんな答えしか思い浮かばなかった。
本当に可愛いとか考えたことなかったんです。
でも沢山の人と関わる中で高校生って可愛いとか言ったり言い合ったりする時期でしょ、もしかしたら私の顔に慣れて違和感を感じなくなったのかもって考えたんです。

きっとこれは正解なんです。
最初は変に思ってもそれを変に思う前にずっと一緒にいればいつか慣れちゃってどうでもよくてましてやその人に対して愛嬌を感じる。
こんなことってよくあると思います。私はよくあります。あんまり可愛いと思ってなかった子でも自分が無いいいところやその子たちの顔のパーツに愛嬌を感じて次第にとても可愛いと感じるようになります。そうやって人は人に慣れていくんだと思うのです。

これが正解じゃなくても少なくともこうやって考えてるととても気が楽です。

あと考えることといえば、可愛いの価値観が変わってほしいこと。

人が成長していく過程でどの顔が可愛いとかそういう概念から一切かけ話した環境に身を置かれた時その子供はどんな人を可愛いと思うかな?

人間って自然と同じ可愛い綺麗と言った美への観念を小さい時から自然と植えつけられてる気がするんです。
この話はまた気が向いたら詳しく話したいですね笑
とりあえず今回はここまで。

以上私のつぶやきでした。

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