19になって「障害受容」という言葉に救われた話

こんにちは。よももです。

今日は比較的暖かい日でしたね。

今日は「障害受容」について書きます。
短く書くつもりです。

私が障害受容という言葉を知ったのはつい最近。ちょうど4ヶ月前くらいでしょうか。

障害についての授業を取っている時にある教授が
障害受容の大切さについて説いていたんです。

というかそもそも障害受容ってなにってなりませんか

いやでも意味はそのままなんです。
自分の障害を受容して、認めることなんです。

わたしには
口唇裂という障害があります。
鼻が歪んでいて人中に手術痕があります。
人と話している時にはその人の目線が気になったり人々が私を常に見ているのではないか、見られていたら私はとても醜い顔をしていてそれをみんな醜いと感じているのではないか、とずっと思ってきました。

私の顔を人々が見た時にどんなことを思うんだろう。
可愛いとか、ブサイクとか、そういうことじゃなくて、ただ
気持ち悪い
と思われているんだろうな。とか。
自分が人間ではないと考えていました。
ある意味自分の顔は怪獣なんだと、思っていました。
なんか笑っちゃいますよね。怪獣って表現とても幼稚です。
でも当時の私は本当にそう考えていたんです。

でも最近はあまりそういうことを考えていません。
ああでもこの自分の心情をなんていうのだろう

そう考えていた時に聞いた言葉が障害受容でした。

そうか私は自分の障害を受容できたんだなと
思えたんです。

私にはこの言葉が必要だった。
そして障害を持っていなくても自分のコンプレックスを受け入れられた時の気持ちに当てはまる言葉がまさにこれなんだと思います。

障害受容

ぜひお見知り置きを。

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