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クーロンとセンチメンタル過剰の話

本日のBGM The Mamas & The Papas - California Dreamin'


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九龍ジェネリックロマンスという漫画が「このマンガがすごい オトコ編」で3位になったそうで、今だけ出版社のアプリで全話読めるようになっているんですけど、その漫画の中で「九龍はなつかしい街だ」というセリフがあって、「なつかしいという感情は恋と同じで みんな九龍に恋してるんだ」と続きます。

というわけで、私も九龍で懐かしがろうと思いまして、

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九龍城砦ではないけれど 香港のカオスな雑居ビル 重慶マンションが舞台の映画「恋する惑星」を見まして、やっぱりいい映画よね、と思うと同時に確かに懐かしさがあって、久々に見たから懐かしい、というのではなくて、その世界自体を懐かしく感じると言いますか、郷愁あるいはセンチメンタルってやつでして、

私は香港に行ったこともないし、映画の中の年代とも合わないけれど、そんなこととは無関係に懐かしさを感じる訳で、でもそれはこの映画だけじゃなくて、生まれる前の時代のCMを見てもそう感じることがあるし、少し寂れた商店街なんかに行っても感じたりします。これは恋なのかしら?

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なぜ自分の歴史にないものまでも懐かしいと感じるのか、きっと懐かしさとよく似てる別の気持ちと混同しているんではないかしら。

多分それって 今はもうないもの とか、これから先に確実になくなるもの、失われゆくもの に対する憧憬と、でもそこに寄り添うことのできない自分 という罪悪感のミックスされたものが懐かしさや恋と似てるのかもしれません。


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漫画でも映画でも九龍が象徴するものは時代に合わなくて、マナー違反でモラルに欠けた住人に 違法建築で迷路みたいな通路、ゴミやカビやホコリの匂い、利己的でお節介で愚かで一方通行で無計画で不衛生で暴力的で、、、

それらは確かに不快だし、共同生活を送るには邪魔なものだから 社会が成熟すれば やがては矯正されたり排除されたりするものであって、怪しげでいかがわしくて魅惑的な街は、どれだけその中の世界でバランスを保っていようと いずれは法整備によって健全で安心な街に変わっていきます。

そう考えると九龍が象徴するものは もしかしたら「若さ」そのものなのかもしれません。「青春」とかでもいいかも。

漫画の中で先輩は「九龍に新しいものなんて必要ない」と言い切って、そこに暮らす、いつまでも変わらない多くの住人という、その中の世界の常識をバックに変化を強く拒むけれど、でも外の世界は確実に代謝していって、中の世界の普通や当たり前は 外側から見ると いびつで不自然なものに映ります。

それは時間と共にどんどんギャップが大きくなるから、やがて内部にいても、その状態は仮初なんだと どこかで気づくことになって、だからいつかは変化を受け入れるしかなくて、変化を受け入れるのは自分の中の何かを失うことになるけど、でもそうやって喪失を経ることで人は少し大人になるのだと思います。九龍は逡巡を許してくれるモラトリアムの街なのではないでしょうか。

恋する惑星



高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目


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