越風句集 『 河畔のやすらぎ』
はじめに
山中に住むはかなわず。といって、街中に住みたくはなし。あれこれ思案のすえに、街をつらぬく大河の河畔に住むことにした。中心街とさほど離れていないのに、豊かな自然に恵まれているからである。
ここは東京の北西100キロ、利根川の上流域の河畔である。水辺があり、せせらぎが響き、水鳥がつどい、草木が茂り、風がそよぎ、大空が広がっている。そのうえ自転車一台で、大抵の用は足りる。
首都圏の喧騒を逃れ、激しい社会の移り変わりから一歩引き、世の中と向き合える距離である。一歩引くことで見えてくるものがあるかもしれない。四季折々に表情を変える大利根川を友とする河畔の暮らしがはじまった。2001年6月のことだった。
本書は、河畔の散策を日課にし、現代社会と向き合い、俳句をひねる河畔暮らしの綴りである。
Ⅰ 俳句事始
ぼちぼち還暦を迎えようと、齢を重ねるある日、ふと思い当たることがあり、松尾芭蕉の『奥の細道』を手にとった。旅の情緒もさることながら、わずか十七音で描き出された自然や生活の営みは、表現が凝縮されているだけに、鋭く、豊かに訴えかけてきた。
俳句は三百有余年の歴史をもち、一種の定型感覚になっている世界最短詩であるが、芭蕉、蕪村、一茶、子規、虚子、龍太、兜太、の俳人たちは、身の回りの自然・生活・社会の繊細な変化を切り取り、それを充分に表現していた。
この最短詩によって、なにかを表現することは、いままで見過ごしてきた身辺の微妙な移り変わりを再発見することのようである。俳句との出会いは、畢竟、新しい世界と自分を再発見することなのかもしれない。
還暦を過ぎたものにとって、そんな再発見の慶びに出会えるとは幸いである。さっそく、俳句の世界を散策しよう。利根川河畔の暮らしに根ざした俳句の世界も創造してみたい。
雪降る越後に生を受け、空っ風吹く上州の地で暮らすわたしは、俳句を学び、遊び、詠むにあたって、俳号を自ら越風(えっぷう)と名づけた。
はたして読者諸賢に越風俳句の世界がどのように受け入れられるか心許なく思いつつ、同時代を生きる同胞諸賢へ、利根川河畔の暮らしを上梓した。ご笑覧下されば、幸いである。
沙羅の花落ちて地に咲く夕べかな
空蝉の夕日映してをりにけり
せせらぎの半音上がる初秋かな
大空のかたちいろいろ花梨の実
しんしんと雪降る夜半の父不在
風花は越後の便り犬駈ける
冬木立ゆくわれもまた風となり
連凧の糸電話かな水の色
花馬酔木月光集め滝のごと
沈丁の闇から届く香りかな
沈丁の織部とじこむ葉色かな
夏館飛び込んでくるボールかな
梔子の錆色沈む日暮れかな
雲の峰連山越えて父母の待つ
鬼やんま木洩日つれて引き返す
木洩日をいくつあつめて黒揚羽
花虻の羽音の告げる風の色
水仙のあくびしている裏通り
鉛筆のころがる音に目覚めけり
青き踏む赤城の裾の果てるまで
故郷の車窓によせる穂波かな
木犀の黄花踏み往く通勤路
柿落葉ゴッホの色をたたき売り
古代より寒月浮かぶ棚田かな
山茶花に寄り添い走るランドセル
名月は沼底にただ冷えてをり
利根川をたどればはるか雪の峰
音消えて夜の底にはぼたん雪
わが里に降り積む雪の重さかな
雲間よりいのち生まるる春の雷
まんさくの千手観音ほどけをり
虹立ちて吊し上げたり赤城山
端居する父の背中の小さくなり
還暦の流れる雲に端居かな
髪切って春の重さを脱ぎ捨てる
鮎飛んで川いっぱいの釣り師かな
虫送り高層ビルに阻まれり
愛犬の舌の伸びきる酷暑かな
秋立つかテニスボールの音に知る
台風や父の背中の広きこと
朔太郎そこにいるのか秋の蔵
桐一葉落ちて全山日暮れをり
くさり橋二つの街の星月夜
満月の兎抜け出し湖面跳ぬ
朝食の転がる箸に木の葉髪
和太鼓は大地の祈り稲穂垂る
煮凝りを買って夜道の帰宅かな
白鳥も黒鳥もゐる日暮れかな
しんしんと雪降る国の父不在
せせらぎの唄い出したか春隣
川底の小石動かし春来たる
竿先にストレス移し春うらら
花屑をまるく掻き分け食餌跡
川底に小石の笑ひ春来たる
青空は薔薇一輪のためにあり
娑羅双樹パンドラの箱閉じるべし
滴りの山を映して消えにけり
青田風列車を押して上野まで
白シャツの若さ溢れる通学路
翡翠の光を見たり利根河畔
郭公の声の範囲がわが郷里
紫陽花の藍は郷里の海の色
セイウチの牙反りかえる夏の海
利根河畔行く手じゃまする蛇の衣
困惑の水馬ころぶにごり水
生も死も曝し誰彼冬終わる
夕立の去って軒端の人と犬
山霧に関越道の溶けにけり
鮎落ちて雨脚つよし利根河畔
歳つまる鳶の輪空をひろげつつ
秋雨を突き抜けてくるジャズピアノ
客来たるシャッター街や赤とんぼ
SLの鉄塊迎ふ曼珠沙華
木守柿空の高さを知る正午
セシウムに山河破られ秋の風
セシウムに山河破られ年暮るる
薄氷の表裏でせめぐ天と地と
東国の山河を惜しみ鳥帰る
川底に小石の眠り冬来たる
太郎疲れ次郎も疲れ雪下ろし
雪道にひとがたならぶ登下校
鮟鱇の口いっぱいに海の色
一筋の光くねりて鱒釣られ
古団扇あおげば父の風きたる
乾草の匂ひなつかしつづらをり
木漏れ日を連れて消えしか黒揚羽
鮟鱇の口に広がる日本海
揚雲雀空より音符降らせしか
花筏寄りわかれては日本海
キラキラと亀の背中に春の水
どこまでもつづく線路にちる桜
蝋梅の香に上州の風とける
蟇蛙地球ゆるゆる回しけり
唐辛子除けパスタ巻く昼下がり
牛がゐて父母がゐて秋の暮
上州路風神行き交ふ冬来たる
隅田川暮れる橋場に雪が降る
舵を取る一寸法師花筏
一歳の孫のほっぺや風光る
明日へと自転車をこげ卒業子
一滴が大河となりて春唄ふ
チューリップこの世の笑顔独り占め
雪掻くや故郷のこと父母のこと
満月七句(「星嶺」2014年7月)
満月や宙に浮きつつ幾年月
我走れば満月追ひく何処までも
満月に兔棲めりと見しかの日
満月に人の足形つきたる日
満月を隔つ高層ビルの群
満月の満月のまま利根河畔
俳聖の見たる満月けふも見む
万緑を行くSLの遠汽笛
濁流も清流となり秋の暮
チャリ一台あればどこへも秋の風
やしろへと一直線の彼岸花
赤き靴河畔にひとつ秋深し
完走を讃ふ親子の文化の日
わが庭の十歩に尽きて娑羅の花
秋冷の赤城の嶺に牛の声
山茶花の散るために咲くさだめかな
流木の影を濃くして秋の水
秋の暮釣師の姿透き通り
雪折れを聞く夜はさびし父不在
野分前生きとし生けるもの走る
SLの雪原を行く大夕焼
枯木立はや桃色の枝の先
葱坊主どろんこまみれの昭和の子
落つるため咲く花ありや大椿
時雨るるや窓の明かりに猫の影
春遠し汽笛のとどく枕元
冬田道急がば我も風となる
利根川の春光さらさら銚子まで
徘徊か夜の散歩か春うらら
沈丁の夜の底からとどきけり
利根河畔春光打ち合ふ草野球
初夏のちゃぷちゃぷちゃぽん利根河畔
牛蛙この声大地の呻きかな
六月のインクの香る句帳かな
青年の路上ライブに街うらら
三歳児おなかまんまるみずあそび
卯の花腐し少し気になる床の下
細き道まっすぐ伸びて雲の峰
秋の日や日増しに軍靴の音きこゆ
おまるのりふんばる孫の夏座敷
たっぷりと室内楽の秋の暮
白昼を小さき闇飛ぶ糸蜻蛉
月冴えて犬の耳立つテラスかな
月見して兎と跳ねし日々のあり
半鐘台錆びてぽつねん村暮れる
松毬の芯つらぬきて冬の雨
赤とんぼ赤を残して去りにけり
雪しんしんしんしんほどの静けさや
独楽まわし孫の喝采浴びにけり
凩や松葉の刺さる犬の糞
陰となり日向となりて大欅
白髪のラガーら走り春うらら
佇めばわれを吸ひこむ雪解水
山茶花はすこし離れて愛づべきか
対岸の家くつきりと冬銀河
棒高跳寒月越えて着地せり
春雪のよごれ突きぬけ蕗の薹
一頭の蚕の興す街ありき
人知れず深山くだる冬の水
寝正月夢は雪原かけめぐる
雪止むや星座を仰ぐ山の庵
銀髪のラガーあつまり春うらら
大欅一山造る芽吹きかな
蝸牛葉っぱの先の天と地と
顔ふたつ枝垂れ桜の夜と昼
大岩を鷲づかみして咲く野薔薇
桜満開ゆるりながるる太極拳
まろやかにたゆたふしだれ桜かな
逃水に追ひつきたくてペダル踏む
逃水を追ひ越してゆくフェラーリー
夏祭きみは少女を卒業す
夕立のドラムシンバル軽井沢
釣堀に今日も哲学釣りに行く
秋の風シャッター街を吹き抜けり
光と闇行きつ戻りつ鬼蜻蜓
濁流に清流の縞雁渡る
秋蝶の棲むは季節の狭間かな
蟷螂の鎌を残して轢かれをり
赤城山稜線くつきり雁渡る
秋風の瀬音半音上げにけり
アベノミクス格差広げて去年今年
冬日射しノッポのサリーとキリンたち
初雪を顔で受けとめ吾子のゆく
空風や漕いでも漕いでも風の中
少子化を笑い飛ばすや猫の恋
せせらぎの素肌にささり除夜の鐘
冬草の光の道や利根河畔
空風のページをめくる古書の街
春光を打って走者となりにけり
土手一面ピサの斜塔やつくしんぼ
凧凧凧老若男女利根河畔
花筏寄り別れては太平洋
花吹雪両手をあげて三歳児
小さき手に豆ひとつあり福は内
薄氷割って青空割りにけり
愛犬の舌ののびきる夏来たる
夏草を刈ればあらわる獣道
八重桜八重に重なる重さかな
歓声に炎暑はじける野球場
遠雷やあの日あの時あの人と
稜線に牛の影あり夏来たる
新緑の重さを背負ひハイキング
野薔薇強し河畔の小さき白き花
光陰を行きつ戻りつ鬼蜻蜓
満月の兔を消したガガーリン
大蚯蚓無念小蟻の群の中
無資格の閣僚多し夏の果
夕風の喇叭もてくる冷奴
踊笠はずせばあどけなき少女
秋雨や置かれしままの歩数計
ふるさとの一本松に時雨かな
冠雪に遠山いくぶんせり上がり
園児らの帽子にぎやか蕎麦の花
大夕焼稲を刈る人運ぶ人
あかぎれの母の指先菜を漬ける
朔太郎去り利根の松原時雨れをり
利根川のしぐるる空へ流れ入る
平和とは百万人の花見かな
みちのくや吹雪とあそぶ竹一本
太郎へと次郎へとへと雪下ろし
中空の大凧いまにも落ちそうな
利根河畔ぐるり山脈眠りけり
長閑さや欠伸を噛みて席に着く
のどかさやあくび円卓まわりをり
長閑さや犬の欠伸のうつりけり
閑かさや雪匂ひたつ光堂
冬怒涛俺は俺だと動かぬ岩
花筏めざすは遠い星の国
花筏行ってみたいなよその国
花筏めざすは誰もいない国
駅頭の朝のにぎわひ鳥雲に
春の海行ったり来たり二人連れ
戦争が見え隠れする崖の縁
星屑の落ちて蛍となりにしか
棚田舞ふ蛍にまじる星いくつ
野に山に春の重さを解き放つ
漆黒の幹つきやぶり桜花
花筏いま流れ入りたる暗渠
虎杖をかじれば遠き故郷や
軽トラの干草の山走り出す
軽トラの万緑を縫ひ山仕事
青空とわれを吸ひ込む木下闇
音消えて闇をふかめる大花火
大花火簡易トイレの列照らす
百日紅郷里の母の腰まがり
白球の放物線にかかる虹
月天心砂漠は碧く染まりけり
満月を追ひかけていく夜汽車かな
木の実落つ大音響の閑けさや
大雪や電線またぎ登下校
秋深し汽笛のとどく枕元
高崎線空席を待つ夜長かな
街走る車間ちぢまる師走かな
団栗を孫とひろひて日暮れけり
手の平の仁丹こぼれ天の川
大凧の五六秒ほど揚がりけり
留守電にモード切り替へ冬籠
薄氷や光の朝の乱反射
鷹追ひし二羽の野鳥は番かな
初詣先頭をゆく三歳児
初売りの幟目立つや商店街
トンネル抜け雪見る妻は少女かな
上州路曲ぐれば延々大根干し
雪折れの大音響の深夜かな
ダックスフント土筆の中を疾走す
春光を独り占めしてパラモータ
雨上がり雲の中からつばくらめ
牧開き赤城の麓に牛の影
夜桜の光の束のしだれをり
波頭ひとつひとつの夏夕焼
川底の緑濃くなり鮎を待つ
川瀬音心地よくなり夏来たる
万緑の漆黒となる家路かな
幾年を妻といっしょの月見かな
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