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はらはらり 感想

はらはらり

感想を求められ、何から伝えれば良いのかもわからない。

先ずはありがとうございましたと。とても良い舞台を見ました。美しい舞台だった。人と光と音と物語が混じりあい、輝いていた。あんな舞台は中々出会えない。

 

最初、遊郭ものと聞いていたのに現代の男女が出てきた。

女が横たわる。電話で起きて水商売のバイトの面接を取り付ける。不景気のなかで節約倹約、底辺と揶揄されておかしくないことが察せられる。現れた男は障害を持ち、精神を病んでいるような…。女も水商売で働いている。明るい気分になりようもない中でも必死になにかを守ろうとするかのようなギリギリの線の上の二人。崩壊の予感を感じさせつつ、二人は崩壊に逆らう、ギクシャクする空気。

そして客はもう女が孕んだことに気づいている。

冒頭でこれかい。重いぞ。

しかし、重くない男女などこの世に存在しないんだった。二胡が鳴る。

二胡とピアノ。あまりに似合いすぎる。場面に感情に沿うように、自然に入ってくる。誰だ、この音を選んだ天才は。

場は炎となり郭の女が逃げ惑う。吉原は何度も火事を出していてその度「仮店」が出たという。普段の店と違う狭い仮店での営業を好む客すらいたという。吉原と火事、吉原炎上を連想する場面が「導入」。やはり天才か。

一つの出逢いが発端である。

部屋住みの武士と三番手の花魁。あまりに花街のしきたりを知らぬ男に女は手練手管を忘れ、恋というにはあまりに不器用な想いを抱く。ああ、ここにも悲恋の匂いがする。

どうなるのか。この二組の男女は。

一蓮、という花魁は、紫、という姉女郎の教えを支えに生きていた。梅毒にやられ、隔離され、身受けも断り朽ちるばかりの彼女であるのに、心根の美しい紫。「慈しむ心で地獄を極楽にできるのだから」

いや、無理じゃね?

この世の理不尽を知る身には、あまりに優しすぎる言葉である。

現代と郭、二人の女は追い詰められていく。恋と金と欲と幸せを求める己に。身を売り得る金で生きることは出来ても大切な何かが死んでいく。

足抜けしようと言う男。間夫の言葉ではあれど苦界の身には残酷でしかない。何を選ぶか。男か、金か、約束事か、未来か、いや、選ぶならどの未来か。

女は選ばなければならない。男にはない月一の血の道が12、13、いやそれより前から時を刻むからだ。「いつ子を産む」か「産まない」か。「働き続ける」か「やめる」か、「どの男と寝る」か「寝ない」か、「どの男と沿う」か「沿わないか」。舞台の上の女たち、その心をアンサンブルの8人が見事に表す。揺蕩う水のような迷い。どうすればいいのか、わからず沈む心。絡まり身動きできなくなるしがらみ。

「人と人です。武士も花魁もない」

「トゲが抜ければ元通りなんだよな」

………知るかよ。

男たちの弱さを越えて、なんで女が全部背負わなきゃならん。それは腹に子を宿すから。命を預かる喜びを知ってしまうから。生きなければならないから。業が深い。茨木童子も鬼子母神も、鬼になるのは業の深さゆえ。鬼になりたくて生るのではないものを。

踏みにじられ、裏切られ、傷つけられてもなお、女は「綺麗事」を求めてしまう。

そうでなければ、やりきれぬ。

そうして、求めて、取り込んで、信じて、昇華して、ほんの一握りの女が慈母になる。

「地獄を極楽に変えられる女」になる。

 

なんて悲しく美しいのか。

一蓮は火炙りになり、現代の女は子と男と自分、三人を生かす為に強く立つ。地獄を極楽に変えながら。

ああ、業が深い。やりきれないほどに、美しい。

 

青と闇、赤と紅。歌舞伎の隈取りのように舞台の上の照明が対比する。そのなかに柔らかなベージュの踊り子たち。肉を胎児を連想させる肌色。誰だ、この色を選んだ天才は。

行灯の灯で沢山の男女が遊郭のさんざめきを表すシーンは圧巻だった。あのざわめきを吉乃は見えぬ目でどう見たのだろう。あの美しい地獄を。

行灯の一部始終は知ってる。作られ塗られ、電車で運ばれたでっかい赤い行灯。そして、花魁たちが持つキセル。使われ方が素晴らしかった道具たち。道具の生かされ方も綺麗だった。赤い糸が絡んだ場、血管のような、縁の赤い糸のような、子宮の中のような。

「凄まじい」

なんどかTLで見かけた言葉。この舞台にはふさわしい。

人間の生きざまと、物語と、音と光と技術を、舞台の上で見事に組み上げた全員の素晴らしさ。

凄まじいのはその結果。

素晴らしかったです。ありがとうございました。

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