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映画「ココロ オドル」      (岸本 司監督)の感想


映画「ココロ・オドル」を鑑賞して
 
 第一話 
 (あらすじ)
 主人公の女性は、自らのアイデンティティーを求めて、沖縄の生まれ島に写真家の恋人と島に旅に出る。写真家は旅行当初、島の空気になじめずにいた。滞在中、カップルの間で感情のぶつかり合いが生じた。 そして、滞在先の宿の案内人である青年ともトラブルをおこすことになる。
色々ありながらも、案内人の青年と小舟でサンゴ礁の海に撮影に出かける。水中に潜り写真を撮影する予定であったが、サンゴ礁の美しさと、言葉では表せない生命のエネルギーに圧倒されシャッターを切ることができなかった。
 陸に上がり、落ち着いた時間を取り戻した写真家は、彼女と静かな時を過ごしながら自分勝手な我に気がつき、彼女と身ごもっている子と共にこれからの人生を思い描いて、彼女と生活していくことを誓う。

(感想)
映像として印象に残ったシーンは、恋人役の女性が生まれ島の浜に出て、島と一体となって心が解放されるところ、また、写真家が圧倒された限りなく透明なサンゴ礁の海であった。
この島には、近代化や便利さとは相いれない、お金で買えない心を解放してくれる自由な時空があることを気づかせてもらった気がした。


  第二話 
(あらすじ)
 主人公が那覇市で務めていた会社のお金を着服し恋人と島へ小型ボートで逃げてきたところから話が始まる。実は務め先の会社がブラック企業で恨みの上の犯行だった。
 生まれ島には実子である小学4年になる男の子が兄夫婦に育てられていた。逃走日翌日、主人公は実子に会いに兄宅に出向き、実子とこれから暮らしたい胸の内を打ち明ける。その場は兄夫婦に拒否され、実子も主人公との暮らしを想像することができなかった。数日後、実子と直接話をする機会が生まれ、久々に親子のつかの間の触れ合いを持つことができた。実の父に少しずつ心を開いていく子供の姿がそこにあった。ある日、主人公が島に潜んでいる情報を得た警察が兄宅で待伏せしていたところへ主人公が現れ扉を開いた途端、実子が「逃げて」と叫んだ。間一髪逃げて再び逃走するも、主人公は、途中で愛人と別れを決意して独りで警察のもとに投降する。


(感想)
子が親を思う気持ち、親が子供を慮る気持ちが、親子という関係を成立させていることが、感じ取れるシーンが印象的であった。そして、子供はどんなことがあっても心の中
に親を必要としていて、だからこそ許す。

第三話 
(あらすじ)
主人公は、島で機械を修理する若い女性(役では主人公の娘役)。その娘の父親は、島伝統のサバニ船を作る船大工である。父親は訳ありでこの島で娘の母親と暮らし始めたらしい。娘はストーリー上では父親の実の娘ではなく、実の父親は他に存在する。
3人で暮らしていた当時の母親は、島の浮気相手の男と駆け落ちして那覇に移住するも、その男に見捨てられ、今は行方知れずの身になっている。島に戻ってきた浮気相手の男が娘ととある場所で出会った時、「お前の父親は、あの男じゃない」と罵られた。
その場を離れ、しばらくして戻ってきた娘は、口惜しさと怒りともつかない複雑な思いで、その浮気相手の頭をハンマーでたたき怪我を負わせてしまう。
傷ついた娘の心情を知った親友は、抱きしめ受け入れえることで娘の心痛を癒す時をすごした。
 後日、父親は娘が傷つけた浮気相手に警察沙汰にしないよう許しを請うと同時に、自分が実の父親であると言ってほしいと要望する。
 浮気相手は、気の済むまで殴らせることを条件に出すと、父親は許諾した。そして、極限まで殴り続けるも、相手が承諾するまで、あきらめずに懇願する父親の迫力に相手は怖気づき、逃げ去る。
 家に帰った父親と娘は、言葉にならない複雑な高揚した感情が嗚咽となり二人の目から涙がこぼれ落ちた。

(感想)
島の女性(元妻)に救われた訳ありの男性(父親役)は、連れ子であったであろう娘と妻との三人で平凡に生きていた幸福な島時間がかってあったはずだ。
父親として娘を慮る心根が強く感じられ、ここでも、人と人の絆とは何かを考えさせられた。
また、親友は言葉ではなく、抱擁することで心痛を癒そうとする。言葉にはならないが、確実に心を癒してくれる触れあいの大切さを気づかせてくれた。

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