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百名城登城記録No.31~40

趣味で百名城をめぐっています
数年前に行った写真を整理して保存していたのでローカルに保存しておくくらいならブログに掲載していこうという意図の記録です
まだ百名城を全制覇していないのでところどころ抜けているお城もありますが今後登城した際に追加していこうと思います

No. 21~30はこちら

No.31 新発田城

長野ゾーンが終わり次は新潟ゾーンです
お次は新発田城です
恥ずかしながらここに来て初めてしばたと読むことを知りました
まだ続百名城が出ていない時期に行ったので、同じ新潟のよしみでこの後出てくる春日山城も同じ日に行ったのですが、これの距離がえげつなくて発狂しました
新潟は静岡に負けず劣らず東西に長いわりに主要都市が少ないので青看板には結構遠くの都市が表示されるのですが、上越(糸魚川だったかも?)あたりから新潟の残り200kmを見た時の絶望感はすごかったです
バイクあるあるですかね?
この時はスーパーカブで行っていたので、ほんとに丸一日使って2城回りました
バイクで走っていてもよくこんなところに道を通したなという箇所がいっぱいあって、現代でも険しいなと思う道、当時の人間がどうやってここを越えたんだろうと想像するとほんとにやばいなと思いました

さて新発田城ですが、天守っぽく見える立派な櫓と櫓門があります
お城の周りはかなり整備されていて、ゴミとか落ち葉がほとんどなかったのですが、これはもしかすると自衛隊の駐屯地が近くにあるので、駐屯地の人が清掃しているのかなと思いました
ちゃんと整備してくれているのはありがたいですね
やはりお城が使用されていた当時はちゃんと整備されていたと思うので、整備されてこそ本来のお城を見ている気分になります

そしてこの時はそのまま村上まで行って村上で泊まっていて偶然村上城を知ってそのまま登城していたのですが、それが後から続百名城になったのは結構面白かったです
その話はまた続百名城で行おうと思います



No.32 春日山城

次は上杉謙信の居城として有名な春日山城です
行ったのはとても昔でもうほとんど覚えていないですが本丸まで歩きで結構登った気がします

これは登り口にある神社で、登ったら本丸があったはずです

本丸には天守もあったらしくどんな天守が建っていたんでしょうね
復元してほしいものです

ちなみに上越といえば高田城だと思っていましたが、それは続百名城の方に回されています
越後の主要なお城は上越の方にかたまっていることを考えると、新潟の昔の中心はこっちだったんですね


No.33 高岡城

さてお次は富山の高岡城です
残念ながら写真を撮ってませんでした
行くとThe公園という感じで、建物に関してはお城らしいものはほとんど残っていませんが、道の作りはよかったです
城内の道はここはバイクで走ってもいいのかはしっちゃダメなのかどっちなんだいという感じの道で、ちょっと入りづらさはあるかもしれないです


No.34 七尾城

北陸ゾーンが続きます
次は能登半島にある七尾城です
ダンジョンの入り口みたいな見た目をしているのが非常に好きです
中ボスが上にいそうな気配がしますね

ちなみに上に上るとこんな感じの石碑があります

街の雰囲気も結構好きで、七尾駅周辺でもぽつぽつと建物が建っているだけでThe地方駅という感じが昭和の頃の景色だな感があります

あとは和倉温泉行ってみたいですね
ちゃんと行ったことはないですが雰囲気がよさそうです
あと、お城関係ないですが、のとじま大橋はとてもいいので、自家用車でこの辺行った人はついでによると楽しいと思います
この辺は単純に景色がすげえいいです
能登は超いい、オススメです


No.35 金沢城

おしゃれなお城としてはかなり上位に来るはずの金沢城です
ちなみに金沢の地名の由来は元々この周辺では砂金が取れたらしく金を洗う場所を金洗い沢と呼ぶうちに現在の地名になったらしいです
下のこのながーい建物は五十間長屋と呼ばれる建物で最近復元されたものです
この長さも面白いですが、こちらの建物は四隅が直角ではなく80度100度の鋭角鈍角で構成された菱形になっているのが大きな特徴です
四隅の死角を減らす防御力向上の仕掛けとのことですが、かなりすごい仕掛けです
また屋根も鉛瓦が使われているのですが、鉛はさびると白くなるらしいです
なので壁の白漆喰と合わせると色合いがとても美しく見えます
かなりいいですね
しかも鉛瓦を使うと屋根が軽くなるらしく屋根を鉛瓦にしたのは雪対策でもあったとされています
実に合理的ですね
あとはいざという時の鉄砲の玉にもできるのではないのかという説もあります
いずれにせよ鉛瓦にした理由ははっきりとはわかってないようです

ちなみに金沢城最盛期のころには百閒長屋というものが存在したらしくそれは単純に上の写真の二倍の長さの建物ということでえげつのない建物が昔あったことが分かっています
なので金沢城には五十間長屋くらいの規模の建物はたくさんあったらしいです
復元してほしいですね

ちなみに今見ている写真の場所は実は二の丸です
二の丸広場はものすごく整備が行き届いていて非常に美しいですね
本丸は実はもう一段高い場所にあるのですが、そちらに行くとガラッと金沢城のイメージが変わるかもしれないです
というのも二の丸とのギャップの差がすごいです
本丸に関してはまったく手つかずのまま放置している状態で、さっき見てた金沢城とちがーうってなると思います
まあ自然豊かで別の意味で憩いの場にはなっていますが本丸がこれか感はすごいです

また、金沢城だけでも十分な広さと規模がありますが、隣に兼六園もあることが非常に強いです
ただ、まあ見ごたえとしては兼六園よりもお城の方に軍配は上がるので余裕があったら見に行くという感じでいいと思います


No.36 丸岡城

さてお次は福井のお城です
現存12天守の丸岡城です
現存12天守中一番最古の天守と呼ばれています
でも最近は怪しいとかなんだとかで揺れているみたいですが
写真はよくみんながとる構図で撮ってます
あと、入り口はなんだか後から壁を切ってつけたのかなと思うような階段を上がって入ります
この階段が結構怖くて足を踏み外さないかちょっと注意しながら登るような階段になっています
現在建築でこれを再建築すると真っ先に手すりをつけられて景観的に台無しになるでしょうね
しかしやはり修繕を繰り返しながらといっても500年間も同じ建物が建っているのはすごいですね

この日は曇天でしたが、個人的にはお城って雨とか曇り空が似合うと思ったりします
個人の感性ですが、雷が落ちてたら最高ですね


No.37 一乗谷城

さてお次は一乗谷城です
こんな山奥の谷に城下町あったのかよいって感じの場所に築かれたお城です
当時はかなりにぎわっていたそうですが、現代に住めば隠遁生活という感じの場所です
忍者がいそうな雰囲気です
実際修行スポットだったらしく宮本武蔵に切られる前に佐々木小次郎がここで修行をしていたそうです
ちなみにポケモンの技だと思っていた燕返しが元々佐々木小次郎から来ていることをここで初めて知りました
ちなみに佐々木小次郎はここで燕返しを覚えたようです
ちなみにただの思い付きですがポケGoとかでここに来ると燕返しが覚えられたりすると面白そうだなと思いました(もう実装されてるのかもしれないですが)

ちなみに城下町はしっかり復元されていて割と見ごたえがあって面白い場所です
最近は博物館もできた(できる?)みたいなことを聞くので見どころはある場所かなと思います

ちなみにこの時代に一乗谷に住んでいた人も好き好んでこんなところに住んでいたわけでもなく戦国の時代だと平野に住んでいるとすぐに家が焼かれたりするので、戦火を逃れるためにこういった山奥に住んでいたようです
なので、戦国時代が終わるとみんなすぐに今の福井市の平野の方に移ったみたいです
ちなみに私は面白おかしくこういった歴史史跡を見たりしていますが、当時の人からすると戦国の世の中はたまったもんではないのでしょうね
ちなみに今は道路で完全にスルー出来ますが、入り口には本来は外敵からの侵入を防ぐバカごつい関所があったようです

ちなみに一乗谷城本体は完全なる山だったのでスルーしました
城下町を見るだけでもおなかいっぱいになれます


No.38 岩村城

さてお次は日本一標高の高い場所に作られたお城の岩村城です
ただ自分は岩村城登っていないのでスルーします
またいずれ行かないといけません
日本三大山城の一つです
ちなみにお城めぐりを初めて知ったことで意外だったのが、標高1000mを超えるお城は存在しないところでした
やはり人間は平地に降りたがる生き物なんだなぁとどうでもいいことを感じたりしました


No.39 岐阜城

織田信長が天下布武を高らかに宣言したお城岐阜城です
すごい険しい山城でふもとから歩くと上に到着する大体1時間くらいかかります
地質的にもチャートの岩盤の上にできており時折道が縞々としたチャートの地層の岩盤が出てきて面白いところでもあります
ちなみに地質的にみると回りが河川などの風化に流される中で固いチャートの岩盤は浸食に耐えて残ったものが山になったのが岐阜城の山(金華山というらしい)の成り立ちのようです
ただあまりにも不便な立地のため(登ってみたらわかります)、信長も通常はふもとの館で政務を行っていたようですし、籠城に適していなかったりあんまり防御にも適していなかったことからすぐに拠点は移動されます
岐阜城の一時しのぎ感はすごいです

ちなみにふもとに置かれていた信長の館はそれはそれは立派な建物だったそうです
復元してほしいですね

チャートでできた山々
見晴らしはものすごい場所です


No.40 山中城

次は静岡のお城、山中城です
静岡というか箱根のお城って感じですかね
山中上の魅力といえばなんといってもこの障子堀ですね
山の上にある城だったので水は貯めれなかったことから空堀の防御力を上げるためにこの形になったそうです
堀を細かく区切ることで敵同士の堀での助け合いを封じたり堀に落ちるとなかなかはいあがれない構造になっているみたいです
ただ、堀の土手部分を渡られたら元も子もない気はしますがそこはどう守ってたんでしょうね
ただ土を崩さずに垂直の壁を作るのは結構な土木技術力がこの時からあったんだなと感じます
お城、特に山城は歴史の事前知識を入れてから来ないと楽しめない遺跡が多かったりしますが、山中城に関しては前提知識なく来ても楽しめる場所だと思います
このへんちくりんな堀は見ごたえがあって楽しいはずです




長くなったのでまた一度区切ります

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