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(童話)タンポポの世界の小さな人たち

たんぽぽの綿毛のなかには、私達の知らない世界がありました。
ダンデライオン国の王女クシャトリア姫は、今日も風の吹くまま気の向くままに、王都を駆け抜けていきます。
気の移ろぎやすい彼女にとっては、幾千幾万の恋も、流れるうたかたのよう。
いつしか、恋に疲れた王女は、物憂い日々を送っていました。


「もう来ない、誰も来ませんように」
王国の智者であったバルムングは、日課のごとく、疑問を携えてくるタンポポ人達の訪問に悩まされておりました。
生来に孤独好きであった彼ですが、「人には優しく」という親の言いつけを守りながら、こんにちまで蔵書相手に、知識を探る努力を怠りませんでした。


来客者の聴聞を終えて、部屋に帰ろうとした彼の前に、クシャトリア姫が訪ねて来ます。
「おや、姫さま。もう遅いのに、こんな時間に王都を出歩かれて、大丈夫なのですか?」
首を傾げるバルムングの気怠そうな調子に、ムッとなった姫さまは「結構ですの! お構いなしに!」とずかずかと部屋へ入ってきました。
物珍しく見渡すと、簡素な部屋ではありましたが、二階へと続く階段に、絵が一枚飾られています。


姫はしばらく気のおもむくまま、宇宙樹と呼ばれる、創世神話の始まりに書かれてある木をご覧になって言いました。
「ねえ、どうして私たちは、こんなにもあくせく働いて、意味も分からずに死んでゆくのかしら?」
その質問に、バルムングは「それは王女様の知恵が浅いからでござ…」と言いかけた所で、例のムッとした視線に気づき、こほんと咳払いをして答えました。
「時空天文学者の話によれば、このタンポポ界の外では、別の宇宙が開けてあることは解っております。
しかしながら、そこへ住む生き物たちもきっと、似たような事で悩んでいるのでしょうね。
わたくしから言わせて頂ければ、この世の知識と呼ばれる水を、飽きることなく飲んだとしても、その器は飲み干すことが叶いません。
常に、動き続ける、前に進み続けることが人生には必要です。


ですが、タンポポ人は、うつつをぬかして、酒にダンスに、あるものは賭け事にはまり込み、すでに『自分が何者であるか?』といった根本的な問いすら忘れがちです。
あるいは、そこに目を向けるのが、怖いのではないでしょうか。」
「怖い?」
「そうです、怖いのです。自分が何者でもなく、ただ生きて、何者としても認められる事なく消えてゆくことが」
それを聴いたクシャトリア姫は、ほおに手を当てながら、眉をひそめて「じゃあ、あなたには何も迷いは無いのかしら?」と聴き返しました。


バルムングは答えます。
「はい、少なくとも生きるという点においては、わたくしに迷いはございません。
いかようにも取れる不確定な答えに、わたくしは興味がございませんから」
それを聴いた姫さまは、少し羨ましくなり、うつむいた目で言いました。
「へぇ、そうなのかしら。
だからって、心の内側にある想いが、価値がないものだと、どうしてあなたに言えるのかしら?」
「価値・・・」
バルムングは、そこで初めて、目を細めながら、あごひげに手を当て、さっきまで見せなかった陰りを顔に見せました。
「価値とはまた、これはこれは・・・」
弱みを見つけた王女は、ほくそ笑みながら、これ見よがしに続けます。
「やっぱり、あなたにも、悩みがあるようね。
訪問客の質問に答えてばかりいて、本当は自分のことすら、よく解ってないんじゃないかしら?」


その答えに至るまでの道のりを探るように、なおバルムングの目は細められ、毛をいじる手にも力がこめられます。
「価値に対する答えは無いのかもしれません。
先程も申しましたが、わたくしには人それぞれ、いかようにも取れる答えには、関心がございませんので」
会話の途中の、気まずい緊張感に、姫様は「ふん!」と鼻を鳴らすと、挨拶の一言もなく去っていきました。


束の間の嵐が過ぎ去ったように、しばらくの間、バルムングはそこから動くことが出来ません。
外では、ウグイスの鳴き声がして、夕げの香りが漂ってきました。
そうして、いつしか沈思黙考をしていたバルムングも、やっと何かに思い至ります。
それは「自分が何も知らないこと」でした。
部屋の中の本棚を探ってみても、見つからない答えが、外の世界にはあるという事です。
今まで、智者と親しまれて、散々知恵をほのめかしてきた彼は、やっと今、恥じ入りました。
しかし、それもまた束の間のことです。
「人にはそれぞれ、分というものがある」と考えるのをやめたバルムングは、家々の灯りに、眩し気な視線を送って、眠りこけてしまいました。