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連載116 2024年2月のエッセイ「空も飛べるはず」

Flying is easier than you think(空を飛ぶのは思ったより簡単)


空を飛ぶ。

今流れているホンダのテレビCMを見た人がいるだろうか。

HONDAのCMの1シーン

「CowBoy Bebop」のEDで菅野よう子さんが歌う「BLUE」をCMソングに使っている。人が空を自由に飛んでいる、未来の世界のようなCM。
でも、小さい頃、小学生の真ん中くらいまでの間、ボクは空を飛べた。
何を言ってるんだコイツ、と思われるかもしれない。
でも、本当なのだ。いや、、正確に言えば、空を飛べた、と信じている。

飛びかたは、シンプルだ。
少し起伏のある田舎道を、思い切りダッシュ。ガンダで走る。そしてちょっとした起伏でジャンプする。足を空中でバタバタさせる。すると、その勢いのままフワッと空中を泳ぐ感じで、翼を動かさずに風に乗る鳥のように自由に飛べた。1回だけではなく、自由にいつでも飛べた。長い距離も。

でも成長するにつれて、その感覚は薄れ、“空を飛ぶ”こともなくなった。

子供の頃、ボクは人よりいろんなことに気づくのが遅い子だった。言ってみれば、夕暮れに気づくのが人より一歩遅いような、世の中の仕組みを自分の中で消化するのが、遅れてる子だった。そして、一人っ子の鍵っ子でいつも寂しい思いを抱えて、日常に問題を抱えていた。そんな自分だったからきっと、空を飛べたのじゃないかな。そして、成長してフツーの感覚を身につけるにつれて、“飛ぶ”必要がなくなったので飛べなくなった。

たしかに現実的な解釈をするなら、妄想や夢を見ていたのかもしれない。
でもね、なんだ、夢オチかよ、と片付けられないほど、リアルな感覚が体に
染み付いている。
だから、その頃のボクは「空なんて普通に飛べるよ。みんななぜ飛べないの?」
と本当に思っていた。

不思議ちゃん、とか、痛いヤツのつもりも自分ではないんだけどなぁ。

人間って、本当は隠れた能力、気づいていない能力があって、
本当は、空も飛べるはず、と大人の今も信じたい。

なんか今月は奇想天外な話ですまない。

でも、でもね。
世の中って、みんなの知ってることばかりじゃないんだよ。
いつか、そう思う日がみんなにも来るはず。遅かれ、早かれ、ね。

信じないと始まらない。
どんなことも。

じゃあ、またね。
チャオチャオ!


2024年2月現在、1週間前を振り返って

ちょうど1週間前の月報にこっそり載せたフリーエッセイ。
月報に載せたシリーズも、ついにリアルタイムに追いついて、その月のエッセイを載せることになった。ただ、この後書を書く余白を作るために1週間ほど、月報の日から遅れることをご容赦願いたい。

今日は2024年になってから5回目の飲み会だった。それはお酒のエッセイの後書に書こうと思うが、予告した20日深夜から随分な深夜になってしまった言い訳は、ソファで気絶してしまったから。許してほしい。

空を飛ぶのは、いとも簡単だったしそのスピードも方向も自由自在だった。
本当の鳥のように。

できれば、あの時のように飛んでみたい。
でも、もう叶わないんだよな。大人になったから、なんて陳腐なことを言うつもりは本当はない。それが1番じゃなくなったから、が理由だと思う。

何かを得ることは、何かを失うこと。
かけひきはできなくて、一瞬でそれは起こるし、取り返しがつかない。

失ったものに想いを馳せても、もうしょうがないのだ、本当は。

でもみんなにもあるよね。

とりかえしがつかない、もう永遠に失われたものに戻ってきてほしい、
そんなときも。

きっと。

今日はこのへんで終わるよ。
またね、バイバイ

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