見出し画像

「拍手」考 01

「コンサートでの奏者の演奏が、
 舞台上から観客に向けられた
 意志行動、表現行動であるならば、
 観客の拍手は、
 客席から舞台上の奏者に向けられた
 意志行動、表現行動である。」

この意味と意義は、
決して小さくない。

演奏者がステージに上がり、
客席に向かって一礼する。

観客は演奏者を拍手で迎える。

この、一見して
「儀礼」としか見えないものの中にも、
舞台上の演奏者と客席の観客との間に
「交わり」が確実に生じているのだ。


私が海外の生活から日本に戻ってきて
そこで初めて気がついた差異のひとつが、
この「拍手」である。

日本でのコンサートでは
見知らぬ演奏者に対しての拍手が
「冷たい拍手」なのだ。

それは、見知らぬ人
…あえていうなら
「不審者」に向けられる
訝しげな視線と同じ性質のもの。

それは、
演奏に対する期待などではなく
むしろ「この者を値踏みしてやろう」と
威嚇する行動に近いものだったりする。

「期待感」の意志を持った拍手と
「値踏み」の意志を持つ拍手、

舞台上の演奏者にとっては
それは客席から自分に向けられ放たれた
「冷ややかな圧力」として
身を縛られる気分になる。


・・・まあ、
見知らぬ演奏者に対して
「こいつは誰だ?」と訝しがるのは、
ある意味、
自然な反応でもあったりする。

人が「人との繋がり」の中で生きていく
「社会的な生き物」である以上、
「仲間内」の意識と「余所者」の意識は
その社会で生きていくための
必要条件でもあるからだ。

だが、
それでも考えて欲しい。

「何のために演奏会に来ているのか」を。

演奏を楽しむためではないのだろうか?

そのコンサートを
楽しむためではないのだろうか?

観客からの冷たい拍手に迎えられ
ガチガチに身構えてしまった演奏者の
「固い演奏」を聴きたいのだろうか?

それよりも、まずは
演奏者に十分な実力を発揮してもらい
ベストな演奏を聴きたいとは思わないか?

演奏者への評価は
演奏を聴いた後で下せばよい。

まずは演奏者のベストを引き出すこと、
そのための客席からのアプローチが
「拍手」であったりするのだ。


イタリアの劇場は無論のこと
フランス、ドイツ、スペインでも
見知らぬ東洋人の私を
観客は満面の笑みと
暖かい拍手で迎えてくれた。

その暖かさにどれだけ救われたか・・・

観客の応援なしには
歌い切れなかった演奏も
数えきれないほどあった。

観客の暖かさで
忘れ得ない町となった場所もある。

あの観客の
拍手の暖かさは
そのまま、彼らの
「音楽に向けられる暖かさ」
ではないかと、私は感じている。

できるなら、
そのような拍手を
日本のコンサートの場でも
感じてみたいと願う。

そして、
これから音楽の道に
進もうとする若き人々に対しては
ひときわ暖かい拍手で
彼等を応援して欲しいと
願うものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?