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「家もなく」 01

家もなく妻も子もなく天つ日の
赤きに燃えて征きませわが背

※ ※ ※ ※ ※

平井保喜(後の平井康三郎)が
昭和18年に発表したチクルス
「聖戦歌曲集《雪華》」の第一曲。

この歌について、歌文集『御羽車』では
次のように記されている。

少し長いが、この作品を知る上での
資料価値があると思えるので、
ここに転載する。
(仮名づかい等は原文ママ)

※ ※ ※ ※ ※

明朝はいよいよ夫が原隊を出発し
征途につく芽出度い日だ。

私は二日間の休みを学校からもらつて、
輝美(長女)をつれて
父母と富山の宿舎へ行つた。

同じ宿の別の室に
農学校の頃の同級生が一人、
向かひの軍装店の近くにも
今一人の友があって、
それぞれに子供があり、妻があり、
揃つた丈夫な両親があつて、
色々とせはしい中で語り合つた。

夫たちはいつも
日が暮れてから隊から帰つた。

いつもさそひ合つて出かけ、
三人並んで楽しげに帰つてきた。

明日の出発をも
遠足にでも出かける様に
思つているらしい三人の様子であつた。

これが出征といふものであらうか。
剣の嶺にかかつては通り過ぎ、
通り過ぎては又どこからか
きてかかる雲をながめながら、
私は一人思ひにふけつた。


この日がくれ、夜が明ければ、
夫は出で発つのだ。

そして二度とかへらないといふ。

夫は船に乗つて
大陸へ押し渡つて戦ふ。

私は一人家に残つて、
相変わらず学校に出て
子供たちに絵を教へる。

毎朝新しい水を写真に汲み
蔭膳を据ゑ、
氏神を村の人といつしよに拝み、
慰問袋を作り、
そのうちに子供が生れて
二人の子のお母さんとなる。

そこまで考へて
私はほつとため息をつく。

どうぞこの子が生まれるまで
負傷もしないで戦つて下さいます様に、
とひそかに祈つた。


日が暮れ、夫等は家にかへつた。

そして
祖国に於ける最後の一夜を
畳の上で眠らうとするのであつた。

一切の準備は整つて室内は粛然とした。

心も胸もすみきつて
悲しくもうれしくもなかつた。

お互に別にいふこともなかつた。

床につく前に夫は
手帳の紙を一枚むしつて私にくれた。

それには鉛筆で
「毅」といふ字が一字書いてあつた。


「子どもの名前だ。
 つよしと読んで、
 母親一人で育つても
 強く育つ様につけたのだ。
 どうかね」
といつた。

涙が胸にこみあげる様にうれしかつた。

「女ならどうつけませうか」

「女の子はむづかしいよ。
 つけようと思ふと、親類に
 同じのがゐたりするからね。
 まかせるよ」

「まあ」
といつて、思はず顔を見合はせて笑つた。

「毅も一寸劃(カク)が多くて、
 学校へ出はじめはこまるかもしれないよ」
などと、
母親の私さへぼんやりしてゐることを
いうのであつた。

かうして、
まだ見ぬ子に名をつけて、
夫はやすらかな眠りに入った。


これが出て征く前夜の夫である。

無心に眠る幼児と
並んで眠る今宵の夫。

私は二人の寝顔をあかずながめて
一人目ざめてゐた。

(続)


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