風任せ。
約7年間追っかけ続けてきた推しメンがついにグループを卒業する。
前々から小林由依が卒業する時が自分のオタク人生も区切りのタイミングになるだろうと思っていた(別に全然オタ卒とかはしませんが)ため、せっかくnoteも始めたことだし何か最後に一つ小林由依についての記事を書こうと思い立ったが、卒業発表前ではあったが以前同じようなnoteは投稿したし、正直まだ実感も無ければ言葉もまとまらないため着手したは良いものの中々手が進まずにいた。
そんな中、小林由依が表紙と巻頭を飾る「B.L.T.3月号」が1/29(月)に発売された。
おそらく"櫻坂46の小林由依"としては最後となる約一万字のロングインタビューが掲載された本誌を読み、自分の中でも良い終着点が見つかった気がした。卒業を受け入れる準備が整ったと言うべきか。
欅坂46に出会って以降、ミュージックビデオを観て、ブログを読んで、雑誌を買って、そして、LIVEへ行って、自分はことあるごとにSNSや配信アプリで長文の感想を投稿してしまう、爆語りオタクとして今日までオタク生活を送ってきた。無論noteを投稿し始めたのもその延長線上にあるモノだ。欅坂46というグループの性質と生まれながらの熱中癖としゃしゃった人間性が掛け合わさった結果、面倒で気持ちの悪いバケモノになってしまったなと自覚しているが、今やそんな爆語り癖あっての交流なども多くなり、いろんな人と知り合うことができた一つのきっかけともギリ捉えられるため特段後悔とかはしていない。
そんな野郎の自分が、小林由依という爆語らせ性能が高過ぎるアイドルを推しメンに選んだのもある意味必然だったのかもしれない。
グループ単位で見ればまだまだ長々語れることは多くあるのだが、メンバー単位となると自分は小林由依に勝る手札を持ち合わせていない。約7年間、10代後半〜20代前半という多感な時期を費やし、ある一人の人を追い続けたという時間と記憶は当たり前にもう二度と無い貴重な体験だった。
B.L.T.3月号を読み終えて気持ちもまとまったため、これまでのオタクライフの一つの区切りとして、今まで通してきたオタクスタイルに倣い、自分にとって人生最初の推しメンについてを最後に少し語ろうと思う。
グループが大きく動く様々な局面で絶えず最前線に立ち続けて来た一期生の小林由依は欅坂、櫻坂の歴史を語る上での重要参考人としての証言を求められることが多く、小林由依のオタクである自分もついついその探りを入れたくなるのだが、我々の求めるような答えが小林由依の口から語られることはそうそう無い。
この度発売されたB.L.T.のインタビュー内容を大胆に要約すると「別にそんな深くは考えてないっすねw」といったモノだった。意図してかはわからないが、おそらくインタビュアーが引き出したいであろう答えをなんと無く分かった上でそれを可憐に避けて淡々と自分が行ってきた事実だけを語る小林由依。こちらからすればグループ全体の面倒ごとを度々請け負ってきた苦労人としての記憶が焼き付いてるが、それをひけらかすようなことはこれまでも一切して来なかった。活動最後の公式的なロングインタビューな上、せっかく振って貰っているのだからついでにカッコつけちゃえば良いのに、脚色する事なく正直に話してしまう。結局我々の目にはそれがまたカッコ良く映るのだが。
いつからかリアリストとして側面が広がり、最近は確かにそうは見えなくなったが、7年前推し始めた当初小林由依はロマンチストの印象があった。テレビドラマを好み、毎クール色々なドラマを観ていたのはその筆頭で、これは実際どうだったかはわからないがドラマを観ながら(私ならこう演じるな…)などと妄想していたのではないかとまで思っている。妄想する姿を妄想するなとは思うが。
2018年に欅坂46の武道館公演が中止になった際、雑誌のインタビューで「公演中止が決まった時はホテルで相当暴れた」と語っていたのもそうだ。過剰な感情表現というのは人生をドラマチックに演出する1手段に過ぎないと思っている。メタ的なことを言えば自分がこうしてnoteに小林由依についての長文を投稿していることも人生を彩るためにやっているセルフパフォーマンスなのだと思う。何に対してかは本人のみぞ知ることだが、怒りを露わにし、そしてそれをインタビューで公言したことからもやはり小林由依はロマンチストなのだろうと当時認識していた記憶がある。
経験と環境が人を大人にして行く。以前書いたnoteで小林由依が自分の本音を滅多に発信しなくなった寂しさについて語ったが、これはある種の防衛本能だったのだろう。B.L.T.のインタビューで、櫻坂が欅坂の曲を披露することについてを尋ねられた際、「どう受け取られるかわからないから」と発言を曇らせた場面があった。前々からTHE LAST LIVEを機に一区切りつけて、欅坂46のことについては一線引いているなとは感じていたが、これまでの経験から何気なく放った言葉が自分やメンバー、スタッフ、オタク、その他大勢の誰かが傷つくことになるかもしれないと危惧し発言を回避するその様はまさしくリアリストだと思った。つまり、大人になったのだと思った。
小林由依がロマンチストかリアリストかなんて話はまず他人が決めることでは無いし特段そこに魅力を感じていたわけでも無いため別にどっちでも良いのになぜこんな話をしているかと言うと、B.L.T.のインタビュー内の「テレビドラマをそこまでちゃんと観なくなった」と言う一文を読んだ時に(あ、そうなんだ…)とストレートにショックを受けたからだ。てっきりまだテレビドラマは好きなもんだと思い込んでいたため、その発言には一抹の寂しさがあった。着眼点がくだらな過ぎる気もするが、自分にとっては小林由依が大人になった象徴的なエピソードとまで思えた。
秋元康御大のようなことを言うが、大人になると言うのはつまらなくなることだと最近つくづく思う。自分は日々多種多様なコンテンツを過剰に摂取することでなんとか耐えて見せているつもりだが、それでもカルチャーショックや新鮮な体験というのは日に日に減っていく。同じコンテンツを追う同胞の感想を見ては「めんどくさ。うるせーよアホ。」となってしまうことも増えてきた。目を凝らせばそこら中に転がっているのかもしれない煌めきには、死ぬその時まで気づくことが出来ないのかもしれない。
元々見た目も中身も大人びていたように思うが、小林由依は本当に大人になったんだなと言うのが今回のB.L.T.を読んで一番に感じたことだ。インタビューで「特に深くは考えていない。当たり前のことをやって来ただけ。」とばかり語ったのは、前述した防衛本能的なこともあるのかもしれないが大まかには本音なのだと思う。どこまでを本音とするか、という難しい話にもなってくるが、"心情というレイヤーにおいて上部では無いが潜在的なものでも無い、他人に踏み込ませても構わない領域"も本音とするのならばやはり本音で間違いないと思う。
ここまでの文脈から小林由依は大人になった=つまらなくなったと捉えられてしまうかもしれないが、これを自分はリフレッシュとも捉えている。想像でがんじがらめになるよりも、難しいことは考えずに成り行きに身を任せるようになることは、一見つまらないかもしれないが、経験無くして、大人にならなきゃたどり着け無い境地でもある。そしてそのストレスフリーな生き方でしか見つけられない煌めきも必ずある。これは大人になったからというよりかは単に芸歴8年目のベテランアイドルだからと言う気もするが、ここではそれも含めて"大人になった"と表現する事にする。
「深くは考えていない」とアピールするのは思考がリフレッシュされ、単調に物事を考えられるようになった結果なのではないだろうか。決して多くは語らないが、ミステリアスといった印象を受けないのはやはり本音で話しているからなのだろう。小林由依は大人になったから、深くは考えないし、"頑張らないことを頑張れる"ようになったのだと思う。(ただこれはこれまで器用に生真面目に生きてきた小林由依に限った話な気もするが)
以前投稿したnoteでも長々と話したが、あらゆる局面で小林由依が何を考えているかを深読みすることを生業として来た身としては「本音をカモフラージュするために考えてないアピールしているわけでは無くて、普通にマジでそうだからでした!」というオチは少し肩透かしを喰らった気もするが、2nd写真集が発売された頃に幸い認識をアップデート出来ていたためそれはそれでしっくり来るし、自分にとっても良い落とし所が見つかって良かったなと思った。それに、昔はやはり言葉に何かを忍ばせていたことは確かだし、勝手ながらその行間を読む作業が無かったらここまで小林由依に没頭できていなかったとも思う。
対して、「小林由依ってこうなんだろうな〜」とこうして長々語っている自分はまだまだロマンチスト=子供だなと感じる。ほんのわずかな雑誌のインタビューを読んで、こうして長々と妄想を書き連ねているのは紛れも無くロマンチストである証拠だろう。ましてや防衛本能とわかっているのであれば「本当は違うこと考えてるんじゃないの?」と言葉のさらに奥底まで土足で踏み込むような無粋な真似はするべきではない。
ともかく、自分が小林由依のオタクとして一つのポリシーとして来た本音に少しでも近づきたいという思いは"実はもう本音を見せてくれてました"といった結論で無事終幕を迎えられそうだ。自分の中でそう思い込んだそれが本当に当たっているのかは一生わからないし、もし当たっていたとて何にもならない。人の心情を勝手に察するというのは非生産的な作業のように思えるかもしれないが、オタクをする上で自分にとっては何故かこれが本当に楽しかった。そして、ここまで長々と語って来たことがもし全てとんだ的外れなモノだったとしても、自分の中ではこれを幕切れとし、これ以上の詮索はもうやめようと思う。これを、私の大人になる為の一歩とさせて欲しい。
本誌には小林由依本人のインタビュー以外にも、小林由依の初センター楽曲である「隙間風よ」のMV監督を務めた池田一真が小林由依、そして隙間風よのMVについて語るインタビューも掲載された。
池田一真は欅坂46のデビューシングルである「サイレントマジョリティー」や、その他にも多くの欅坂、櫻坂楽曲のMVを手がけた監督で、「サイレントマジョリティー」の冒頭シーンを単独で務めた小林由依とも何かと縁が深い人物である。
「隙間風よ」のMVはセンター小林由依、MV監督池田一真と言う布陣から、何かと欅坂46と紐付けた深読みをされがちな作品だ。以前、小林由依が隙間風よのMVが公開された直後にSHOWROOMを行った際、「隙間風よのMVを解説して欲しい」といった旨のコメントが殺到し小林由依がMVの作りについて語った一幕があった。演じた本人に解釈を委ねるのはナンセンスだなと思いながらも、言うまでもなく「多分別に深い意味は無い。歌詞の世界観のまんまなんじゃ無いですかね。」と、オタクらが求めていたようなアンサーは返って来なかったのだが、この度池田一真サイドからも「隙間風よのMVでは別に欅坂云々の話はしていないつもりです」といった言及がなされた。
作品における"深読ませ"は欅坂時代から今に至るまで行われているグループのお家芸である。おわかりだとは思うが、一見同じ深読みでも自分が行っていた小林由依という一個人を対象とした深読みとは訳が違い、対象が"作品"な為こればかりは受け取り手が好き勝手都合良く解釈し、合法で言いたい放題して良いモノだと自分は考えている。また、この作品内に登場する"キャラクターとしての小林由依”についてもそれと同じことが言えると思う。
演者からも監督からも深い意味は無いと発信されてしまったが、だからと言ってこれまでオタク間で囁かれていた深読みや考察が全て破綻してしまうと言う訳ではない。以前書いたnoteの通り自分は小林由依の背景や人間性に倣い「隙間風よ」のMVをそういった見方はせずに単なる推しメン初センターの一作品として観ていたが、振り付けには明らかな欅坂の歴史が織り込まれているし、誰もが自由に解釈をして良いよう意図して余白も作られている。自分が観て自分がそう感じたのであれば解釈はそれで良いのだ。(ただSNS上では(流石にそれはお前が気持ち良くなりたいだけ過ぎるだろ…)と思ってしまうような超飛躍目障り解釈も度々目にするが)
こちらが深読みをしてしまうのは、欅坂、櫻坂のレガシーありきのモノであり、単に小林由依というメンバーが秘める背景と紡いで来た物語が魅力的だからに他ならない。そして作品を楽しむ上で、勿論メンバー個人のパーソナルな側面を紐付け過ぎなければの話ではあるが、作り手はそこまでの意味合いを持たせたつもりは無いけどこっちは妄想を広げて盛り上がれるという関係性はとてもコスパの良い健全なバランスに思える。
元々一作品として真正面から向き合っても素晴らしいミュージックビデオだったが、小林由依と「隙間風よ」のMVには"別にそんな深くは考えてないっすねw"の精神でも通じ合っていたことがこのB.L.T.のインタビューで判明し、結果的に"今の小林由依そのもの"としても受け取れるミュージックビデオとして自分の中で昇華出来た有難いインタビュー記事であった。
※上記2本のインタビューについて自分はだいぶ穿った解読をしていると思うので鵜呑みにはしないでください。少しでも気になった方は是非本誌を購入し一度読んでみることをおすすめします。
推しメンが卒業発表をした時、そのオタクは一時的ではあるがあたかも自分がこの世界の主役かのように振る舞う。もれなく自分も小林由依の卒業発表を受けた後まんまと長文お気持ち表明をしたのだが、その際一体小林由依の何が好きだったかを改めて考えた。
人柄、スピリット、顔、スタイル、ファン思い、パフォーマンス、努力家、ストイック、それらをひけらかさない謙虚さ、推しメンカラー、ブログ、音楽センスワードセンスファッションセンスとか諸々の全センス、演技力、後輩思い、姉と仲良し、グリカの手を抜かない、などなど結局ほぼ全部好きだったのだが、7年もの時間を追っていた為昔好きだったけど今はそうでも無かったり、逆に最近好きになった所などもあったりする。勿論その時々の熱量にもそれなりの変動があって、思い返せば全然飽きていたのかもと思える時期もあったことに気がついた。
どの時期が一番オタクとして熱中していたかとなるとやはりハマりたての17、18年頃だったとは思うが、どの時期の小林由依が一番好きかとなるとこれは2022年10月の2nd写真集発売〜今現在までが一番好きであると自信を持って断言出来る。
前述した通り「大人になったから、深くは考えないし、"頑張らないことを頑張れる"ようになった」と自分は考えているのだが、その今現在のどこかリフレッシュされたかのように、同期や後輩と日々活気良く活動し、心地の良い距離感でファンとの関係を育み、素直に踊ることを楽しむ小林由依のことをとても魅力的に思うのだ。そのアイドル活動には単なる慣れとは違う、深くは考えず成り行きに身を任せながら対面した一つ一つの仕事を真摯に、目一杯に楽しむといった煌めいたものを感じる。
これまで幾度となく様々なプレッシャーや期待に誠心誠意向き合い打ち勝ってきた人物であるということを決して忘れてはならないが、その上で、色んなことに折り合いをつけて来た分だけ分厚くなったニンから来る余裕と自信を胸に、ストレスフリーに活動を楽しむ様は応援しているこちらも見ていてとても気持ちが良かった。
櫻坂46 2ndシングル「BAN」に収録された「思ったよりも寂しくない」。この曲を初めて聴いた時「これは欅じゃ出来なかったな」と真っ先に思い、櫻坂はこの曲が本当に似合うグループになったら良いななどとぼんやりと感じていたのだが、昨年末ZOZOマリンスタジアムで行われた櫻坂46「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」での披露を見た時に心の底から「櫻坂46ってこうだよな…」というのを感じた。LIVEやMV、パフォーマンスのクオリティはキープしながらも、メンバーは輪になって活動を楽しみ、ファンをも除外することなくその輪に入れてあげる。欅坂46とは決定的に違うアプローチで理想的な活路を見出すことに完全に成功したんだなという手応えがあった。
この「思ったよりも寂しくない」という楽曲を主軸に考えた櫻坂46とこれまでの小林由依の活動スタンスの変遷にはとても近しいものを感じる。そして、“考え過ぎないで”というメッセージからこの楽曲そのものをついつい今現在の小林由依に照らし合わせたくなってしまう。これと同様に、当時はセンター横ポジションからの繰り上がり形式で代理センターを務めていた為さほど当人と楽曲のシンパシーを感じなかった欅坂46の「風に吹かれても」が今、巡り巡って小林由依の人生観とかなり密接に重なり合っているのでは無いかと感じる。
小林由依にあまり欅曲披露の要求はしたくないが、「風に吹かれても」だけ(すみませんあと普通にマジで一回生で観たいから誰鐘)は今の小林が披露する姿を見てみたいなと率直に思う。是非とも卒業コンサートで披露してくれたら個人的には嬉しい限りだ。
1月11日、櫻坂46 official YouTube channelにて小林由依のソロ曲「君がサヨナラ言えたって・・・」のミュージックビデオが公開された。音源だけを聴いた時は「卒業記念なのにいつものただのソロ曲過ぎるだろ」といった所感だったが、MVは自分の思う今の小林由依像と限りなく近い解釈で描かれていてアイドル生活の最後を飾る映像作品に相応しい出来栄えだった。
このMVもまた、思わず小林由依の過去から現在の変遷を感じ取らずにはいられないような構成となっており、ラストカットで見せる微笑みからは「だから卒業するんだもんね」と納得させられてしまう、達成感と希望が込められた卒業であること強く感じさせる作品だった。
サブリミナル的に扱われた過去MVのワンシーンが「二人セゾン」「Nobody's fault」「五月雨よ」の三曲のみからのピックアップだったのはどういった意味が込められているのだろうか。単に折り重なる手を記号的に採用した結果なのかもしれないが、これにはまだまだ深読みの余地がありそうだ。
卒業発表の通知を見た時、真っ先に思い浮かんだ言葉は「今までお疲れ様。頑張ったね。本当にありがとう。」だった。ご覧の通り彼女のことを一人で相当複雑に考えているのだが、結局こういう時一番に出てくる言葉は労いと感謝というシンプルなモノなんだなと学んだ。
それと同時に妙な解放感のようなモノにも襲われた。決して縛られていたとは思っていないのだが、直訳すると(やっと終わるわ…)といった感情が浮き上がって来た。後半は日向坂との片手間ではあったが、自分の中でもどこかやり切ったような感覚があったのかもしれない。
1月21日、幕張メッセにて開催された小林由依との最後の対面イベントへと足を運んだ。僅かな枚数の券しか無かったが、最後に一度小林由依を間近で見られればそれで良かったし、一言感謝を伝えられれば十分だと思っていたのだが、最後の最後にシンプルに照れてしまい言葉が詰まる大事故を起こしてしまった。小林由依の躍進とは裏腹に俺はこの7年間何一つ成長してなかったんや…と自分の惨めさに嫌気が差してしまうあっけない最後だったが、その時に卒業発表時のやり切った感覚とは真逆の「こんな偉大なアイドルのオタク生活を送れたのであればもう少し人生賭けてもよかったのかも」という少しの後悔が生まれた。
古株のオタクたちには理解してもらえるとは思うが、正直な話小林由依がここまで残るとは思っていなかった。その為、「もうすぐ辞めちゃうかな?」から逆算するように自分で無意識にブレーキを踏んでしまっていた時期もあった気がする。個別握手会が開催されていた時期は毎回マックスまで券を取っていたが、オンラインミーグリになってからは券を取ったり取らなかったりといった感じだった。7年も通っておいて未だ認知があるのかすら不明な上、スペイベに応募した事も無い。大した会話をした記憶もほぼほぼ無く、初めて小林由依と対面した「二人セゾン」全国握手会京都会場で話した
「吹奏楽で一番好きな曲なんですか?」
「ん〜〜マードックからの最後の手紙!」
という会話を未だ鮮明に覚えているほどその後のアップデートがなされていない。人並み以上のコミュ力はあると自負しているのだが、推しメンの前ではいつも無力だった。
こんなにも偉大な人の最後を盛大に見送ることができるのなら、こちらももっと人生をかけて向き合うべきだったしそうしていたら最後も悔い無く会話出来ていたのかもと考えると、解放されるどころかまた複雑に絡まった鎖に囚われたような感覚になり、やはりオタクというものは一度入ったが最後二度と逃れられない牢獄なのだと悟った。
7年間常習的に行なってきた小林由依爆語りもこれで最後かと思うとまだまだ語り足りない気がするが、最後の最後までいつもの如くたった一つの雑誌の一インタビューを読んだだけであーだこーだと語れて楽しかったし、2月1日に参加する卒業コンサートの感想次第ではまた一人でベラベラと語り始めるかもしれない。
これまた別の東京カレンダーに掲載されたインタビューにて、卒業を決めた理由の一つとして「オーディションの時に誰かに憧れられる存在になりたいと言っていた私が、今そうなれた実感があるから。」といった旨のことを語っており、僅かにも最後に「お?ロマンチストか?」と思える言葉を聞けて嬉しかった。
そして何より、ここまで追い続けて来た推しメン、大好きな人がこんなにも素敵な環境で卒業を迎えられることに思わず胸が一杯になる。
高校生で憧れだった芸能界に飛び込み、そのポテンシャルの高さから「サイレントマジョリティー」の5人のフロントメンバーの内の1人としてデビュー。主張は控えめながら、ブログや佇まいなどのキャラを早々に確立し、唯一無二の存在感を放ってきた。しかしその後、順風満帆と言える活動も長くは続かず、真面目で優秀であるが故に幾度となくグループに発生した不都合の皺寄せを受けることに。皮肉な事に、そういったエピソードはアイドル活動をする上である意味立派な武器となり得てしまうのだが、それに頼るようなことはせずに苦労話は内に秘めて、今自分がファンやグループもために出来ることを常に模索していたように記憶している。その結果、表面的なアピールポイントとして黙々とパフォーマンスを磨き、欅坂末期には完全にトップパフォーマーの一人として地位を確立していたように思う。
改名後しばらくはどういったグループなのかを模索する日々が続いていたように思うが、いくつかの指針が定まり2023年以降グループは再び盛り上がりを見せることに。その中の一つが「ハイクオリティなクリエイティブの提供」だと思っているのだが、それはトップパフォーマーの一人である小林由依にとっては好都合で、実力を存分に活かすことが出来る環境が出来上がったと思っている。アイコンとなるポジションは実力者揃いの二期生の面々に託しつつも、常にその近くに立ち、櫻坂の一番の武器とも言える「ダンス」でグループを引っ張る存在となった。
正直昨年2023年の冒頭では、たった一人のために単独の卒業コンサートを開催する程の余裕やフィジカルを櫻坂は持ち合わせてい無かったように思う。この一年の大躍進があってこその卒業コンサート開催だと思っているが、この話の肝は”その大躍進に小林由依も大いに貢献していた”という点だ。2023年の年明け、「最後の一年にしよう」と決めた小林由依はメイン活動の傍らテレビ出演や舞台仕事などの外仕事も多く行なってきたが、MVや歌番組の出演などのメインの活動に支障をきたす事は無かった。また、同年にリリースされた表題楽曲ではそれぞれ重要なポジションも務めており、決して二期生におんぶにだっこでここまでやって来たわけでは無く、皆と手を取り合いながら大きな歯車の一つとして躍動してきた結果の卒業コンサート開催だと思っている。
同期にも後輩にも、関係者にもファンにも、今や全員から愛され信頼されるアイドルとなった小林由依。そんな恵まれた環境に身を置き華々しい卒業を迎えられるのは、一概に小林由依のこれまでの生き様あってのモノである。
彼女の生き様は、誠実さが身を結ぶことを証明した。そして、卒業用のソロ曲とそのMVが貰えて、代々木体育館で単独の卒コンを二日間も開催出来るということは一人のアイドルとして紛れもない誉れと言って良いだろう。
コンテンツ支えられ人間である自分にとっての一大コンテンツを喪失することとなり、この先不安がないかと言えば嘘になるが幸い多趣味なものでまあどうにでもなりそうではある。たかが娯楽の話なんてそれこそ成り行きに身を任せて生きて行ければそれで良いのかもしれない。
考えれば考えるほど今の自分があるのは小林由依というアイドルがいたおかげだなと思う。もうジジイ扱いされてもおかしくない年齢な為こんな言葉を使うのも少し躊躇いがあるが、小林由依のオタクでいられたこの7年間は自分にとって間違いなく"青春"と言える、輝かしく、かけがえのない日々だった。この宝のような日々の記憶は、この先の人生の中でも度々思い返しては大事に懐かしむ事になるのだろう。
直感と推しメンカラーで選んだ人生最初の推しメンが、こんなにも偉大かつ尊い人物で、長期にわたる活動の末その盛大な最後を見届けられることは、おそらくこれまでの人生の中で起きた一番のラッキーであった。ガチのサヨナラは2月1日の卒業コンサートになると思うが、超個人的な小林由依オタクとしての活動はこのnoteの投稿にてピリオドを打とうと思う。言葉では到底表すことができない程の、大きな感謝と敬意を込めて…
今まで本当にありがとうございました。
小林さんのオタクでいられて幸せでした。
楽しかったです。
8年半お疲れ様でした。
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