おできにはじまりおできにおわる
冬である。師走である。多少調子が悪いところがあっても病院へ行くのをつい先延ばしにするのが大人というものである。私だけかもしれないが。
先日おできができた。痛いのだが、足の付け根にできたものだから自分でちょっと見えにくい。とはいえもう一度言うが、足の付け根なものだから夫や娘に見てもらうのも恥ずかしくなんとも具合が悪い。そのうち治るかもしれないと期待していたのだが悪くなる一方である。さてどうしたものかと思った時、まず最初に使うのは世の流れだなあと思うのだがインターネットである。
最近はAIが色々質問してくれてこれかも、という病名を診断してくれるので便利である。だが、それは本当かどうか分からない。でもなんとなく気休めになる。そう思って早速診断してもらったところ出てくるのは怖い病名ばかりである。放っておくと手術だとかさらに広がるとか言うではないか。ついでに画像も検索したらどこを見ても怖い。先週末はそのせいで憂鬱で仕方がなかった。
そして週が明け、皮膚科をやっている友人のクリニックへ朝一番に電話をした。この友人は私が独身の時からの仲で夫と私が出会って結婚するきっかけになった英会話友達の中の一人である。家族全員がカユイだイタイだと言っては彼のお世話になっているけれど最近はコロナ禍なのと調子がいいのとで会ってなかった。
話は戻って電話口で症状を伝えると、見てみないと分からないからとりあえず来いという。化粧っ気のない顔で飛んでいき、悪いことばかり考えながら待った。呼ばれてベットの上で待つ間も悪いことばかり考えて天井を見ていた。「見てないけん分からんけど、手術になったらここではやれんけん大きい病院に行ってもらうけんね」という言葉にビビっていた。
しばらくして友人が入ってきてご陽気に「久しぶりやねえ」と言うので「久しぶりやのにいきなりこの格好ですみませんねえ」と答えた。そして10秒も見たか見ないかで「はい、薬出すけん飲んでね」と言う。
着替えて話を聞いたらただのおできだった。「シワのよるところにはできやすいからしっかり洗って保湿して、薬飲んだらそのうち治るけんね」という言葉が呪いを解く呪文に聞こえるぐらいほっとした。ほっとしたついでに「つまり洗い足りんと?不潔と?」聞くと「そうね、まあ洗い足りんということね」と言われてショック。かなり洗っとるわ、と思ったけれどおできができたということは足りていなかったということ。おでこに「洗い不十分!」という紙を貼られたような気がして情けなくなった。
最後に「智佳ももう50過ぎたんか、早いなあ、そうか50過ぎたんか、体大事にせんといかんねえ」と友人が言った。「そういうあなたはちっとも変わらん。若いねえ」と返した。彼は白髪が増えたぐらいで実際ちっとも変わってない。が、もうとうに65を過ぎているはずである。皮膚科の医者だからなのか、体質なのか、お肌はきれいだし、お腹も出てないし、たぶんおできなんかできていない。美魔女ならぬ美魔王である。見習おうと思った。洗い十分!と書いた紙がおでこに颯爽とはためく彼である。彼の妻もそういえばお肌がピカピカだでかわいい人だ。洗い十分である。病院から帰ってしばらくは人を見るたびに世の中「洗い十分!」の人がおおいもんだなあ、と感心した。
さてたかだかおできである。そんなおできに翻弄され右往左往した後は20年あまり聞き流してきた彼の言葉を改めて胸に刻まねばと思った。
一つ 石鹸とタオルで顔も体もごしごし洗うこと
一つ 洗ったら保湿。ワセリンをちゃんと塗ること
これだけである。おできごときで心を入れ替えるなんておかしな話だけれど、おできを笑うものはおできに泣くのである。
では、また。ごきげんよう。