散らかり人生

近藤です。

今週の山の我が家はとても散らかっています。

仕事が立て込んでいて疲れている上にお客様が来る予定ももちろんなし。でも、ふと思いました。「もしかして片付いていると気持ちがいいのは私だけ?」いやいやそんなことはないはず。思い直して子どもたちが脱ぎ散らかしたパジャマを拾い集めてクローゼットへ押し込むのが毎朝の仕事の始まりです。

忙しい時には始終子どもたちに「脱いだものぐらい片付けなさい!」と声を荒げたりしますが、効果なし。彼らが小さい時に「片付けられる子にする」がテーマの育児書を読んでおけばよかったと思ったりしますが、時すでに遅し。

こうして毎朝、朝の片付けをしていることを実家の母にこぼしている途中思い出したのが自分のこと。そういえば私もよく「食べたら食べっぱなし、脱いだら脱ぎっぱなし、(電気を)付けたら付けっ放し」とお小言をもらっていたものでした。ああ、偉そうにいえません。

そして続いて思い出したのはベット生活にあこがれて、布団の下一面に学習辞典全10巻を敷き詰め、足りないところは他の本を並べ、高さを揃えて上からお布団を敷いて寝たこと。「お布団ぐらい上げなさーい!」と叱られて念願の高さ10センチ程度のベット生活は数日間で幕を閉じました。あの時のお布団周りも確か散らかってました。

ああ芋づる式に思い出される私の散らかし人生。ただ、4年の大学の寮生活のおかげでそれは見事に矯正されました。

平成の世にあって寮内は昭和的。良家の子女こそ家事も教養も高い質を求められるものです、なんて言われ、外でどんなにバブルで浮かれていても、出かける前も寝る前もとにかくきっちり。例えばこたつ布団の布団でさえもしわひとつない状態で部屋を出なくてはならないのです。他にもたくさんのお当番と決まりの中で鍛えられました。今の私があるのはそんな毎日の賜物でしょう。(たぶん、ですが)

今時あんな寮があったら誰も入らないし、きっと誰も入れないでしょう。老朽化と入寮者が減ったのとが理由で数年前に長い歴史を閉じました。

毎朝前髪をクルクルにして原色のスーツやワンピースを着て出かけ、外で平成バブルを謳歌し、寮に戻れば古い昭和をそのまま生きていた田舎の女の子たち。その一人が私でした。

変な時代だったなあと思いますが、外でどんなことをしていても生活の土台が揺るがない生き方がなんであるかを学ぶ良い時間だったと思っています。

もし今でもあの寮がそのままで存在していたなら子どもだけでなく、夫も入っていただきたいという願望がほぼ毎朝渦巻く私なのでした。

では、また。