見出し画像

炬燵(こたつ)カオス

新しい一年になって二週間。遅ればせながら今年もファミーリエをよろしくお願いいたします。

世のお洒落人はどんなふうにして家の美しさをキープしているのだろうか。私はものが出しっぱなしになっているのが好きではないタチなので一人でいると家の中がそんなに散らかることはない。

けれども家族が学校や職場から帰ってくるとあっという間に我が家はカオスになる。特に大晦日に実家から借りてきて正月が明けたら返すはずだったこたつは子ども達の懇願により、そのまま我が家にある。今も隣の部屋では夫が軟体動物となりダラダラとしている。息子も娘も静かだな、と思って覗くとしょっちゅううたた寝しているし、みんないろんなものを持ってきてあたりにおきっぱなし。足の踏み場もない。脱いだジャージもまんがも宿題のノートも一緒くたである。いつの間にかお菓子の詰め合わせボックスのようなものまで出現。ご丁寧にごみ入れも装備されているではないか。足が痛くなった時のために私が御詠歌教室でいただいた正座用の小さい椅子までころがっている。

そんなわけなのでリビングにコタツを置くと片付かない。だから書斎というか勉強部屋というか、まあそういう狭い部屋へコタツを押しこんだ。机や本棚の隙間にコタツ。それが家族にとってはさらに居心地の良さを生み、今はブラックホールとなってみんなを吸い込んでいる。

結婚してからこの方、コタツは決して置くまい!と努力してきた私の冬の魂胆はこの年末年始にこうして木っ端微塵となった。外国かぶれの私はソファーでくつろぐのが一番だと思ってこの日本のほっこりの象徴のようなコタツを拒否していたのだが、家族は「これこれ、これがいいのよ」とコタツの魔力に連日うっとりしている。おかげでリビングはがらんとし、狭いあの部屋は今や「コタツ部屋」という新しい名前を得た。

コタツ恐るべし。母になかなか返さないことを詫びると「いいのよいいのよ。コタツがあると散らかるし、入ったら出られなくなって何にもできないからね。あると困るからもうあげるわ」と言う。母はあのカオスを、ブラックホールを、手放したかったのだ。ちなみにあのカオスは弟が大学時代に使っていたものらしい。チェーンメールならぬチェーンコタツである。リサイクルショップに持って行くにはあまりに家族が愛しすぎているコタツ。大事に使って子ども達に譲るか。それもなんだしな。私も時々一人で入ってアイスクリームを食べたりすると幸せになってしまうからやっぱり手放し難い。

私は引き受けるにはあまりにも荷が重いものを受け取ってしまったようである。

では、また。ごきげんよう。