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風呂スポーツ

風呂に入るなら湯船に浸かって本を読みたいタチである。

実を言うと体をきれいにするのはシャワーで十分だと思っている。時期によっては1日に何回も入ることがあるので洗濯物担当の夫からすると迷惑かもしれないが仕方がない。寒い時期はお湯につからないと寒いでしょう、と言われるがそれほどでもない。どちらかと言うと体が温まるまでのかなりの間、湯船でじっと座っているのが苦手なのだ。

ただ、今年の冬は我が家の給湯器の調子が悪くなり、実家の風呂を何度か借りにいったために湯船に浸かることが増えた。けっこういいじゃないの、と思って湯船に浸かるのが好きになってきた。

とは言えやっぱり何にもせずに湯船に使っていることはどうにも居心地が悪い。そこで大体何かしら本を持って入る。最近よく持って入るのは外山滋比古の「思考の整理学」だ。しょっちゅう持ってはいるのだが、全て湯に流しているのだろうかと思うほど毎回きれいさっぱり内容を忘れているのがたまにキズである。

他にはCasaという雑誌もよく持っていく。照明の特集とか、ワークスペースの特集とか色々あるが、我が家において参考になることがないくらいおしゃれである。妄想を膨らませるのにかなりよく、こちらはなぜか商品名やデザイナーの名前がよく頭に入ってくる。不思議なことだ。

時代物や軽い推理小説を持って入ったりもするが、結末までの目算を誤ってものすごく長湯になることも多い。反対に漫画を持って入ると早く読み終わり過ぎて、風呂の入り口に(念のため、)置いてある次巻を読んでしまうので、これまた出る機会を逃してしまう。小学生の時読んでいたキン肉マンとか中学生の頃読んでいたキャプテンとかを読む時は一滴でも湯がつかないようタオルは頭の上に常備。腕は決して下げないので腕も胸筋も腹筋も背筋も鍛えられる。

さて、どんな本を読むにしても私には湯船でリラックスするという発想はない。熱めの湯に浸かりながら早めの速度で本を読んでいるのは軽いランニングをしながら本を読んでいるようなもの。運動をしている感じがする。だから汗があまり出ない時は「いかん、風呂で怠けるな、もっと鍛えるんだ!」という気持ちになる。これでいいのか、と最近思う。

これまでの私は家でも外でも湯船に浸かるのはアトラクションだと思ってきた。風呂好きの友達にそう言うと「旅行に行って温泉に入るのと家のお風呂が同じってこと?誘い甲斐ゼロだわ」と言われたりしてきた。だが、今は違う。風呂はスポーツジムである。息が切れて、喉が乾いて、目の奥に力が入って、奥歯がギリギリする。もう出たい、いや、まだまだ、限界に挑戦だ、後1ページ読めばもっと汗が出るぞ、そんな感じで挑んでいくのが風呂であり、湯船なのだ。

こう考えている人はどのくらいいるのだろうか。周りからは共感してもらえない私なのだが、先日スーパーの入浴剤ばら売りコーナーで発汗作用のある入浴剤が売られていた。意外と多いのかもしれないのだ、風呂スポーツ人口。

では、また。ごきげんよう。