中国生まれのバイオリン
近藤です。
我が家が紫陽花屋敷になっています。昨年の剪定がよかったせいかこんなにたくさん咲いたのは初めてです。
今朝、地震がありました。山の我が家はそれほど揺れませんでしたが、昨夜息子がバイオリンのニスが臭いというので、ケースを開けっぱなしにして風を当てようということになり、夫がそのまま寝ようとしました。
私は、「地震が来たら大変なことになるから蓋は閉めたほうがいいよ」と言ってから寝たのですが、まさかほんとに朝地震が来るとは。バイオリンがなんともなくてよかったと思ったのでした。
しばらくまえのことになります。子どもたちが大きくなってきて、今後もバイオリンは続けるのだろうと本人たちも親も思うようになった頃、彼らに新しいものを買ってやりました。
弦楽工房のご主人に前もって選んでもらっていた中から3時間ほど引き比べてそれぞれ選んだのは息子がドイツのもの。娘は中国のものでした。
息子がドイツの楽器を選んだのは彼の個性などを考えるとどことなく納得がいきました。ただ娘は私たちの予想を超えた選択をしました。
夫にも私にも弦楽器はヨーロッパ、という固定観念がありましたが、娘にはそんな先入観を持たずに弾き比べたようでした。絶対これがいい、これじゃないのならいらない、と言うぐらい気に入ったのが中国のもの。実際私たちも弾いてみたらとてもいい音がして、イタリアの楽器にも負けない(ように聴こえました)ぐらい。楽器の世界はどんどん変わっていることを知りました。
音楽をやる人の中にはイタリアのものじゃないと、とかあそこのはだめだとかいう人もいるようですが、そんな風に信念が強いのはきっと自分たちが使ってきた楽器が素晴らしかったからなんだろうなと思います。
時代は楽器の出身地よりも楽器そのものの良さに注目する方向に変わってきていると頭ではわかっていても気持ちは追いついていなかった、と思うと夫も私も世の中の見方がまだまだ偏っているなあと実感したのでした。
かつて日本のピアノなんて、と言われていた時代があったけれど今ではカワイやヤマハがコンクールで使われることも増えました。最初に日本のピアノを使ってくれた人のおかげですよね。誰なのかわからないけれど、ありがとう、って思います。
たった一丁のバイオリンを選ぶ際のことでしたが、娘の中に「あたらしい人」という言葉を見たのでした。
では、また。