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付かず離れずのお布団で

近藤です。

山の我が家も雨続き。我が家の危機管理大臣である息子と相談して一緒に家族分の靴やらおやつ、水、などを運んでもらった夜もありました。アメリカ人の友人は「日本では道に迷ったら玄関のある場所と洗濯物を干している場所が南だと思えば間違いない」と言います。ほんとかな。とにかくここでは大きな山々は我が家の南側にあるので、土砂崩れはベランダと玄関から来る。そう思って備えています。

退院してからもうすぐ二週間。その間ベットもソファーもなんだか体に絡みつくようで居心地がよくない。今の自分には地面に近くて付かず離れずのお布団が一番楽だ、と思い、我が家の唯一の畳の部屋である家族の勉強部屋にお布団を敷き1日の多くを過ごしています。

本棚と家族の人数分より多い机に囲まれたこの部屋は雑多で永遠に片付かない倉庫のようで、寝るには絶対不適切です。台所が遠くに見えたり、テレビがないのも今の私にはいいし、散らかったこの部屋で寝ながらにして勉強?をしている子ども達の背中に向かってあれこれお願い事をするのにも便利。ひとりだけど、ひとりぼっちじゃないこの感じは子どもの頃病気をしていた時を思い出します。家事をしているお母さんが見えるところにお布団を敷いてもらっていたあの感じ。付かず離れずの感じ。

ある時、子ども達にちょっと弱音を吐きました。そうしたら一人用のお布団の両側に二人が一緒に寝てくれたのですが、それがギュウギュウ。私がモノでお布団が箱、子ども達が梱包材のように思えました。体がなんとなくグラグラして収まりが悪いなあと思っているので梱包材がギュッと支えてくれるのは心地よいなあ、なんて嬉しくなりました。

けれどもいつも弱っているわけではなくて、痛み止めを飲んでしばらくの間は最強になっていた少し前の私。痛くない時は小言も出るし、子どもの部屋まで行って叱ることもできます。でも、痛み止めがなくても痛さが我慢できるようになってきてからはいつだって小言が言えるはずなのですが、以前よりそういうのが減りました、たぶん。そして口数も減りました、たぶん。

退院してから子ども達がお布団の傍に寝転んで自分の話をするようになりました。あんなことがあった、こんなことがあった、という話よりこう思ってる、ああ思ってる、という気持ちの話が増えたのは私の口数のせいでしょうか。

それを聞いて、私も思ってることをポツリポツリ話す。そんな会話は今までと全然違います。弱ってよかった、と思っています。

元気になって、以前と変わらない生活になるまでもう少しです。でも、もうたくさん詰め込んで走る生活はできそうにありません。お布団を敷く場所があることのよさと寝転ぶよさを知っちゃったから。

声を大にして言いますよ。

いつも心にお布団を。地面に近いところでごろんとできる場所を。付かず離れず、で、って。

では、また。ごきげんよう。