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アホガードとはなんぞや

やってしまったが、もう遅かった。

私は子どもの時からカップのバニラアイスクリームに温かいコーヒーやお茶をかけて食べるのが大好きである。カップの真ん中に穴を開けて匙で温かい飲み物ををちょっと垂らす。そして食べたらまた垂らす。こうやってチマチマアイスを食べるのがとにかく好きだ。

おいしい熱々のコーヒーを入れて、いただきものこれまたおいしいアイスクリームの蓋を開け、テーブルに置いて、我慢しきれず立ったまま一口、二口。調子に乗ったところでアイスクリームをすくう手に力が入ってコーヒーが跳ねた。案の定シャツと自分の後ろの真っ白い壁にミルクコーヒー色のシミがどさっとついてしまったが後の祭り。

だいたいお行儀の悪いことをやるとこういう失敗をする。こっそり一口だけ飲もうとした牛乳が口の端から垂れてしまったり、とんかつの切れ端を一口つまもうとして火傷したり。親が見ていたら絶対叱られると思うのだが自分が親なのだから誰も何にも言わない。自分が自分にがっかりするだけである。

食べ物を指でつまんだら必ず反対側の半袖Tシャツの袖口で手を拭く友達がいた。バーでビールのおつまみに頼んだチキンウイングを食べるたびに袖口で指を拭く。ハンバーガー屋でフレンチポテトを食べたら袖口で指を拭く。カフェでクッキーを食べたら袖口を親指と人差し指で摘んで拭く。バーベキューをやったらしょっちゅう袖口に手をやっている。私は袖口が気になって仕方がなかった。そんなギトギトの袖口、ぜったい女の子に嫌われるよーと仲間内でよく言ったものだった。

夏に友達になったので、この習慣は夏だけかなと思っていた。しかし、彼は年中半袖のTシャツを着ていて、飲食店に入るといつも半袖。真冬は分厚いコートの下がパーカーだったことがあったのでほっとしたのも束の間、そのパーカーを脱いで半袖になった。もしかして、この人は食べる時は半袖と決めているのかしらと思ったぐらいだった。

この友人に彼女ができた時、私たちは本当に喜んだ。とても素敵な人なのになぜか恋愛がうまく進まない、とみんな思っていたからだ。友達にクリスチャンがいたので彼と同じ教会へ私も時々行っていた(教会は誰でも受け入れる寛大な場所なのだ。神父様の英語のお説教を聞いて英会話の勉強する、という目的だとしても)。彼は礼儀正しくて見目麗しき留学生だった。歴代のガールフレンドにもその親にも好かれていた。今度こそうまくいくか、と思って仲間内の飲み会に彼女を連れて来ることを楽しみにしていたが、そんな日はなかなかこなかった。

しかし私は確信していた。上手くいかないのは「袖口で指を拭くからだ」と。礼儀正しさとのギャップが激しすぎるこの癖。勝手ながら新しい彼女の前ではそれを止めるように、と思っていた。

ある時、みんなで飲みに行った。大体金曜の夜は羽目を外す日だった。友人が彼女を連れて来た。彼が半袖で来たのは言うまでもない。袖口で手を拭いていたのも言うまでもない。でも、彼女は多分そんなことちっとも気になっていなかったんだろうと思う。洗えば済むんだから、とガハガハ笑うところがかっこよくて、仲間全員が「こんどはいける!」と心でガッツポーズをした、と思う。

彼らももういい歳になって、子どももいる。子ども達の前ではいいマナーでいるんだろう、と思って聞いてみたことがある。そうしたら妻になった彼女が「子どもの前ではやめてるのよね、不思議よねえ」と言う。本人に今でも年中半袖かどうか聞いてみたところ「流石にそれはないね。もう寒い時は寒い」との返事。

歳を取るってこういうことだよなあ、と思った。ということは私だってそれなりに歳を取って分別もつき、お行儀がよくなっているはずなのだが、なぜこのシミはついたのか。謎である。

ちなみにこのアイスクリームにコーヒーをかけたものをアホガードという、と聞いた。なんだ「アホガード」って。アホ防御(ガード)とは文房具の名前か?受験用の参考書の名前か?それとも関西発祥のアイディア商品か?なんて思った私だった。しかしここで間違い発覚。アホガードではなく「アフォガート」が正しい。「溺れた」を意味するイタリア語らしい。

とにかくこんな洒落た名前があったとは露知らず、子どもの頃から50過ぎても「アイスのお茶漬け」なんて呼んでた自分がアホに見えてきた。アフォガート、明日はほうじ茶で溺れてみようぞ。

では、また。ごきげんよう。