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愛とお金について 202405.5週目週報

お金を稼ぐということ、その手段である仕事について、皆さんにどのように考えて向き合って欲しいか、僕がどうそのことについてどう考えているかを書いてみます。

突然ですが、皆さんにとって幸せな人生ってどんな人生でしょうか。僕は自分にとって愛する人がいて、そして自分のことを愛してくれる、そういった愛に包まれた人生が幸せな人生なんじゃないかなと考えてきました。それは男女の恋愛だけを指し示すのではなく、人間関係自体を示す意味です。なので、そもそも愛とは何なのか、どうすれば愛に包まれた人生を送ることができるのか、を考えてきました。

よく、愛とお金のどちらが大切か、みたいな話がありますが、僕はその二つを別のものとして比較するのは間違っていると思っています。「愛する」という意味の中に責任をもつ(お金を稼ぐ)という意味が含まれていると考えてきました。たとえば、自分の子供や大切に飼っているペットがいるとします。自分のペットをいくら大切に想って世話していると周りに言っていたとしても、十分な水や餌を与えることができていなかったら、その人はペットに愛情を与えていると言えるのでしょうか。愛するということは、単にその人を気遣ったりすることだけではなく、責任を持って面倒を見ているという「結果」が伴っていなければ、愛してるとは言えないんだと思います。愛するということは、きちんと自分が自立してその上で誰かに与える余裕がなければできない行為です。「愛する」とは感情の動きを指すのではなく、与える技術であり能力のことであるならば、自立していない子供には人を守れる力がないので、人を愛する能力はない、ということになります。

しかし一方で、お金だけを与えられていれば、それを受け取っている側が愛情を感じるかと言えば、そうではありません。愛にはいくつかの要素がありますが、大きく分けると、今書いたような「責任をもって守れる力」をもっていることと、それと同時にその相手のことをよく知ろうとして尊重して思いやりの心をもって接することに分けられて、それら全てを受け取ったときに愛情は感じられるんだと思います。家庭を顧みずに仕事ばかりして家族が寂しさを感じている、裕福だけど個性や自由を認めてもらえず尊重してくれないために生きづらさを感じる、という話はよくありますよね。

愛に包まれた人生を送るためには、まず自分から人を愛せるようになる必要があります。人は愛を与えられたことによって、自分もその人に愛を返したいと思うようになるので。愛とはお金や時間をかけることによって、相手に何かを「与える」ことですが、与えることによって自分が持っているものを失うので、愛すること(与えること)は簡単なことでなく、忍耐と勇気が必要なことです。

さて、ここからが仕事にまつわる話です。愛するためには、責任を取れる力を持たなくてはいけないと書きましたが、現代においての責任能力とは、やっぱり「お金を稼ぐ」ということです。動物社会では餌を取ってくることであり、また外敵から守る強さを身につけることかもしれません。ただ、私たちが生きる資本主義社会では、それらはほぼすべてお金によって達成されます。人を愛せるようになるために、またそれによって自分自身が愛してもらえる人になるために、愛する力の一つである、「稼ぐ力」を私たちは身につけないといけないと思うんです。繰り返しですがお金を稼ぐだけが愛の全てではありません。それでもお金を稼ぐことを軽んじる考え方はよくないですし、お金を稼ぐことには真剣に一生懸命向き合わなくては、愛に包まれた人生を送ることはできないと思います。もし僕がお金は別に大切じゃない、なんていう考え方だったら、仲間の給料をあげるための努力をしないと思います。それは皆さんをはじめとした仲間にとって幸せなことではないですよね。だから僕は、一つ一つの仕事、それぞれの事業が、お金になるものであるかどうか、利益が出るものであるかに強くこだわります。そして皆さんにもこだわってほしいと思っています。

まとめると、愛とお金は別のものでなく、むしろ密接に関係する。愛に包まれた人生を送るために、お金を稼ぐことに向き合いましょう、という話でした!

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