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怒りをのみこむ③

私たちはあまりにも、諦めが良すぎる国民になりすぎているんじゃないかと思う。
どれだけ座り込みをしたって、ツイッターデモをしたって、私たちの民意が政治に反映されることは殆ど無い。ムーブメントが大きくなったとしても、とかげの尻尾切りや論点ずらしをされて終わりだ。
そういった無力感を植え付けられ続けたせいで、声を上げる人を白けた目で見る人や、冷笑的に嘲笑う人達が大勢出てきた。
彼らは圧倒的な勝ち馬に乗って、弱い人をいじめるのが面白いの知れないし、弱い人達の訴えていることに耳を傾けて、その内容について考えるのが苦しいのかも知れない。
素人が政治を語ることに対し『専門家でもないのに政治の事喋るなよ』という冷ややかな圧を掛けられたりもする。かくいう私も、『難しいこと考えていてエラいね』と言われたり、『暗いことばかり話していると幸せが逃げるよ』と良く分からないスピリチュアル論をぶつけられた事もある。結構へこむ。
声を上げることが一種の恐怖を伴うようになってきて、政治に対し疑問や怒りを感じていたとしても、思いを呑み込む人が増えたんじゃないだろうか。
だけれど、口に出さないで堪え忍んでいるだけで苦しみを分かってくれる人なんて、ハッキリ言って殆どいないだろう。
ましてや、相手が圧倒的な権力を持ってしまった大勢だった場合、黙っていたらそれは服従しているように見えてしまう。服従しながら、いやだいやだ、と愚痴を言っていても何も変わらないのに。
昨年から問題になっている自民党の政治資金問題、(これは『政治とカネの問題』じゃない。『自民党のカネの問題』だ。)これで明らかになったのは、自民党政治では、国民の一票の重さは等しくなかったんだということだと思う。
一枚20000円のパーティー、利益率が9割とも言われるショボいパーティーの券を一回に何枚も買う、パーティーの声がかかる度に買ってあげる。そういう人の声はきっと大きく聞こえるんだろう。
その政治家の立場になってみたら、パーティー券を買ってくれた有権者と、全くお金を落とさない有権者、二人が政策について訴えた場合、券を買ってくれた有権者の意見の方を聞いてあげたいと思うだろう。
仕事での便宜をはかる↔️政治資金を献金するというギブアンドテイクがまかりとおっている政治は、民主主義じゃない。
だって、私たちの殆どはそんなパーティーには行けないのだ。
だから、同じメンバーがお金を都合し続け、同じ政治家が力を集め続ける。そうやって利権も権力も集中してしまった。東京オリンピックを思い出してほしい。
この国は、本当にこのままで良いだろうか。
一昨日国会が開いて、裏金議員達はどんな顔で出てくるのかと思ったら、ニコニコニコニコ談笑。笑っていられるくらい余裕なのだ。
なんだか、派閥解散!という言葉をぶちあげて、「悪いのは派閥の政治資金パーティーだよね」という間違ったメッセージにすり替えられている気がする。
違う、問題の根幹はお金で政治が動いていることだ。
自民党の重要なポストについていながら、裏金を手にしていた政治家が、判を押したようにこう言っている。
「多大な政治不信を招き、皆様に深くおわび申し上げる。全て秘書に任せており、自分は知らない。」
政治不信を招いたことを謝るってのは、誰に何を謝っているんだろう。私たちは、政治に不正があったことに対して憤慨しているのに。
よしんば秘書だけに任せていたとして、秘書が何千万も勝手に帳簿につけないで使っていたのを見抜けなかったような政治家は、人を使う力もなければ危機管理能力も圧倒的に足りない。そんな人に大切な国のお金を触らないでもらいたいし、ましてや政策を作らないでもらいたい。
もう、怒りをのみこむのはやめにしたいと思う。不正が見つかった政治家はみんな選挙で落としたいと思うし、間違っていると思う政策には声を張り上げていきたい。



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