いままでと、これから①

Peace!!という喫茶店を閉じてから3月で2年になる。「良かった、何とか終えられた」とホッとする気持ちと、「これで良かったのか」という気持ちがせめぎあい、苦しい時期が続いていた。そこには、自分は負けた。失敗した。と自己否定する感情があったんだと思う。
 私は店を営業していた15年間も、自分よりうまく切り盛りをしている人と比べて落ち込んでいたし、自分が『こうあるべき』とする店の運営が出来ていないことを恥じていた。
 コロナ禍での経営不振、義両親の体調不良、子育てでのつまずき、明日の営業の段取り、それらに頭を悩ませることがキツいな。と考え始めた時、「店を閉めたら、楽になるのではないか」とピンと来てしまった。
 それまでは店をどんな時でも開き、切り盛りするのが当たり前だったのだけれど、ぷつっと糸が切れてしまったような感覚。
 お客様に店を閉じることをお知らせし、お別れをすることが出来たのは良かったし、借りていた物件もきちんと気持ち良くお返しできた。     あの頃の最重要課題であった、義母の大手術も無事に終えられたし、義父の認知症についても良い先生を見つけることが出来たと思っている。(そちらは相変わらず問題が山積しているが。)
 店をある程度長く続けた結果として、私の作る料理やお菓子が格別に美味しいものでは無いことは良く分かったし、私ではなければ出来ない仕事という程の仕事は出来ない、と痛感していた。つまり、飲食の仕事には限界を感じていたのだ。
 だから、自分なりに納得感のある閉店だったのだけれど、それでも店を閉じてからも、snsで発信されている素敵なお店の写真や、たまたま出掛けたお店が混んでいるのを見かけるにつけ、「こういうやり方もあったのに(自分は諦めた)」「このお店は成功している(のに、自分は失敗した)」と、自分自身を攻撃する思考に陥っていた。(こういう考え方はしんどいからやめた方がいい本当に。)
 ただ、閉店を決心する前からうっすら考えていた事がある。私は、店を始めた当初よりも困っている人に関わりたい気持ちが強くなっている。
 生きていけないかもしれない、というほどの苦しみ、自分又は誰かを傷つけることでしか己を保てないほどのストレス。
 そういうギリギリの苦悩を抱えた人はお茶を飲みに出掛けて、店の人と話したりは出来ないだろう。
 Peace !!を始めた頃は、お茶を飲みに来る人がホッと出来るような店を作りたい、お客様同士でお喋りしたりしてコミュニティみたいになっていきたい、と思っていた。その思いはずっと持ち続けていたけど、私がアプローチしたかったのは行き場がなく困っているような人達だったんだよな、と気づいた。
 虐待の末に子どもが亡くなった、というニュースを見聞きする度、『そんなことなら、私に送ってくれたらいいのに』と思う。
病気や事故でもないのに、子どもが亡くなるなんてあってはならないことだ。苦しむ子どもを減らすために、ひょっとしたら自分も関われるかもしれない、と考え始めている。
        ②へつづく。

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