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やる予定のなかった最終報告会

はじめに

なぜ最終報告会をやらなかったのか。
僕は僕の中で3ヶ月の整理がついていると思っていました。言葉に表せるし、書き留めてもある。整理の意味で、最終報告会をする気にはなりませんでした。
そしてもう一つ。感じたこと、思ったこと、大切にしたいことその全てを吐き出した時それをみんなが見てどう思うだろうか。認めてくれないのではないか。認められないのなら自分の中でだけこの大切な想いを守ってあげたかった。だからしないことを選んだのです。

でも、みんなの最終報告会を聞いて、みんなに言葉で、みんなに想いを直接伝える場所はあの場所しかなかったんだなと失ってから初めて気づきました。
だから、もう遅いかもしれないけど最終報告会をはじめたいと思います。

三ヶ月の島体験で学んだこと。

この三ヶ月で学んだことは、愛すると言うこと。
自分を愛するということ。
人を愛するということ。
三ヶ月間、こんな僕にみんなと過ごす中でいろんな愛を分け与えてくれました。
自分のことが大嫌いでした。うまくいかない自分が、何もできない自分が大嫌いでした。
僕は積み木をうまく積めなかったら力任せに薙ぎ倒すような人です。
島に来てすぐ、またここでも人に愛されることはないのだろうなと思っていました。
そうしたら、三ヶ月間くらい、1人でも目的持ってやり切ってやるって、別に仲間なんて必要ないと強がっていました。たぶんそれが9月の僕の姿。
愛なんて知らないから必要ない、そう思っていた。
でもね、みんなが愛してくれました。
誰からも愛されないと思っていたこんな自分を愛してくれました。
この島の「ないものはない」がこんな自分でいいんだって、みんなからもこんな僕でいいんだって認めてくれて初めて自分のことを好きになれた。
9月の最後に「菅沼くんは弱さを見せてあげなさい」と言われた意味が今ならわかる。
これからもいっぱい自分のコップを満たしていくのでしょう。その満たし方をみんなから学べたから。
僕はみんなを愛せていたのでしょうか。
僕が受けた分みんなに返せていたのでしょうか。
愛するとはなんですか?と聞かれた時に「ただ想い続けること、相手を願い続けること」と答えました。
このノートを書きながら、みんなのことを想い続けている。だから僕は愛せているんだ。
僕にみんなを愛させてくれてありがとう。

島体験とは

研修で習字をした時に僕は「解」の文字を書いた。島体験の解を出したかったし、島の熱と夢を見せる力はどこにあるのか解りたかった。

その解は、島体験はみんながないものはないを自覚して相手のあるものを認め、ないものを補い合う。そんな制度ではないだろうか。
大人になるって、こう言うことだなって。
人のために、自分のあるものは支えて、ないものは補い合う。僕たちは大人と子供の中間。
最後には大人になって帰っていく。
だから「大人の」島留学/島体験なのだと。

島が持つ熱と夢は底知れぬ愛情なのではないだろうか。僕らが感じたような愛情ではないだろうか。

終わりに

みんなと出会えてありがとう。
一緒に時を過ごしてくれてありがとう。
ご飯を一緒に食べてくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
愛させてくれてありがとう。

またいつか。

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