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きていた鎧。

孝太廊です。
最後の最後まできていた鎧がありました。
それはがーすーです。
がーすーと呼ばれるたびに今はがーすーかな?
この発言はがーすーじゃなかったか。って密かに振り返っていました。

父親は孝太廊って名前をつけた時にどうか名前をみんなから呼ばれる子であってほしいと願いを込めていたそうです。
これまでは自分は下の名前の呼び捨てでしか呼ばれなかったし、みんなと違ってあだ名がないことに親しみのなさのようなものを感じてどこか寂しかった。

こっちにきて、みんなががーすーと呼んでくれて嬉しかった。その反面、みんなに認められていく中で、がーすーでいなきゃって言う自分と内側にいる小さい頃のまんまの孝太廊との乖離がどんどん大きくなっていってる気がしていました。

でも、みんなの中にがーすーと呼ばなかった人たちもいます。ただのあだ名だし、そんなに深く考えるなとも思うけど、その人たちは本当の僕を見てくれていたのかなって。ただ感謝を伝えたいです。聞いてください。

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