小説 猫の何か・ピノキオのように

要約(20字x20行)

私は、ピノキオのように、最後は人間になって幸せに生きていきたい。

ええ?あなたは人間として生まれたのに、人間扱いされていない。ということなの?そうです。人間扱いされていません。人間として扱うなら、もっとましな生き方があったはず。どうして、そう思うの?それは、私がひと口では言えないような陰惨な目に合ってきたからです。

決して哲学的な問題を提起しているわけじゃない。ただ、幼いころ読んだ本の中で、いまだに強烈に印象に残っている絵本に、ピノキオがあった。原本は絵本よりもっと残酷で恐ろしい物語。幼い子供には刺激が強すぎたので、オブラートに包まれて生まれ変わったのが絵本のピノキオ。

例えば、人間が同じ人間を差別するのは、太古の昔から続いている、どうしようもない性(さが)。

私は、40歳過ぎて、仕事上、どうしても英会話をブラッシュ・アップせねばならない情況に陥った。世界中から職場のある成田空港に大勢の外国人が押しかけてきた。

その時、ごく日常的な会話よりも、必要とされる能力。それは、職場の部下が外国人と外貨両替でトラブった時、問題を解決する能力を有する者として、私責任者次席として矢面に立つ羽目になったのだった。私が、本店から成田空港に左遷されたのも、私の英語英会話能力が役に立つと思われたからだった。

日本の学校で覚えた普通の英会話なんて何の役にも立たなかった。成田空港には、アメリカ人も来れば、オーストラリア人も、インド人も来る。例えば、英語圏でも、オーストラリア人は、殆どが訛りがあり、英語の「today」の発音を「トゥダイ」と発音する。イギリス人やカナダ人などは、綺麗な英語を話すが、フランス人は、たとえ知っていても英語を話さず、フランス語をまくしたてる。女の子なら可愛い発声だが、野郎が怒ってフランス語を話すと、男の生唾が飛んできそうで気持ちが悪い。

世界中から様々な人種が成田空港を訪れる。ありきたりの英会話力だけでは、とても太刀打ちできない。韓国人、中国人、ロシア人、中東、東南アジア、中南米、ありとあらゆる民族が来る。アフリカ人に至っては、フランス語やドイツ語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、それに現地語・・・なんでもありだ。

私は、外貨両替でクレームをつける彼らから逃げるわけにはいかなかった。彼らの様々なクレームに対応できる者は、私の他には誰もいないのだ。

私のストレスは毎日溜まり、仕事が終わると酒を飲まずにはおれなかった。

最初は、缶ビールの小。可愛いねと、幼い娘が言って、お酌をしたりしてくれた。しかし、それもつかの間、ストレスの増加に連動して、酒量が増えていった。ビールは350CCになり、やがてそれが2本、3本と増えていった。気が付くと、ロング缶、つまり500CCを2,3本飲んでも眠れなくなっていた。原因は、わかっていた。ネイティブが喋る英語のスピードに追い付くのが大変だったのだ。

TOEIC600点くらいの実力では、ネイティブに通用しないのはわかっていた。

悩んだ末、成田市内の有名な英会話教室の門を叩いた。私の勤務先の日程が不規則なため、英会話の授業を月、水、金などと固定できない。そのため、学費がびっくりするほど高い、先生と生徒が1対1の英会話の特別教室を選択せざるを得なかった。高速でトーイック730点レベルになるには、教える先生も優しい女性のネイティブ・スピーカーに限られた。それが浅はかだった。

私は、ある非番の日に、初めてその英会話教室に入った。部屋のドアを開けると、一人の肌の黒い女性が椅子に腰かけ長い脚を組んでいた。私は「え?白人じゃないの」そう思って少し落胆した。

一瞬、私は頭の中がぐるぐる回った。どうしよう・・・。私が期待していたのは、瞳がブルーで金髪の白人の若い綺麗な女性だった。私のそんな下心を見通したのか、彼女は表情を曇らせ、少し悲しい風情だった。

(ああ、まずかったな。しかし、差別なんかしていない)

私の表情が激変したのを見て取った彼女は、流暢な英語でまくしたてた。

私がある種の期待をもって部屋に入ってきたのを彼女はすぐに察知した。

彼女は思い切ったかのように、腰かけていた椅子からすっくと立ちあがった。180センチはありそうだった。私はまるで子供のようだった。彼女に見下ろされると、自分が惨めに思えてならなかった。穴があったら入りたい、そんな心境だった。それを英語で言えたらどれほど安堵できただろうか?

しかし、私は彼女の堂々とした態度にないも言えなかった。ただ小刻みに震えていた。彼女は、背の低い私に透明なソプラノで声をかけてきた。そうして、にっこり微笑んだ。凄い美人だった。まるでハリウッド映画のスターのような美人だった。

「Hi!」

私は呆気にとられた。彼女のスレンダーな肢体と楚々とした態度。(変なことを想像していた私は、自分の浅はかさと不甲斐なさを恥じた・・・)

「Myname is xxxxxx 」

あまりの速さに聞き取れなかった。

「パードゥン?」

緊張して、僕はこれしか言えない。

「How do you do ? Nice to meet you xxxxxxxx」

私は顔がこわばっていた。彼女は私が言っている意味がわかるまで、何度も、何度もゆっくりと繰り返した。彼女の言葉がなんとなくわかってきて、私は顔が赤くなった・・・。

「私が白人でないことにショックを受けて、ものも言えないの?そんなに白人が好きなの?ブロンドのカワイ子ちゃん目当てで入ってきたんでしょ?そうあなたの顔に書いてあるわよ!」

先生はこんなことを喋っていたと思う。

穴があったら入りたい。その心境だった。よく見ると、彼女は鼻孔の大きなアフリカ系の黒人ではなく、インド系アーリア人特有の、とても彫りの深い、目鼻立ちのくっきりとした、まれにみる美人だった。肌の色で差別するなんて、おかしいではないか。第一、僕らだって黄色い肌の有色人種だ。特に英国では、黄色人種は、ひどく軽蔑されるらしい。日本では抜群に英語のできた友人が、一念発起して英国に留学したが、最初の一週間でノイローゼになったことを思い出した。

私の英会話の先生は名前をシュバと言い、インドのボンベイ生まれで、高等教育もインドで受けた。彼女の両親もインド人。あの国民全体の知能が高いインドで、彼女の両親は大学卒でしかも外科医だということが後でわかった。相当裕福な家に生まれた彼女は、難関の国立大学に進み、世界を旅するアメリカ人と結婚していた。教養豊かな両親のことを話す時の彼女の瞳は、きらきらと輝き、まるで黒真珠のようだった。彼女の英語はクイーンズ・イングリッシュで素晴らしかった。少しハスキーな声に僕は興奮した。何せ、若い男女が密室で2時間も籠って何かをするのだから・・・。ぼくは、甘くてハスキーなシュバ先生の身体を想像してにやけていた。ところが、ところが・・・

授業が始まると、彼女は豹変した。甘い声は消えて、表情も変わった。鬼のような形相になり、おどおどしている私を大声で叱った。それでもあなたは日本男児か?ええ?という具合に厳しかった。受験英語だけしか勉強していない私に苛立ちを覚えたらしい。実力もさして持ち合わせていない私は、プライドだけは高く、鼻持ちならないらしい。彼女の態度は猛禽そのものだった。

覚えの悪い私に、次第に怒りを覚えてきたシュバ先生。ある日から鞭を使って机を叩くようになった。ひゅうひゅう、ビシッバシッという乾いた音が部屋中に響くたびに僕はビビった。そのうちに、私も机のようにバシバシ叩かれるのかと思うと、暗澹たる気分になってきた。高額の学費を一括で払い込んだ手前もあり、こんなことぐらいではやめるわけにもいかなかった。

どうしたらいいものか、考えあぐねた。このことが妻に知れると、妻からも折檻されそうで怖くて、告白できなかった。英会話の高い授業料は妻が払った。もともと僕には金もなく、あるのは、はったりと借金の山だけだった。

このことを妻には長い間黙っていた。私は後悔した。妻には申し訳なかった。こんなことになろうとは夢にも思わなかったのだ。妻に詫びても、もう遅い。妻が許してくれるどころか、シュバ先生とグルになって僕を痛い目に合わせ、散々弄ぶのではないか?愛の鞭ではなく、地獄の修羅場の鬼の鞭になりそうだった。僕は自分の無知を恥じた・・・。

過酷な授業に耐えた。妻に折檻されるよりましだった。シュバ先生のお仕置きは恐いが、先生の色っぽい美脚に見とれているだけで、痛みのすべてが消えていった。ひと思いに先生から身体を締め上げられて、あの世へ行けたら、どんなにか幸せだろうか?

英語の特訓よりも、そんな紅楼夢のような想像に溺れていた私は、何か、嬉しくて変になりそうだった。もともとアルコール中毒になっていた私は、頭がおかしくなっていたのかもしれない。そうか、彼女はサドで、僕はマゾだったのだ。先生の太ももはいい匂いがした。その匂いに私はとても興奮して困ったことになりそうだった・・・。

あれやこれやで、ようやく既定の3か月が過ぎた。気が付くと、僕の身体は痣だらけだった・・・。万一、妻に僕の裸を見られたら、大変なことになりそうだった。

私は夢をよく見るようになった。ある夜、中東のある国の王女に見初められ、王族の一員となった。しかし、謀反をおこした反乱軍に捕縛され、私は処刑されるために広場に連れ出される。王宮の外は気温摂氏50度を超える、とても信じられない世界だった。(日本に帰りたい。日本に帰して下さい・・・)

私は反乱軍に命乞いをするだけだった・・・。

こうして次第に私は眠れなくなってしまった・・・。

気が付くと、そこは精神病院だった・・・。





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