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天草・長崎を巡る旅        2020年1月29日

~夕食前、温州みかんを食べながら、ゆっくりする。
妻と娘が取り留めも無い話をしている。今はこんなに穏やかで仲がいいこの2人。娘1が高校2の頃、妻と激しく対立していた。
*娘1=長女

事の始まり
2018年夏、娘1が社会人1年目ながら、東京から長崎へ赴任。これには少し驚いた。初めての一人暮らしのうえ、かなりの遠方だ。なかなか思い切った人事をする会社だ。今時の若いのなら辞める奴もいるだろう。こんな人事するから結婚しなくなるのだと私は思ったが、逃げずに長崎に行った娘1は偉いと思う。
さて、長崎までは、移動時間においては、飛行機を使えば正味2時間。しかし陸路だと、深夜バス 博多号と九州号を使って、東京から16時間はかかる距離だ。
かみさんは先月、娘1の引っ越しの手伝いのため、このバスに乗り長崎へ行っている。まさに「水曜どうでしょう」の世界。
 
私はまだ、長崎に行ったことはない。娘1はどんな場所で生活するのか心配でもあるし、興味もある。
また、15年前に親父が亡くなり、分骨のために一度訪れた天草のお寺、その先祖の檀家の寺にもう一度お参りして、今年の春亡くなったお袋のことも報告したい。
それと、赴任1年目、東京以外で、さらに初めての1人暮らし、それも入社1年目の女子、この会社、娘1を辞めさせたいのか、でも、これが外資系の会社なのかとも思った。

さて、どうするか?
ならば弾丸で天草と長崎の両方とも行くか、俺は長崎市から天草の寺までの地理的位置を調査する。すると島原半島の先端からカーフェリーで30分程度の天草の港の近くに檀家のお寺があった。
これは好都合だ、きっと何かの縁だろう。行くしかない。私は妻と2人で、天草・長崎への旅を実行に移した。当然だが、この旅行、娘1も最初から同行する。現地での移動はレンタカーとした。

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天草へ向かう
旅の初日、長崎空港で娘1と合流する。まだ長崎で2ヶ月しか経ってない、慣れぬ地での医者相手の仕事。少し辛そうであった。2泊3日楽しんでもらおう。今回、娘1はゲストだ。車の運転は私がする。
外に出ると10月とは言え思ったより寒い。レンタカーを借り、大村湾にある長崎空港から一気に島原半島を目指した。途中、小浜(おばま)温泉などは素通りして、島原半島の先端の口之津港へむかった。

2時間ほどで口之津港に到着、そこからカーフェリーで天草の鬼池港へ、船旅は30分位だ。
乗船までに時間があったので、何か食べるものをと隣接する売店を見ると、地元メーカの菓子パンがあった。パッケージデザインがレトロだ。
美味そうなので、買ってみた。味はただ甘い。
車を積み込むとフェリーは岸壁を離れた。日本の旅には舟が似合う。
海の色はまさにインディゴブルー。イルカウォチングの名所である天草灘を見ていると、徐々に気持ちが旅モードに切り替わっていった。

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鬼池港
フェリーの到着した鬼池港から車で5分の所に、檀家のお寺がある。訪ねると住職は外出中だったので、細かい話は出来なかった。
それでも、始めて訪ねたから15年の時は経っており、過疎化の激しい地域なので、風景も含めて色々と記憶と違っていた。寂しいけど時の流れは止められない。お墓は三鷹市に移しているので、また来る事はないかもしれない。

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充電バイクの旅
この日は天草半島を北上して、有明町、島原湾に面する民宿 秀丸荘に泊まる。お風呂は近所の道の駅にある温泉に行く。女湯が一部工事中だったのが残念だった。
そこで、150円で20個の温州みかんを買う。これが美味い。みかんは九州だと再確認する柑橘系が大好きな私だった。
この秀丸荘、食事が豪華で良かった。特に名物のタコステーキ、地元の味付け醤油で煮込んだだけだが、これが美味い。
それと、なんとここは出川哲朗の充電バイクの旅でも立ち寄っていた民宿だ。
実際はそのことは知らなかったが、手洗い場にあのシールが貼ってあったので、気づいた次第だ。

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女親と娘
夕食前、温州みかんを食べながら、ゆっくりする。
妻と娘1が取り留めも無い話をしている。今はこんなに穏やかで仲がいいこの2人。娘1が高校2の頃、妻と激しく対立していた。おそらく女性としての生き方とか、その性格とか、人格攻撃、そんな事で揉めていたようだ。
娘と女親の対立は、成長期にはよくあると思う、まずは親の存在を全面否定することから大人になっていく。
私はぼんやりと、海に面した広い窓から島原半島を眺めていた。夕闇せまる島原の海は本当に美しい。

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崎津教会
翌日、潜伏キリシタンとして世界遺産となった「﨑津集落」を観光する。天草半島を南下する。崎津漁港は静かな漁村だった。
天草の南の端。四方を山に囲まれたべた凪の海を防波堤から見ていると、本当に遠くにきたなと思った。
江戸時代、隠れキリシタンが潜伏していた場所。でも時の流れは今とは違うから、私が感じるような気持ちでは、当時の人はこの風景を見ていなかったはずだ。
異様に濃いブルーの海は、ある種の寂寞感を漂わせていた。それを感じる事ができるのが旅の良さかも知れない。
娘1も、少しずつ気分がほぐれてきたようだ。緊張間のある時期だから、旅行してもなかなか気分は乗らないと思う。それでも、目の前の静かな情景は、頭を空っぽに出来るだろう。

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崎津教会は、異国情緒が全開で、鳥居の中から見る教会は不思議な世界感がある。

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長崎へ戻る時間だ。折角なので崎津から近い大江カトリック教会へ寄る。天気もよくイタリアの教会にいるような気分となる。ちなみにイタリアへは一切行っていません。
さて、ここからまたフェリーに乗り、元来た道を戻り、長崎市へ向かう。

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長崎
長崎、私には原爆を投下された都市と記憶されている。
小さい頃、お袋に
「お前の誕生日は長崎に原爆を落とされた日だ」とよく言われていた。
何故そんなことをお袋は言っていたのか、その真相はもう分からない。
長崎は時間もなかったので、半日市内観光をする。娘1の物件探しで、何度も長崎市に来ている妻の案内で、路面電車で有名な場所を観光する。
長崎は再度、ゆっくりと周りたいと思う。

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2020年、長崎の旅、目的ははたした。




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