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2021年 モーターサイクル(バイク)ライフ

バイクへ回帰
長崎に赴任している娘1(娘1は長女、娘2は次女、一番上に兄がいる)、
その娘1が、九州はモーターサイクル(バイク)乗りが多い。感化されたのか、突然バイクに乗りたくなったと言う。行動も素早く、教習所へ通い出した。中型免許MTだそうだ。
そうなると、経験者の僕に質問が来る。何故?
だって僕は30才まで、
「バイクは俺の人生だ」>渡辺 靖彰(わたなべ せいしょう)だったからだ。しかし、その実情は娘2の想像とは違う。

*渡辺 靖彰(わたなべ せいしょう)
元モーターマガジン社の編集者、のちにミスターバイクの編集長。モータージャーナリストとしてモーターマガジン社提供の民放深夜ラジオ番組「ザ・モーターウィークリー」のパーソナリティで、当時のバイク乗りはよく聴いていた。

娘1の質問
「直線で、2速で回転をあげてから3速にすると、40キロで直ぐにカーブ、シフトダウンはどうするの?」
「背が低いけどバイクはオフ車が乗りたい、セローはどうかな・・」と、
最近のバイク事情を訊かれても、悪いがつい最近までインジェクションさえ知らなかった。バイクは未だにキャブ車だと思っていた。さらにバイクにAT免許があることにも驚いた。スクーターの専用免許なんだね。
そうなると娘1は当然ミッションとかギアチェンジも知らないのか、それは面倒だ。
「いや待てよ」
娘1はロードレーサー(自転車)で22段の自転車を乗っている。元々ロードレース(自転車)で峠も走っている。学生時代はインカレにも出ている。だったら、その辺りは理解はしているだろう。一安心だ。それにしてもだ。

まずは僕が勉強しないといけない。
僕には弟がいる。弟とは大学時代、一緒にモトクロスレースをしていた。彼は大学卒業後、そのままホンダのバイク開発とテストライダーとして働いていた。60過ぎても、まだバイクに乗っている。

日本のバイク事情
ちょっと訊いてみるか
「バイクか、今さぁ、日本で生産してないよ、中国、インドネシア、タイ、インド・・・」>弟
「そうなのか」>僕
「売れないしね、日本では、爺さんがデカいの買うくらいだから、国内生産は殆どしていない」>弟
「しかし、最近、若者がバイクへ戻っているだろう、ハンターカブとか人気あるぜ」>僕
「でもね、それでも昔の10分の1以下程度の生産、何千台の範囲、250ccくらいで日本の基準で売れるバイクは殆どないよ」>弟
「そうのなのか・・・・」>僕
「俺は、自分でいじれるキャブ車の中古だし、会社定年だし、問題ないよ」>弟
どうりで、中古や海外生産バイクが売れる訳だ。

僕のバイク事情
高校時代、初めてのバイクはCB50。当時では珍しい50ccのスポーツバイク、5速リターンで、当然トルクバンドは高回転時にあり、1万回転まで回った。このバイクで100キロ出した。自分のバイクの原点となっている。

17才の時、CB750に乗り換えて、20才に色々思うこともあり手放した。
その後、普段の足がないのでXL125を手に入れた。これは初めてのオフ車。今更だけど、ここまでバイクは全て中古車だ。
そして、大学進学後、弟の影響で、モトクロスの世界に足を踏み入れる。当時はオフ車ブームでもあった。

・CB50、ビンテージとして、まだ人気がある。1971年式 オレンジ。自分のバイクの写真がないのが淋しい。
・XL125、その後のXLシリーズの原点となったバイク。これは街乗りには最高だった。タンクをミントグリーンに塗り替えて乗っていた。
・CB750K2タイプ。 色はこの色と同じ。街乗りには厳しかったが、ノーヘルで、たまに通学していた。いい時代だ。(昭和はそんな時代)

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ホンダCR125
いきなり2サイクルのモトクロスレーサーに乗った僕は、4サイクルエンジンとの違いに驚いた。軽い車体にピーキーなエンジンと高馬力。とんでもないバイクだった。そして魅了された。そのまま30才まで「バイクが俺の人生だ」った。

しかしモトクロス引退後は憑きものが落ちたように、一切バイクとは無縁の人生となった。最後のマシンとなった1984年式 CR125。右。写真はジョニー・オマラ。

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「あれ?」
33才で結婚したが、その時妻をバイクの後ろに乗せた記憶がある。
バイクはホンダXL250。これは、大学卒業後、大学の同期の友達から譲り受けていたバイクだ。殆ど乗ってなかった。その後、このバイクで会社の若い子達と林道ツーリングに行き、足の指を骨折した。まだまだ馬鹿だった。これが最後の街乗りバイクだ。そして34才の時、手放した。

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乗り方はどうだろう
バイクの乗り方のノウハウ。
今や簡単にネットから得られる。これで本当に身につくのかと多少の疑問はあるけど、昔の自分の情熱があれば、凄いことになったと思う。当時は本当に手探りでスキルアップするしかなかった。

乗り方 姿勢 モトクロス、オフ車の場合
今は簡単に検索すればYouTubeで教えてくれるが、当時は結構悩んだ。特にモトクロスなんて特殊な乗り方だ。見様見真似する。
まず、足廻り、当初は膝でタンクを押さえると思っていたが、その後、膝も使うが基本、踝でバイクをホールドする形となった。これはその後、マウンテンバイクにも乗ってレースに出るようになったときも同じだった。ペダルと足を固定しないと走れない。

つまり、足首でバイクに固定した形、これだと股の間でバイクがどう暴れようが、膝と上半身を使えば頭の位置がぶれない。
そうすれば、バイクがどう動いても体が遅れることはない。

昔の写真でいいものがないけど、洗濯板みたいな直線でバイクが立てに動いても体はそれほどぶれない。ハンドル位置が動くだけ、膝と肩がショックを吸収している。
基本は変わってないとは思う。それでもバイクサスが素晴らし昨今多少は違うかもしれない。新しい情報がネットにあるので観てください。

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コーナーはあの独特のシッティング
まず体をバイクの重心位置に持って行く、それはかなり前の方だ。タンクに乗っているようになる。
これはタイヤの滑りに体の反応が遅れないようにするためだ。軸に乗る。
なおかつ前輪が滑らないように、ハンドルに加重をしない。そのため足をバランサーのように前に出す。横に出すと足をギャップにもってかれるので注意。そうなると膝の靱帯損傷などを引き起こす。
この場合、バンクを使っているので、バイクはかなり寝ている。成田MX場。

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エンジン操作
僕の市販マシン(CR125R)は2サイクル125ccだったので、ギアチェンジは頻繁に行った。
小排気量のレーサーとしての2サイクルエンジンはパワーバンドが狭く、ギアもクロスミッションのため常時パワーバンドに入れていないと速く走れない。
その為、頻繁なギアチェンジとクラッチワークが必要となる。半クラッチが癖になる。コースによりジャンプ中にもギアチェンジはする。

モトクロス125の加速はアクセル全開、スタートもコーナーの立ち上がりもクラッチのみ切ってギアをシフトアップしていく。アクセルを戻していたらタイムロスだ。ちなみにジャンプ中。アクセルは戻す。タイヤが回った状態で着地すると転ぶ。

実際、父親から借りた4サイクルのヤマハXT200で林道ツーリングしたときに、この乗り方をやってしまい。クラッチを焼き付かし、バイクが走らなくなった。
危なく山で遭難しそうになったが、冬だったので、しばらく冷やしたら何とか動くようになり、その後、エンジンが壊れるので、半クラは多用せず、また軽くスナップでアクセルを戻してギアを変えていた。
そんな事も今なら事前にネットで直ぐ分かる話だが、身をもって経験するしかない。ヤマハXT200。その後セローに繋がるトレール車。林道では軽いので最高だった。

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ウエア、用具
写真があったSIDIのモトクロスブーツ、足が地面に引っかからないように、靴底が真っ平らだ。ちなみSIDIと言えばロードバイク(自転車)のビンディングシューズを今でも使っている。お気に入りだ。

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肩(鎖骨)と胸部を守るプロテクター。シニサロだ(フィンランド製)

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写真はないが、モトクロスパンツ(膝と脛にプラスチックのパットが入っている)。値段は高いが、JTレーシング製を見栄で使っていた。
ウエアはメッシュが基本。とにかく体からの熱量が半端ない。1時間も練習すれば、体重が落ちる。

メットはまだジェット型がモトクロスでは主流だった時代。アライかショウエイの2択しかない。このヘルメットは品質がいい。
当時は顔のガードとしてフェイスマスク姿が多かった。ゴーグルとフェイスマスクはスッコットかオークリー、これも2択だった。
写真は1周レースをインターバルで練習しているところ。成田のMX場。

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これから娘に対してどうするか
これは、また乗るしかないと思っている。
体の動きと姿勢は今更スクーターとかネイキッド的なものは好みではない。やはり体に身についているオフ車か、または軽いバイクがいい。今の所、手頃なバイクは見つからない。思ったよりバイクの種類が少ない。車さえ売れない時代だ。そうなるだろ。

本当に若者がバイクに戻ってきているのか、はなはだ疑問だが、モノが少ないことで、中古市場のバイクの値段がかなり上がっている。
しかし値段だけ上がって中古の品質は同じ。全くどこもかしこも、Amazonみたいな商売しかやらないのかと思う。

続く

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