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我が家のメインスポーツはスイミング

スポーツが好きだ
私は若い頃から色々なスポーツを経験している。小中高とサッカー、大学からはモトクロス、スケートボード。
30代からは生涯スポーツとなったスイム、トライアスロン、マウンテンバイク。これらは63才まで競技に出続けていた。

その中でも特に好きなスポーツはスイムと自転車だ。自転車は自由に走れるオフロードが特に好き。
妻の方は30才くらいからママさんバレーボールを始めていた。結局地元のクラブチームに入って50才まで続けた。
そんな家庭環境で、子供達(息子、娘1、娘2)は習い事として、スイムが必携であった。全員幼少からスイミングスクールへ通った。
何故必携か?
どんなに他のスポーツが上手くても、泳ぎがだめだと、その格好良さ全てが台無しいなると私は思っているからだ。

息子と娘2は中高とバレーボール部、娘1は小学校から高校まで競泳をしていた。大学ではロードレーサー(自転車競技者)に転身していた。
以上アスリート家族だが、誰も身体的には恵まれてない。だから一見体育会系に見えない家族だ。それでも近所の奥さんには、「お宅は皆さんアスリートだから」と言われてはいた。

競技スポーツ以外でも色々やっている。娘2は体育大学だったので、ダイビング、スキー、スノボーとそれなりにこなす。
娘1は山登りや、シーカヤックなどをしている。
息子は路線は違うが、自転車で日本を走り回る冒険的なことを大学でサークル活動していた。
私も最近ではトレイルラン、シーカヤックをやったりしている。


30年ぶりにスキーをする私と娘2,妻


人口壁でクライミングをする娘1

スイムの話
スイム、4泳法(クロール、バック、バッタフライ、ブレスト)の習得は我が家では必携だった。(誰が決めたと言えば私だ)

だから我が家は一時期全員、地元のスイミングクラブ(KSC)の会員だった時期がある。
妻は本職のママさんバレーボールが忙しく、スイムは途中で離脱。

私は、1984年から1989年までKSCにおり、結婚して横浜のスイミングクラブISSで1989年から2002年まで泳いだ。このスイミングクラブも丁寧なコーチングで良かった。

子育てのために定住しようと決断して、2004年に地元へ戻った。
当然KSCに復帰し、2004年から2022年とまで泳いでいたが、今年の春に退会した。疫病の影響もあるが、昔の仲間が誰1人いなくなったことが大きい。
仲のいいコーチもいなくなる。いる意味が無くなった。

さて、このクラブだが、私の知る限り、ジュニア出身者から3名、東京オリンピックに出場した。日本記録を持つ1人は、我が家の子供たちと一時期一緒に泳いでいた。「東京で練習量が一番少ないクラブ」と言われているが、良い選手が多かった。

子供たちのスイミングクラブの履歴
息子、幼稚園年中から小3までISS、小4からKSC、中1まで通ったが部活が忙しくなり辞めた。バレーボールを高校まで続けた。

娘1、幼稚園年少からISSで3年、KSCでは小6の途中まで通った。
ジュニア選手だったので、毎日泳ぎ、春・夏・冬休みは合宿という生活をしていた。娘いわく、物心がついたらプールにいたそうだ。
KSCを辞めた後、室内プールのある中高一貫校の水泳部に所属して高校卒業まで競技を続けた。

娘2、2歳から始めた。ISSで1年、地元に戻ってからは幼稚園と提携していたスイミングクラブで泳ぎ、KSCは小1から小6の夏まで泳ぐ。
しかし運命のいたずらで、小5の夏に1型糖尿病となり、治療も必要でありクラブを辞めた。中高では姉と同じ学校へ行くが、水泳部ではなくバレーボール部に所属した。

写真は娘2の記録会(BC級大会)
当時は、A級(標準記録を突破を目指すジュニアオリンピック選手向け)その下にB級、C級があり、年に何度も大会がある。我が家の子供たちは強制参加だった。(私の意向)

現在全員成人して社会人となったが、幼少の頃から習ったスイムは身体に染みついている。

練習量を増やし努力すればタイムがあがるスイム。
頑張れば必ず上達すると言う意識が子供達には残っている。
他人との競争のストレスもあるが、基本自分との戦い。これが一番スイムのいい所だと思う。


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