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おっさんバンドのその後

バンド活動
東日本大震災後だった。とにかくチャンスがあれば何でもやってみようと思っていた。
その年(2011年)の10月から、おじさんバンドに参加した。
パートはアコギ。
その後、疫病が蔓延して日本がおかしくなる前まで、通算20回以上のライブを開催していた。

バンドのメンバーが医師(大学病院の教授達)だったので、2020年からは身動き出来ない。練習もライブもやれない状況となっていた。
現時点でも離れ離れになった仲間達の予定は立たず。おそらくこのまま解散だと思う。
もしかして奇跡の解散ライブはあるかもしれない。あくまでも希望だ。

バンド活動がないと、ギターの練習をしなくなる。
よく利用していた大学病院の近く、神保町に貸しスタジオがある。クロサワ楽器のそばだ。
そのスタジオのあるビルだが、エレベーターの乗り口が外にある。
道路に面している。そしてエレベーターはなかなか来ない。
そのビルの前を通るとバンドマンが楽器を抱えていエレベータを待っている姿を見る。
「懐かしい」
年寄りは月日の流れは早い、特殊老体生理論。

私には娘がいる。
既に成人している長女(娘1)はギターと歌が好きだった。
10年前、高校生の頃、一度同じステージにも立った。年頃の娘と同じ時間を共有できた。
そんな機会もバンドをやっていたから得たと思う。

バンド参加のいきさつ
さてバンド活動のきっかけだが、かなり特殊な感じだ。
実は。次女(娘2)は小学校6年生時、1型糖尿病を発病した。
日本では1万人に1人程度で発病する。抜本的な治療は出来ない不治の病だ。
要因として、風邪とかインフルエンザのウイルス感染がトリガーとなると言われている。
まだ特定はされていない。
今流行ってる疫病も基本風邪なので、色んな病気のトリガーとなる可能性はある。風邪は万病の元だ。

1型糖尿病とは
インスリンを分泌する膵臓すいぞうのβ(ベータ)細胞が壊れ、高血糖状態になる病気。
運動不足や過食などの生活習慣によって起こる糖尿病とは全く性質が異なる。
インスリンを分泌する膵臓のβ細胞が破壊される原因は、まだはっきりと分かっていないが、主に自己免疫異常とウイルス感染が関わっていると考えられている。

インスリンとは
インスリンは血糖値(血液中を流れるブドウ糖の濃度)を一定に保つはたらきを持ち、食後に血糖値が上昇すると膵臓から分泌される。
そして、インスリンのはたらきによってブドウ糖が細胞に取り込まれ、エネルギー源として利用される。
そのため、インスリンが分泌されなくなるとブドウ糖が使われなくなり、その結果として常に血糖値が高い状態になってしまう。
インスリンが不足することから、継続的にインスリンを補充する治療が必要となる。

治療、インスリン投与
血糖値の自主コントロールをしながら、合成インスリンを1日に3,4回投与(皮下注射)しないと高血糖になり死に至る。
またインスリンの打ち過ぎの低血糖による脳死の危険もある。
これを生きている間続ける必要がある。

日本では毎年約14,000人が1型糖尿病と診断され、発症者は子どもに多く、思春期にピークを迎えます。
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当初、親として何故うちの子がと悔やみ、さらに思春期にはいる直前での発病。
これからインスリンによる血糖コントロールのトレーニングも含めて、子育ての立て直しをしないと行けない。そんなプレッシャーもあった。

家族会
日本では、一般に難病を持つ子供達の親の為に家族会がある。
家族会は悩みを抱え込まないように親達が情報共有する組織だ。
情報共有のため定期的に会合が開かれる。
また病気の特性を知っている親達同志なので、なにかの行事を計画するのも話が早い。
また新しく加わった不安いっぱいの親御さんの救いにもなる。
よく言われる事だが、子供の難病は子供より親を精神的に打ちのめす。
だから家族会とかそれに関わる医師などのサポートは重要だ。

さて、私の参加していた会でも、色々とイベントがある。
夏休み、医師はもちろん、看護師や医学部の学生、企業もサポートして、子供達だけで、泊まりがけで海に行く臨海学校がある。
そこは子供の数に対して倍以上の人数でサポートする。小さな子を持つ親も安心だ。
実際この種のイベントは親達を一時的に子育てから解放するものでもあり、その間、親同士でプチ観光旅行をしたりする。

冬はクリスマス会が開催されていた。
子供達同志も友達となり、サポートする医学生や看護師とも仲良くなり、そんな大人や若者に触発され、後に医師なったり、看護師になったりする子供達も過去幾人かいる。

さて、バンドの話だ。
この年末のイベント、クリスマス会だが、何時も音楽ライブがあり、ブラスバンドが入っていた。
娘が発病した年、そのブラスバンドの都合が付かなくなり、急遽バンドが必要となった事があった。
そんな事情で娘の担当医師(教授)がメンバーを探していた。

何故かその頃、病院近くの神保町の洋食店で、私はアコースティックギターでの弾き語り会に参加していた。
その話を子供がしたのか、東日本大震災後、震災時のインスリンの保管や注射器使用などの緊急対応に関する勉強会に私が参加していた時、そのクリスマスに向けてバンドを作るので参加してくれなかと教授に誘われた。

50才からのスポーツ以外の趣味としてギター演奏を続けていた私は、
「いいですよ」と即答する。
ちなみに神保町のお店での弾き語りは、昔の仕事仲間に誘われたものだ。
積極的に動いていると新しい風景が広がっていく。縁というのも不思議なものだ。

■バンドの発展
バンド構成
最初は3人だった。
徐々に業界(病院)ないで評判となりメンバーは増えていき、最終的には6人となる。
クリスマス会は無論、単独でライブハウスを借り、年に2回以上ライブを開催していた。
曲目は昭和歌謡をよくやる。GSもやる。ライブ的には一度は聴いたことのある楽曲、聴く人達に楽しんでもらう構成としている。

私自身はブルースとかをやりたいが、バンドとしては聴く人に楽しんで貰いたいと思う。
クリスマス会では、基本小さな子供あいてなので、看護師さんや学生さんがパプリカを踊ったりもする。当然私達はサンタのコスプレをしたりする。

一人で音楽をやっていた頃は、聴く人達に考が及ばなかった。バンドは自分より聴く人が楽しくなくてはと思うようになった。
これも自分の成長だろうと思う。とは言え歌謡曲は結構難しい。

今また一人
自分は歌が上手くない。出る音域も歳で衰えている。それでも歌が一番面白い。そんな矛盾を抱えている。
弾き語りをしてYouTubeにアップしていた10年前、当時の牧歌的なYouTubeでは、多少のアクセス数もあり楽しかったが、今は止めている。

これから
結局この疫病で3年間を無駄にした。
新しい友達とネットでのセッションも一度やってみた。
しかし、なかなか続ける動機付けにはならない。

もう歳だし、沢山買い込んだ機材を処理しようとも考えている。
娘2も元気に育ち社会人となり、家族会への関わりも無くなった。もうこの形のバンド活動も終わりかなと思っているこの頃である。


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