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トライアスロンの自転車 2台目

新しいロードレーサー
1987年4月、宮古島トライアスロン、琵琶湖のアイアンマンで、バイクパートでの機材差を思い知った私。
値段(軽さ)=速さ。
まぁそれだけではないですが、趣味としてロードレーサー自体にハマっていた。
早速、6月、ボーナスを貰うと直ぐに神金(調布のスポーツ自転車屋)でロードレーサーをフルオーダーする。

今回初めて、フィッティング機材などを使いフレームのサイズなどジオメトリーをきちんと決めてもらった。身体もある程度ロードレーサー乗りになっていたのでそうした。
フレーム材は軽いならレイノルズ531だ。言われる通りにした。
これが設計図だ。

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フレーム レイノルズ531
エンド、ラグはカンパ、チネリ
コンポはシマノアルテグラ

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ホイールはカンパ オメガ

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ペダルがなんと! LOOK P-66 世界初のビンディングペダルになった。

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1987年の8月に納品。
試合デビューは1988年4月、修善寺でのロードレース。トライアスロンはこの年の6月、琵琶湖のアイアンマンレースとなった。
タイムが昨年より50分縮まる。アップダウンのあるコース180キロを5時間台。TTで平均時速30キロを越えた。
バイクの効果か、練習量の効果か、今では分からない。

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このマシンは神金のベテランビルダーさんが(魔法の鉄パイプ - レイノルズ531)で組んだロードレーサーだ。
私が一番元気な頃に乗っていたロードレーサーとなる。
531パイプのフロントホークは、高速での振動吸収がいい。だから下りのコーナーのラインもピッタと決まる。疲れ難い。この時初めて11時間台でレースを終えた。

この緑色の自転車、2006年まで使った。
この間、トライアスロン専用バイクは、TTタイプの凄い仕様のものが多く出回った。またカーボンフレームも出回りだした。
しかし私は頑なに、クロモリロードレーサーで、極端な前乗りとかせずに、ロードタイプの乗り方でトライアスロンを続けた。
その理由の一つ。この頃、マウンテンバイクに投資していたからだ。

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一方、コンポは、シマノ製のマウンテンバイクのシフトシステム「ラピッドファイヤーシステム」これから派生した「デュアルコントロールレーバー」が登場した。
このコンポ類は、スポーツバイク(マウンテンバイク、ロードレーサー)の乗り方を変えた大きな波だった。

この緑の自転車には、シマノ105のレバーシフト、初期タイプ、9速に交換した。この頃のシマノシフトのタッチは105でもかなり気持ちいい。今時のガチャンガチャン感は全くない。
また、チューブラホイールが消えた(そう感じた)ので、ホイールをクリンチャーに交換した。
ハンドルはシャロータイプからアトミックタイプとしている。
深い姿勢で重いギアを踏み込む時代のセットアップだ。

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引退後
ELETEの固定ローラ台でトップチューブが汗でさびるほど使い込んだ。
今でも一番乗りやすいバイクだと思っている。
クロモリフレームと手組のホイール、チューブラタイヤでの乗り心地は今のアルミ、カーボン、完組ホイール、クリンチャータイヤとは全然違う乗り心地で、これが自分のロードレーサーの基準となっている。

主観だが、今のバイクは
「力+回転数+フレームの固さ+軽さ=速さ」
この緑のクロモリのバイクは
「力+回転数+テクニック+フレームは粘り反発力=速さ」
デジタルとアナログのような違いがあり、対応するのに時間が必要だった。

1980年代のロードマン達、ヒーローはスコットハンドルを始めてツールドフランスへ持ち込んだグレッグ・レモン。
山岳スペシャリストのカフェ・ド・コロンビアのルイス・ヘレラ、デルガド。フランスの英雄イノー、今は亡き走る哲学者フィニヨン。

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その後の世代はランス・アームストロングやマルコ・パンターニ。
彼らの乗り方が、今のロードマンの基準となった。高回転、高パワー。優れた心肺機能と耐乳酸能力。ドーピングでもあったが。。。

その時代には、私の自転車ライフはマウンテンバイクになっていた。スキル重視の自転車レース。
それでもトライアスロンのため、3代(台)目のロードレーサーを購入する。


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