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Change The Road 20才の夏。  2013年7月28日

ホンダCB750は絶好調であった。路面は多少荒れているが、対向車を気にせずコーナを極限まで攻める。
「気持ちいい!」
ここは高知県。中村村から山間に延びている国道。その尾根沿いの開けた空間には5月の瑞々しい新緑と青空が広がっていた。高知県の山の中を貫くこの道は車一つ走っていない。俺達のために用意されたワインディングロード。

ハイスピードで走るバイクをコントロールするには、まず視線が大切である。常にポイントとなる目標物を遠くに見つけ、それを基準としてマシンのスピードをコントロールする。これがハイスピードライディングの基本だ。

時折見るバックミラーには黄金色のバイクが映る。健太の乗るヤマハRX350だ。彼奴も順調なライディングをしている。きっと楽しくてたまらないのだろう。
下りから緩い上がりのコーナへ突っ込もうとした瞬間、視界のすみにバイクを捕らえた。と思う間もなくRX350がイン側から突っ込んできた。次の瞬間、RXはフルブレーキングのため、後輪がポンピングし、危なくクリピングポイントを過ぎるとこだったが、何とか健太はRXを強引に倒し込みコーナをクリアした。突き抜けるエキゾーストノイズとカストロールオイルの焼ける臭いを残して走り抜けていくRX。

「隙を突かれた」
俺はCBのアクセルを絞り、RXの後ろぎりぎりにつけた。
それをきっかけに健太との激しいバトルが繰り返された。何度かのバトルの後、見晴らしのいい場所で前を行く健太がRXを路肩に止めた。
俺もCBを横付けにして止まる。
「やるじゃねえか」
健太がフルフェスのシールドを上げながら言う。
「お前も、なかなかだぜ」
そう言って俺はバイクを降り、健太のヘルメットを平手で2、3回叩いた。
「ところで、健太、どこで飯を食おうか?」
「この峠を過ぎれば、もうすぐうどん屋があるはずだ。看板があったよ」
「また、うどんかよ」
「しょうがないよ、ここは四国だ」

俺達は仲の良い友達だった。お互い同じ大学のモーターサイクリストクラブに所属し、そこで知り合った。このクラブはツーリングクラブではなく、完全なレース指向のクラブで、大学では珍しモータスポーツの体育会系クラブであった。
健太は、高校時代のバイク禁止の束縛から解き放され、自分の要求を満たすべくバイク中心の生活にのめり込んでいった。
俺は暴走族の流れから、もっと人と争いたいという要求が抑えきれず。バイクレースに参戦したいがために、他の大学に進学していた身だが、そのクラブの門を叩いた。

2人はレース活動としてモトクロスを選んだ。そして暇があってもなくても、いつも大学の近所の河原で練習をした。若さと体力と情熱で2人のバイクテクニックは急速に上がった。
また、若さの常で、そのパワーをレース以外のくだらない競争でも発散していた。

渋谷の道玄坂でのウィリー競争。マクドナルドの前の交差点から、どこまで長くウィリーを続けられかの競争である。これは俺がガードレールに足をぶつけて、踝にひびをいれたが勝った。
次は大学の前の歩道橋をトライアルバイクで渡るチャレンジだ。これは細かいテクニックの勝る健太が先にクリアして勝利した。

健太は多少太めだが体力のあるラガーマンタイプの男である。見た目の雰囲気にも関わらずバイクのセッティング等には、とても敏感でハンドルの高さが1ミリでも違えば、すぐに気が付くほどの感覚を持ち合わせていた。無論、バイクの整備はいつの間にかクラブ1の実力になっていた。

一方、俺は、細身で、感情でバイクをコントロールするタイプであった。従って、多少のセッティングの違い等、全然気づかない、でもセッティングの多少狂ったバイクでも、ある程度までレースの上位に食い込む力を持っていた。
そんな俺と健太は、お互いの欠点長所を補うように、いつしかいい友達になっていた。
うどんを食べながら健太が、これから走る予定である峠道を地図で指し示しながら、ある提案をした。

「なあ、勝負しないか」
「なんで?」
「帰ったら、どっちが先に、彼女に声をかけるか、その権利を勝負しよう」
実は俺と健太は、夏休みのバイト先で、ある女の子を好きになった。旅の開放感で、お互いの思いを昨日の宿でビールを飲みながら打ち明けたのだった。
深く考えることなく俺は答えた。
「そうだな、やろう、勝負は2回勝てば勝利」
「いいよ」健太が笑顔で答えた。

勝負は始まった。
二人のバトルは1勝1敗となり、勝負は最後の峠で決まることになった。
そして、そこで思いがけない事が起こった。バイク乗りには決して避けられない出来事がある。
長いバトルの末、前を走る健太は、最後のブラインドコーナに突入した。
その時おそらく勝利を確信しただろう。しかしコーナの立ち上がりを抜けると、健太は車線オーバーでコーナを走って来たベンツSクラスと正面衝突した。健太に続きコーナに入った俺も続けてベンツに突っ込んだ。

健太は左足の大腿骨を骨折した。俺は山側のブッシュのなかにダイブし、足首にヒビが入ったが、他はほとんど無傷だった。
山の中なので、近くの民家で、車のドライバーが電話を借り、救急車を呼んだ。
その後、田舎の病院での処置のまずさもあり、健太は片足が短くなって、障害が残った。
それでも、バイクに乗り続けたが、レースには参加はせずに、メカニックとして活躍してくれた。

俺達はこの件で少し人生を学んだ。
「人生、常に落とし穴がある、そして後戻りも出来ない」
「時間は止まらない、悔やんでいてもしょうが無い、常に道は変わっていく、でもね、振りかえれば寂しさはある」

そう言えば、バイト先の女の子の話はどうなったかは話が長くなるので、別の機会に。
Narita MX :骨折から復帰した頃。

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