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『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』

前置きになるが、ドクター・ストレンジ1作目公開当時は、予告編や主演俳優の素晴らしいビジュアルや、1つ前に公開の『シビルウォー 』のあまりの面白さにハードルを上げきってしまい、蓋を開けてみればわりかし凡庸な内容だったために肩透かしを食らったものだ。

ストレンジの赤と対比して映える、緑の衣装に身を包んだモルドの兄弟子としての活躍にはかなり期待していた。が、結果的に情緒不安定で意味不明な言動もガッカリだったし、存在感のあるマッツ・ミケルセンという俳優を起用しながら、実際には誰が演じても同じような薄ペラな悪役だった敵の魔道士も無駄遣いというほかない。

自己中心的な人物であったスティーブン・ストレンジが終盤、唐突に使命感に目覚めたような印象もあり、何百・何千とドルマムゥに殺され続けることを平然と決断したりとなかなか荒削りな内容であったように思う。
ラストシーンで壊れた腕時計をつけたストレンジがサンクタムの窓際に佇む切なげなショットも、彼が利他的な感情に芽生えていく過程が丁寧に描かれていたならば、自己犠牲的な選択と相まって非常に鮮烈なものとなっていたはずなのに…

とはいえ、そんな「惜しさ」を覚えつつも1作目『ドクター・ストレンジ』は魔術の視覚効果や劇伴といった重要な要素は素晴らしく、凡庸ながら繰り返して見ても疲れず、楽しめる作品となっていることに後になって気がついたのだ。
実際、レンタルやサブスクを利用し始めて以降、MCU作品では『シビルウォー 』についで見返した回数の多い作品かもしれない…「なんとなく」で見初めて気がつけば見終わってしまう王道な醍醐味は、1作目にはちゃんと存在していたのだ。

前置きが長くなったが、1作目の話は終わりとして…続く2作目『マルチバース・オブ・マッドネス』は凡庸さとはかけ離れた、とてもではないが「なんとなく」で複数回見ることのできる内容ではなかった。

はっきり言って、序盤に退屈というより精細を欠く展開が続いていた印象は否めない。
せいぜいが縄みたいなやつを出していたカマータージでの修行時代はともかく、『インフィニティ・ウォー』では様々な呪文を繰り出していたストレンジが、なにやら見た目も地味で攻撃力が低そうな呪文ばかり使っていることをはじめ、魔術アクションに目を見張るものがなかったこともそうだし、多元宇宙を渡り歩く少女も「そういうもの」として登場するだけで舞台装置的な意味合いが強く、いつの間にやら悪堕ちしていたっぽいワンダも何もかも…

テンポがいいといえば聞こえがいいが、諸々の出来事があまりにも「情報」として淡々と提示される一方であり、目と耳から頭へ内容がスルスルと抜けていき、地に足をつけて熱狂できる瞬間が一向に訪れないのだ。

マルチバースを通り抜けてたどり着いた並行世界の様相は楽しくもあるが、知らんうちに獣頭みたいなやつも当たり前みたいにいるナルニア王国になっていたカマータージも含めて、大雑把さや荒唐無稽さをも醸し出しており、この「勢い感」でロジックを上回らんとする姿勢からは過去のどんなMCU作品よりも原作コミックの雰囲気を覚えさせられた。

これはかなりコミックやなー、という感嘆もありつつ、(じゃあもう実写映画でやる必要ある?)という気持ちになったことも確かだ。
誤解なきように、私は実写映画がアニメや漫画より高尚なものであると捉えているわけではない。
ただ、今作はあまりにも突飛な内容なため、実写映画ってなんだっけ、これCGアニメ??という錯覚に陥ったものと思われるが…

実写映画として見た場合、むしろノイズに感じられたのがファンサービスの要素だ。
エージェント・カーターやキャプテン・マーベルの友達が別世界においてはキャプテンそのひとのポジションについているのは確かに驚きもあるし、面白くもあるのだが結局は我々の伺い知れぬ赤の他人であるし、制作側もそれがわかっていればこそ、大したためらいもなく、ワンダとの「腕比べ」の末に全滅されてしまうのだ。
まあ、ファンタスティック4のリーダーがヒモQみたいに分解されるシーンはちょっと見応えがあったけれど。

「これは良くないなあ」と明確に拒絶感を覚えたのは鳴り物入りで登場したプロフェッサー・Xの実態で、パトリック・スチュワートが演じている彼が登場する理由が、話題作り以外には本当に微塵も見当たらなかった。
私はとりたてて旧X-MENシリーズのファンというわけでもなく、キャラの扱いに憤っている訳ではないが、特にプロフェッサーならではの活躍があるわけでもなく、そもそも見た目が同じなだけで別人なうえあっさり殺害されるだけで、ファンが喜ぶ描写になっているわけでもない。
せっかくのマルチバース、細かいこと言わずにお祭りっしょ!じゃ、ないよ。ファンサービスというものはなんなのか。今一度、毅然と捉え直してほしいところである。これではただ、配給会社という壁を超えた勢いに乗じて「絞れるところから極限まで搾り取る」という卑しさすら感じてしまったほどだ。

『ワンダビジョン』に続き絶望を味わわされ続けているワンダも、シビアなシチュエーション設定や底なしの不幸から、0/100の極端な行動を起こしてしまうというのがなんとも…なんていうか、コミックっぽい。
私は俳優やキャラを「推し」にして感情移入したり、キャラ同士のカップリングを嗜むタイプではないが、それでも今作のワンダには中々に気の毒なものを感じたので、長く彼女を応援してきたファンの方にとっては当然、物申したい気持ちもあることだろう。

とはいえ、「自分のために頑張る」ワンダが悪役となり、「誰かのために頑張る」ストレンジがその偽善者ぶりを指摘されつつ、どうにもならない元カノ(?)との思い出や自身の欠陥に向き合って、なおも綺麗事を実践しようとする様はシンプルながら実に魅力的であった。

もっとも、指折りに悲しい出来事が続くワンダと比較して、ストレンジのそれは大学生のいう(あの時ヤレたかも…)くらいの温度差に感じられてしまうほど描写の絶対量に差があるため、一概には釣り合わずやはりワンダには酷ではあるのだが…
まあ、MCU世界におけるスーパーヒーローは好き勝手街並みを破壊しまくっても握手や写真を求められる人気者というトンデモな特権階級であるので、1人くらい割を食うのもむべなるかなといったところかもしれない。。。


話を戻して、今作では「誰かのために頑張る」とはいうものの、つくづくスティーブン・ストレンジという人物は「やってやってる」感と切り離せない存在であり(なればこそ1作目では唐突に使命に目覚めた印象が拭えなかったのだ)、それは冒頭の結婚式の参列者に「もっと犠牲を少なく出来なかったのか」と投げかけられたり、別次元で少女を犠牲にしようとした際も「ある程度の犠牲は」「まあ、これでも俺は最大限やったわけだからね」という傲慢さを隠すことはない。

おせっかいに端を発するスーパーヒーロー業務とは本来、全くもって噛み合わない性根の持ち主が、何故か頼まれてもいないのに「それでもやってやってる」感を出しつつ無私の活動をしているというチグハグ感が、元々ドクター・ストレンジというキャラクタの魅力の一つでもあったのだ。

今作では、ワンダや別次元の自分自身という比較対象を得た彼が、最後には魔術の修行をするアメリカに向かって「いつか両親に成果を見せてやれ」を綺麗事とわかりつつ、それでも本心から言えるまでに成長した、という着地となっておりなかなか唸らされた。
このシーンは、先にアメリカの両親の話題が出た際の「同じ力を持ってるはずだから生きているだろう」という場当たり的な励ましからは雲泥の差を感じさせる。

この2つの投げかけは同じ綺麗事であり、また言っているストレンジ本人がそれに自覚的であることは共通しているが、ラストにおけるそれは、中盤での当たり障りのない励ましとは絶妙な違いが設けられていて、かなりの繊細さを覚えさせる抜群に優れたシーンであった。
ストレンジはこれまで、さんざ指摘されてきた偽善からついに脱却して、他人の幸せを肩を並べて願えるようにまで変化したのだと思う。

厳密には変化ないし成長といっても、せいぜいが別次元の元カノ(?)に区切りをつけたとか、先に言った通り対照性には乏しいワンダとの比較による自己の再認識であるため、繊細というよりむしろ荒削りではあるのだが、CGアニメと称した通りかなりの荒唐無稽な世界観の中でそれをやったために、勢いも伴って相対的に繊細な描写に感じたに過ぎないかもしれない。
というより、ベネディクト・カンバーバッチのちゃんとひた表情演技が見られたシーンがそこしかなかったという問題もあるが…まあ、これは構成の妙であり優れた演出であるのかもしれない。多分。

繰り返しになるが、彼が利他的な行動を起こすまでの変化の過程が1作目に欠如していたものであるため、2作合わせて持ってキャラの空白を補完し得たという感覚が、私の中にあるのかもしれない。


かなり混乱した部分もあるままあっち、こっちと書き連ねてしまったが、結局のところ『マルチバース・オブ・マッドネス』は支離滅裂な皮を被りつつ、ストレンジのスーパーヒーローとしてはかなり初歩的な成長も描いた真っ当な王道要素もあり、なかなか興味深い作品だったのではないかと思えてきた。
まあ、カンバーバッチやエリザベス・オルセンといった俳優のビジュアルがなく、よく知らん俳優が主演や重要キャラだったらかなりキツかっただろう…というのは1作目と同じである。

しかしまあ、ベネディクト・カンバーバッチが「ちょっと休みたいんだよね」と漏らしたのも頷けるというものだ。こんなメチャクチャな作品に今後もずっと出続けていたら、高確率で頭か身体のどちらかがおかしくなってもなんら不思議ではない。
こちらとしても、何度も見返すには気力がちょっと持たない…そこが1作目との最大の相違点かもしれない。
ただ、モルドがアホみたいにしょぼいのは2作とも一緒。

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