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9月① 大水に沈んで耐える沈下橋(高知の清流・四万十川)

     写真:四万十川(岩間沈下橋付近)@高知県(Wikipediaより)

 日本の都道府県のうち、なかなか訪れる機会に恵まれなかった県のひとつに高知があります。
 が、四半世紀前、その海辺でマリン・リゾートを開発しようというプロジェクトが立ち上がり、それを手伝うことになって初めて当地を訪れることになりました。

 仕事の現場は、県東部の海岸でした。が、機会を見つけて県西部の四万十川にも足を伸ばしました。
 と、そこで悠々と流れる四万十川に出合うことができました。


 当然のことながら、一目見て、それが川だということは分かります。 
 が、ふだん京都で目にしている鴨川や桂川とは、まるで異なる存在でもあることに気づかされたものです。

 というのも、都心を流れる鴨川の両岸にはコンクリートで固めた石組みがあります。
 で、随所に欄干のある大きな橋が架かり、周囲には家やビルが建ち並んでいます。

 ところが、四万十川の岸辺は自然の大地のままですし、流域の全体は照葉樹らしい樹林に囲まれています。

 「河川というのは本来こういうもんなんやなあ」
 という妙な感慨にふけったものです。

 と、ある場所で「ちょっと変わった橋」を目にしました。
 それには、欄干がありませんでした。聞くと、それが沈下橋――大水が出ると水没してしまう、そういうタイプの橋だったのです。

 日本の河川は水源から河口までの距離が短く、そのため急流にならざるを得ません。結果、日本では随所に沈下橋が造られていることを知りました。その最初の実見が四万十川でのことだったわけです。

 そんなことを思い出しながらエッセイを書いてみました。おひまなときにご覧ください。

 生まれ育った京都盆地には海がない。で、初めて泳いだのは小学生時代、河原の石でせきとめた木津川だった。

 1950年ごろ、水中めがねの向こうに小魚の泳ぐのを見て興奮した。
 が、まもなく近くの海や川の汚染が進み、プール以外では泳げなくなった。

 それから半世紀、四万十川の河畔で、すっかり珍しくなった国蝶オオムラサキに出会って驚いた。
 と、あたりには幼虫の好物のエノキの大木が立っている。昆虫少年だったころのこと思い出した。
 で、川を見ると水は泳ぎたくなるほど澄んでいる。

 そのとき、かたわらの道を川砂利を積んだ大型ダンプが疾走した。
 上流の森林で伐採が続いているという話を聞きもした。
 そのせいか、ふだんの水量は減り、だが大雨が降ると、すごい量の水が出るということだった。

 やがて大規模な護岸や河口堰が必要になるのか。
 そのとき、この川の風物詩である、出水時に水面下に沈んでやりすごすコンクリートの沈下橋も無用の長物になるのだろうか。幸い今も、そこまでの自然破壊は進んでいないようだ。

 川は川だけで存在しているのではない。
 たとえば北海道・広尾町の漁協の女たちは毎年、河口から5キロも上流の「魚付林」の植林に励んでいる。土砂を含んだ川水が流れこみ、磯の海草が枯れて磯焼けをおこし、海の魚や貝が獲れなくなってきたからである。

 山・森・川・海……は、そこに住む蝶や魚や動物たちとシステムとしての生態系を形成し、ぼくら人間の生活にも役だってきた。
 だから、清流だけを残すことはできない。四万十川の風景に立ちいり、説明を聞いて少し考えると、そのことがよくわかる。

 それにしても、ほとんど手つかずのまま海に注ぐ河口の、広びろとゆったり流れる水面を、涼風に身をまかせて小舟でたゆとう快さは、なんとしたことか。
 アユのほか、汽水域で獲れるウナギやドジョウや川エビの美味もまた清流の賜物にほかならない。

 この記事とは関係がないのですが、ぼくは、こんなキンドル本を出版しています。
 無論、Kindle Unlimited なら、無料でダウンロードできます。お読みいただけると、大喜びします。
 お役に立つかどうかは微妙ですが、随所で、お笑いいただけると思います。


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