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7月④ 水音も涼しい大滝のほとり(壮大な原尻の滝@大分県豊後大野市緒方町)

                  写真:原尻の滝(Wikipediaより)
 

 九州の大地には、9万年前の阿蘇山の破局噴火の際に放出された溶岩や火山岩が広く分布しています。
 その噴火の大規模な火砕流によって生成した凝灰岩の集積が、大分県の大野川の中上流域に位置する豊後大野市で、今なお実に個性的な地勢と景観を形成しています。
 今回紹介する「原尻(はらじり)の滝」、別の支流に位置する「沈堕(ちんだ)の滝」はその典型なのです。

ちんだの滝

          沈堕の滝(Wikipediaより)

 無論それだけではありません。
 上記ふたつの滝のほか、滞迫峡などの渓谷、出会橋や轟(とどろ)橋、6月に紹介した普光寺磨崖仏といった石造構築物などが「地球科学的な価値を持つ遺産」としてジオパーク(大地の遺産)に指定されています。訪れてみると非常に興味深い場所だと思わされます。

 ところで、阿蘇山といえば、一昨年に亡くなった大学の探検部時代の古い友人S君のことが忘れられません。彼は半世紀にわたって阿蘇山の火山研究に従事してきた地球物理学者でした。で、今を去ること5年ばかり前に、彼を含む友人たちと、これまた半世紀ぶりに催した食事会で出会ったのです。
 そのとき、S君の話してくれた短い講話が実に印象的でした。

 「今、阿蘇山の地下には膨大な量のマグマがたまっている。その規模は9万年前の破局噴火の直前に匹敵するかも知れない。それが爆発すると、莫大な量の火砕流が九州のほとんどを埋め尽くす可能性がある。被害の規模は計り知れない。
 しかも9万年前と違い、鹿児島県薩摩川内市では川内原発が操業している。これが火砕流に飲み込まれでもしたら、考えるけでも恐ろしいことが起こる。未来永劫、放射性物質を撒き散らしつづけるわけだから、ね」

 その後の彼は、こうした警鐘を含め、深い愛情をもって研究し続けてきた阿蘇山に関する書物を何冊か書き上げて亡くなりました。そんなことを思い出しながら、こんなコラムを書いてみました。おひまなときに、ご覧ください。

 時計の刻む一秒は正確に均一だ。が、人の心臓の拍動には一拍ごとに微妙な長短がある。デタラメなら不整脈だ。が、逆に過剰に均一なら少し危ういという。生命のリズムは、正確な繰り返しのなかにも「自然のゆらぎ」をはらんでいるのだ。

 背景には、そこで生命現象が展開する水の融通無碍な資質がある。無色透明なのに、止まれば澄んだ水色を露わにする。で、屹立する岩場にほとばしれば、泡立つ純白の飛沫となる。滝は、そんな水の多様な相貌を思い出させる天然の造形にほかならない。

 しかも、自在に流れ落ちる水の音は、あらゆる高さの音を含む一種の「雑音」にほかならない。にもかかわらず、不思議なことに人の耳に快くひびく。自然界に偏在する1/fゆらぎをはらんだ「ピンクノイズ」と呼ばれる雑音は人をリラックスさせて集中力を高める役割を果たす。

 そういうわけで滝の音は、がちがちの秩序とストレスにさらされる人の心身を生命本来のゆらぎに同調して癒やしてくれる「天然の音楽」なのだろう。
 だから滝は、太古の昔から信仰の対象として神聖視されてきた。日本神話にも、アマテラスとスサノオが契ってタキツヒメ(滝津姫)という神を生じたという話がある。滝の背後の洞窟は「隠れ里」に通じているのだともされてきた。

 ここ、山間の平地を流れる緒方川が、すとんと落ち込んで滝となる大分県豊後大野市の「原尻の滝」にも、少し上流に鳥居がある。滝壺を望む岸には、それを拝むように石仏が鎮座している。

 生産性をはじめとして、役に立つ人為の意味ばかりを求める人の世にあって、岩壁をほとばしる白い飛沫と、それが発する「快い雑音」に、何かに役立つ意味を読みとるのはむつかしい。
 が、そんな水の流れこそが人を生かす農作物の豊穣をはぐくんできた。意味と無意味の狭間もまたゆらぎのなかにたゆたうほかないのである。

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