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パブロ・ピカソ⑥芸術の創造に20世紀の課題を取り込み始める

        図像:左「肘掛け椅子に座るオルガ」、右「鏡の前の娘」

 ピカソが、キュビズムに手を染めた最初の作品「アヴィニオンの娘たち」は、大方の批評家の顰蹙を買うことになりました。

 が、画家よりもG・アポリネールなど、機知と想像力に富む詩人仲間とのつきあいを好んだピカソは、既存の美と秩序に挑戦し否定し、新しい芸術を生み出すことで絵画世界を拡大する思索とその実現の意味を疑わなかったといいます。

 それにピカソは、展覧会の開催による自己開示よりも、創造行為それ自体を重視する芸術家でした。

 実際、キュビスムを先導したかと思うと、第一次大戦後はバレリーナのオリガ・コクローヴァと結婚。長男ポールが誕生するころには、明るいギリシャ風の古典主義的作風をこなすようになります。

 さらに表現主義、シュルレアリスムなどを自由に取り入れながら、1932年には、独特の力強い造形に、あざやかな赤・青・ 緑・黄の原色が乱舞する傑作「鏡の前の娘」を完成し、ひとつの頂点に到達しました。

 それでも、ピカソの前進は止まりません。
 1930年代後半には「ミノタウロスの連作」に着手します。で、1937年には、バスク地方へのナチス・ドイツの空爆に対する怒りを込めて大作「ゲルニカ」を完成しました。

 ピカソ芸術の主題は、貧困や絶望、怒りや喜び、自然や人間に加えて、戦争と平和、 ヨーロッパとその近代への不安など、すぐれて20世紀的な課題を取り込み始めたのです。

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