098 お寺は昔、地域社会の拠点だった
「寺子屋」の絵(Wikipediaより)
「今お寺があつい!」というテレビ番組の制作にあたる前、女子大生たちは「寺」と聞くと先ず「葬式」を連想したようです。
で、寺でのコンサートや演劇、文化講座などを「変わってる」と思ったのでしょう。
ところが、話を聞くうち、それらが寺の本来の姿の一端なのだと考えるようになったようです。
実際、かつて寺は「寺子屋」に象徴されるように地域の教育や文化、さらに福祉や行政サービスの拠点でした。
それに、周辺地域の安寧を守ってくれる日本古来の神社と一心同体だったのです。
日本人は本来、神崎宣武氏の著書の表題が示すように「神さま仏さまご先祖さま」を素朴に信心していたわけです。
寺と神社の数が約8万か所で似通っているのも、そのためです。
が、江戸前期、儒教の立場から神仏習合を否定する動きが芽生えます。
それが江戸末期に拡大し、大政奉還後の新政府が「神仏分離令」を発して「廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)」、つまり仏寺や仏像を破壊(廃仏)し、釈尊の教えを壊す(毀釈)政策を断行したのです。
そこには日本人の神仏や先祖に対する大らかな信心を、近代化の手本である欧米の一神教に近づけたがった当時の支配層の思いが映し出されているように思われます。
その結果として仏教は、日本では葬式とその周辺に閉じ込められました。そして神社と共に果たしていた人々の心の安寧や楽しみへの貢献を薄れさせたように思えるのです。
テレビ番組「今お寺はあつい!」を制作した女子大生たちは、寺回りをするうち、コンビニより多い寺と神社の数の類似を理解した上で、こう考えるようになったといいます。
いわく、
「葬式やお墓ばかりでなく、先端の知識や技術を取り入れて人の心に響く試みをすればいいと思いますね」
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お役に立つかどうかは微妙ですが、随所で、お笑いいただけると思います。
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