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61.『アウシュヴィッツのコーヒー』という書物から

        写真「アウシュビッツ収容所の入口」(Wikipediaより)
         「働けば自由になる」という「ウソ」が記されている

 ポーランドといえば、2017年に東京大学名誉教授の臼井隆一郎さんが上梓された『アウシュヴィッツのコーヒー:コーヒーが映す総力戦の世界』(石風社)に、こんなエピソードが記されています。

 アウシュビッツで「囚人(といっても罪を犯した人ではない)」たちをガス室に押し込めるのに「シャワーを浴びさせる」と話したことは広く知られています。が、さらに、それを怪しんで彼らが騒がないように、

 「シャワーのあとでコーヒーを飲ませる」

 というウソでだましたというのです。

 当時のドイツとその周辺地域では、コーヒーという嗜好品が、それほど心和ませる力を発揮していたというわけです。

 で、中学時代に読んだ一冊の本のことを思い出しました。そのころの友人の一人に精神科の医師でもあった大学教授の、勉強のよくできる息子がいたのですが、彼が『夜と霧』(みすず書房)を読んで心を動かされたらしく、
 「これ、すごいぞ。読んでみぃひんか」
 と貸してくれたのです。

 この本の著者も精神科の医師でウィーン大学の教授だったヴィクトール・フランクルです。その書物の内容はナチスの強制収容所での体験記録でした。

 彼、すなわちユダヤ人のフランクルが妻子と共にアウシュビッツに送られたのはホロコースト初期のことです。同じころの入所者のほとんどはガス室で殺害されたといいます。
 彼の妻子も生きて再び収容所を出ることはありませんでした。

 そこでは「囚人」たちが実に粗末な食事しか与えられず、過酷な強制労働を強いられました。で、少しでもそれに耐えられなくなるとガス室などで殺戮されたのです。

 しかも、彼らを監視し、彼らに命令を下したのは「囚人」から選ばれたエリートの「カポー=特権を与えられた管理者」たちでした。恐るべき分断統治が行なわれていたのです。そんな状況を生き抜いたフランクルは、こんなことを書き記しています。

 「良い人たちはみんな死んだ」

 で、(ナチスの敗北後の出所まで生き抜くことを可能にした行動原則は)「何かをたずねられたら、おおむね本当のことを言う」「みずから運命の主役を演じない」――つまりは「羊の群れのように生きた」ということだったようです。

 そういえば2011年にウィーンで過ごした6か月のある散歩の際に、シュピタルガッセという名の小道沿いに「ヴィクトール・フランクルの家(Viktor-Frankl-Haus)」と記した案内の小旗を見つけました。
 それが2015年には「ヴィクトール・フランクル博物館」としてオープンしたのだそうです。


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